1970年代後半~80年代前半にかけて大活躍した元グラビアアイドル・アグネスラムさん。
当時のアグネスさんの人気ぶりは、それまでの日本では前例がないほどのとんでもないものだったといいます。
そんな“元祖グラビアアイドル”であるアグネスさんに、なんと、死亡説が流れたことも。
今回は、死亡説騒動の顛末や懐かしの笑顔など、アグネスさんの気になるあれこれを調査しました。
アグネスラムのプロフィール
愛称:ラムちゃん
本名:アグネス・ナラニ・ラム
生年月日:1956年(昭和31年)5月21日
身長:160cm
出身地:アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル
最終学歴:カイルア・ハイスクール卒業
所属事務所:元スペースクラフト
アグネスラムの死亡説はデマ
有名人にはさまざまな噂話が付き物であり、いわば“有名税”のようなものです。
そのような噂話の中には、まったくのガセネタというものも少なくありません。
麗しのアグネスラムさんについても例外ではなく、こともあろうに死亡説が流されて広まったことがあるというのです。
その内容というのが「交通事故で死亡した」というものなのですが、当然ながら、これは完全なデマでした。
アグネス・ラムが交通事故で死亡していた。合掌。
— oeil (@oeil) February 18, 2010
最近でも怪しげなネット記事や動画などが出回っているようですが、この悪質な死亡説が最初に流布されたのは、2010年2月のこと。
当時のTwitterを通してあっという間に広まり騒動になったようですが、その発端となったのは、「【訃報】アグネス・ラムさん死去」と題されたとあるブログ記事だったようです。
その記事は騒動を受けて削除されてしまったようで、今となってはオリジナルの内容を確認することはできません。
インターネットアーカイブの方も確認してみたのですが、そちらも空振りでした。
とはいえ、2010年当時のネット記事では当該のブログのものとされる記事のコピーが数多く出回っており、少し探せばすぐに見つけることができます。
ここでそれらの記事を完全に転載することはできませんが、どれを見てもほぼ同じ内容となっていますので、元ネタの内容もそれらに沿ったものであると見て間違いないのではないでしょうか。
一部を抜粋すると「元モデルのアグネス・ラムさんが5日、居住先のホノルルで交通事故で死亡していたことがわかった。」といった内容だったようです。
またこの記事の文体というのが、新聞・雑誌のニュースでよく見かけるそれにそっくりですね。
このことも、噂が一気に広まってしまった一因だったといえるでしょう。
こうして完全なデマである死亡説が広まってしまいましたが、当時のネット上では“誤報”として扱われました。
当該ブログの運営者はほどなくして記事を削除し謝罪したようです。
謝罪文の方は今でもインターネットアーカイブに残されていました。
それによると、ネット上の掲示板に書き込まれた不確定情報をもとにニュース風の記事を書いたというのですから、あきれてしまいます。
さらに、その不確定情報のもとになったというのが英語で書かれた「Do You Remember… Your First Crush」というタイトルのブログ記事だったようです。
これは「覚えていますか… あなたの初恋」といった意味合いのタイトル。
ホノルルの新聞社に勤めていた男性が書いたブログ記事なのですが、ちょうどバレンタイン時期でもあったため初恋をテーマにしたようですね。
結局、“誤報”の原因は、この“Crash”を誤訳したことがキッカケだったのでは?という見方が有力とされました。
つまりは、無知と不注意が招いたまったくデタラメなデマだったという訳です。
アグネスさんは、2019年に自身のデジタル写真集公開に合わせてコメントを発表していますので、死亡説は完全なデマだといえますね。
昔の笑顔がメチャ可愛い!
最近では「令和のアグネスラム」なんて呼ばれているアイドルもいるようですが、やっぱりオリジナルのアグネスラムさんが一番ではないでしょうか。
全盛期のアグネスさんを知っているという人は、完全に同意してくれるはずです。
なんといっても“元祖グラビアアイドル”ですからね。
アグネスさんのことを知らない最近の人は「どうせ昔の人でしょ?」と思うかもしれませんが、彼女の笑顔をひと目見れば、その可愛さに釘付けになることは間違いありません。
そう、アグネスさんといえばそのプロポーションもさることながら、あどけない笑顔がとっても可愛いことで有名です。
最近では、アグネスさんが日本でデビューする前に撮影されたという18歳のころの姿が収められたデジタル写真集も人気。
手に入れれば、いつでもどこでもあの笑顔に会えますよ。
キンドルがアグネス・ラムの写真集薦めてくる
— super duper blooper (@_2F_1) April 24, 2024
それにしても、良い時代になったものですね。
「いったい何者?」の声&来日するたびに騒動
なんと嘆かわしいことでしょう。
アグネスラムさんを知らない世代の人の間では、いったい何者なの?といった声も聞かれるようです。
なんでも、アグネスさんをモチーフにしたパチンコ台で初めて目にしたなんていう若者もいるのだとか。
そこで、本当に簡単にですがおさらいしておきます。
アグネスさんはハワイ・オアフ島で生まれ育ちました。
中国系アメリカ人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれた天使です。
父親の名字は漢字で林と書きますが、これを広東語で発音すると「ラム(Lum)」となります。
そう、親戚と間違われることもあるというアグネスチャンさんとは違って、ラムが名字なんです。
母親はイングランド・アイルランド・ポルトガル・ハワイの4つの血を引く女性ですから、アグネスさんは単に中国人とアメリカ人のハーフという訳ではありません。
それも彼女の美しさの秘密のひとつかも知れませんね。
アグネスさんは、日本で本格的にデビューする前からモデルとして活動していたといいます。
初来日したのは1975年11月、19歳のときでした。
その年の6月、細かいことをいえば諸説あるようですが、アグネスさんは初代クラリオンガールとして起用されたのです。
当時のクラリオンのポスターは貼られた直後に盗難が続出するという状態で20万枚があっという間になくなる人気ぶりだったといいます。
当選者数50名のプレゼント企画に、14万通にもおよぶ応募ハガキが送られてきたこともあるんだとか。
11月に撮影のために来日しましたが、ハワイ育ちのアグネスさんにとって日本の寒さはこたえたといいます。
また、アグネスさんは人やクルマの多さに圧倒され、満員状態の地下鉄では体調不良になったこともあるそうです。
76年11月に2度目の来日。
まだ成田空港が開港する以前のことでしたので、多くのファンが羽田空港に押しかけて出迎えました。
先着100名まで入場可だったデパートのサイン会には、なんと、3000人ものファンが殺到し1時間の予定が20分で打ち切りに。
77年5月に3度目の来日を果たしますが、「ひろしまフラワーフェスティバル」に訪れたアグネスさんをひと目見ようと大勢のファンが押し寄せ消防車で脱出する騒動になったのだとか。
当時のとんでもない人気ぶりが伝わるエピソードですね。
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