五木ひろし、生い立ちと若い頃のエピソード。実家は豪邸。兄弟4人の末子&父親と母親が離婚

五木ひろし(いつきひろし)さんは、2025年には歌手デビュー60周年を迎えられる大ベテラン歌手です。

そんな五木さんの生い立ちについてや家族についてお伝えします。

また、実は若い頃は違う芸名で活動していたことについてなども、お伝えします。

五木ひろしのプロフィール

本名:松山数夫

生年月日:1948年(昭和23年)3月14日

身長:173cm

出身地:京都府

最終学歴:明大付属中野高校卒業

所属事務所:株式会社五木プロモーション

五木ひろしの生い立ち&若い頃の芸名

五木ひろしさんは京都府で生まれ、福井県の若狭湾が広がる美浜町で育ちました。

父親はまだ五木さんが幼い頃に家族を捨てて蒸発しましたが、韓国系の男性だったそうです。

そのため五木さんの出生名は「李数夫」と言いました。

後に日本に帰化し、母親の苗字をとって「松山数夫」に改名しています。


そんな少し複雑な家庭で育った五木さんでしたが、父親が歌が好きだったおかげでラジオから流れる流行歌を全部聞いて覚え、歌っていたそうです。

近所でも歌が上手くて有名だったそうで、近くに住んでいた浪曲師の方に声をかけられて、夏休みには一緒に巡業に行ってお金を稼いでおられたそうです。

中学卒業をした翌日には単身で京都へ移り住み、関西音楽学院に入学しました。

それから1年後には作曲家・上原げんとさんの元でプロの歌手になるために上京し、上原さんの内弟子として歌を学びました。

そして上京してたった4ヶ月後には「第15回コロムビア全国歌謡コンクール」にて優勝に輝き、いきなりコロムビア専属の歌手に抜擢されました。

その流れで1965年5月5日、「松山まさる」名義で若干17歳でシングル「新宿駅から」でデビューしました。

ですが、デビューから3ヶ月後の同年8月に、師匠の上原さんが心臓発作のために急死してしまいました。

「松山まさる」としては計6枚のシングルを発表しましたがヒットには至りませんでした。

その後、都はるみさんや北島三郎さんらの前座やキャバレー周りなどを経験。

1967年4月にポリドールへレコード会社を移籍し、「一条英一」という芸名でシングル「俺を泣かせる夜の雨」をリリースし再デビューしました。

「一条英一」として歌っていた頃は、レコード会社のディレクターの指示で歌い方を変えており、五木さんとは思えないような歌唱法をしています。

計3枚のシングルを発売しまいたがまたしてもヒットには恵まれず、1968年に時所属していたプロダクションが倒産したために活動は終了してしまいます。

ついには仕事も貯金も尽きてしまい食べるものにも困っていました。

そんな中、当時同じアパートに住んでいたホステスの紹介で銀座の高級クラブ「クニ」で歌う仕事に就きました。

そこで作曲家・遠藤実さんを紹介されミノルフォンとの契約にこぎつけます。


そして1969年12月1日に「三谷謙」という芸名でシングル「雨のヨコハマ」で再々デビューしました。

ですが、それでもヒットに恵まれることはありませんでした。

1970年に歌手として最後の挑戦という覚悟で「全日本歌謡選手権」に出場し、見事に10週連続で勝ち抜き、グランドチャンピオンに輝きました。

そして1971年3月1日に、ようやく「五木ひろし」としてシングル「よこはま・たそがれ」でデビューし、大ヒットを記録しました。

3度の改名を経験し、4つ目の名前でようやく歌手としての成功を掴んだ時は、さぞかし嬉しかったでしょうね。

実家は大豪邸

五木ひろしさんのご実家は、福井県美浜町に今でもあり、かなりの豪邸だそうです。

2024年現在では誰も住んでいらっしゃらないそうですが、庭などもきれいに手入れされていて、表札には「松山」と書かれているそうです。

地元から出てかなりの年数が経っていますが、地元の大スターであることには変わらない五木さん。

「五木ひろしミニミュージアム」なども近くにできており、ポスターやレコードのジャケットなどが展示されているそうです。

ファンなら一度は訪れてみたいスポットですね。

また、美浜町では毎年「五木ひろしマラソン」というマラソン大会が開かれており、多くの方が美浜町を走るために訪れ、町興しに一役買っています。

兄弟4人の末っ子&父親と母親は離婚

五木ひろしさんは4人兄弟の末っ子で、上には1人の兄と、2人の姉がいらっしゃいます。

姉に関しては一般人のため名前などは全く明らかになっていません。

兄は、以前に多くのグラビアアイドルなどが所属する芸能事務所「イエローキャブ」の代表を務めておられた松山弘志さんです。

五木さんの父親は鉱山技師をしていた韓国人の方で、五木さんが小学校5年生の時に家に帰ってこなくなったそうです。

父親は三重県で愛人と暮らしており、母親とは離婚しました。


母親は「松山キクノ」さんという方で、父親が蒸発してしまい五木さんを含む4人の子供を育て上げました。

2002年に83歳で他界されましたが、五木さんが歌手で大成功したことを喜んでおられたそうです。

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