山田隆夫の学歴が怪しい?若い頃の活躍。アイドル時代ジャニーズ所属はデマ&子役経験

座布団運んで40年!『笑点』(日本テレビ)の「座布団運びの人」として知られるタレント・山田隆夫(やまだたかお)さん。

笑点では毎週メンバーが時事ネタなどを織り交ぜながら挨拶をしますが、山田さんは「お茶の間のアイドル」として幸せを運んできたことをアピールしています。

昔の彼を知らない世代にとっては、なんだか座布団担当の自虐ネタのようにも聞こえますよね。

実は若い頃、本当にアイドルをしていたのだとか。

そこで今回は、若い頃の山田さんに関する話題を調査しました。

山田隆夫のプロフィール

愛称:山田くん

本名:山田隆夫(やまだたかお)

生年月日:1956年(昭和30年)8月23日

身長:155cm

出身地:東京都江東区深川

最終学歴:日本大学豊山高校卒業

所属事務所:山高帽

山田隆夫の学歴が怪しい?

山田隆夫さんの若い頃について調査するにあたって、先ず、気になる彼の最終学歴について見ていきましょう。

彼の古くからのファンだという人にとっては既知の事実かも知れませんが、やはり気になりますからね。

インターネット上の情報では、山田さんは1975年3月に東京都文京区にある「日本大学豊山高等学校」を卒業したとされており、大学には進学していないようです。


山田さんや豊山高等学校のWikipediaにも「卒業」「出身者」と明記されているのですが、一方で出典などは一切示されておりません。

学校の公式ホームページも確認してみましたが、山田さんの名前は明記されておらず、彼からの「卒業生からのことば」といったようなメッセージもありませんでした。

山田さんの公式ホームページには彼のプロフィール自体が存在しません。

彼が結成し座長を務める『ざぶとん一座』の公式ホームページにはプロフィールが存在するものの、学歴に関することは一切記されていませんでした。

テレビや雑誌のインタビューでも、学歴に関する話題は何一つ出てきません。

これは、いよいよ雲行きが怪しくなってきました……。

山田さんは、本当に日本大学豊山高等学校を卒業しているのでしょうか。

彼は座布団運びだけでなく各地の講演会などでも活動しているといいます。

その際は「山田たかお」名義で仕事をしていますが、その線で当たったところ、数あるプロデュース会社の一社に彼の学歴が明記されていました。

東京都大田区にある「株式会社フジプランニング」のホームページに山田さんのプロフィールがありますが、はっきりと「学歴:日大豊山高校」と明記されていました。

学   歴 : 日大豊山高校

2024年現在、山田さんの学歴についてはこれ以外に信頼度が高そうな情報はありませんでした。

ところで、山田さんは高校時代にバンド活動をしていたそうで、テレビ番組にもよく出演して大変な人気だったといいます。

今と比べれば昔は個人情報に対する意識も低かったですし、テレビやラジオのプレゼント企画でも当選者の氏名や年齢はおろか、住所や職業、電話番号まで公表されることもよくありました。

今でこそ基本的に伏せられている山田さんの学歴も、そんな時代の混乱のなか誰もが知るものとなっていたのかも知れません。

若い頃は「ずうとるび」で歌って踊ってた

山田隆夫さんは、若い頃「ずうとるび」という4人組音楽グループのリーダーとして活動していました。

アイドル全盛期という時代も手伝い女性ファンも多く、なかなかの人気で『紅白歌合戦』(NHK)にも出場したといいます。

とはいえ、若い人からすれば「えっ、ずうとるび?」という感じですよね……。

こんなことを書くと山田アタックで突っ込まれそうですが、別にイケメンというイメージでもないですし。

山田さん自身も雑誌のインタビューで「最近の人は僕のことを座布団運びの人だと思ってる」と語っています。

ずうとるびというグループ名は、もちろん、かのビートルズにちなんだもの。


結成のきっかけは『笑点』だったといいますから、若い頃から切っても切れない関係のようです。

山田さんは、1970年に14歳で笑点の「ちびっこ大喜利」という企画で初出演しました。

はたして14歳が“ちびっこ”かどうかはともかく、そこで見事に座布団10枚を達成し願いを叶えてもらえることになったといいます。

もともと郷ひろみさんに憧れていたという山田さんの願いは、レコードを出すことでした。

こうして、ずうとるびが結成され1974年にレコードデビュー、翌年には紅白出場を果たしています。

山田さんはインタビュー記事で「大変な人気だった」と語っていますが、オリコン最高位は13位でトップ10に入ったことはないようです。

ずうとるびは笑点がルーツとあってコミカルなグループ名ですが、山田さんも人を笑わせることが大好きでコメディー路線を気に入っていたのだとか。

しかし、アイドル全盛期とあって他のメンバーは歌って踊れるアイドルを強調したいと考え、意見が対立してしまいます。

結局、1977年に山田さんは脱退しました。

その後、ずうとるびは新メンバーを迎え活動を続けるも人気が低迷し1982年に解散したということです。

このときの5人が2020年に再集結し、ずうとるびは復活をはたします。

2021年7月には41年ぶりとなる新曲『SAIKAI〜ああ麗しのみかん色〜』をリリースし話題となりました。

山田さん曰く「老いドル」になってしまったといいますが、ファンにとっては嬉しい知らせだったようですね。

アイドル時代ジャニーズ所属はデマ

山田隆夫さんが若い頃にリーダーを務めた「ずうとるび」がアイドル的人気だったということで、ネット上ではジャニーズ事務所との関係があったのでは?と感じる人もいるようです。

しかし、ずうとるびや山田さんがジャニーズに所属していたことはありませんし、ジャニーズに移籍しようとしたこともないと思われます。

しかし、山田さんは故・ジャニー喜多川氏との関係を2022年4月の週刊誌のインタビュー記事で明かしています。

偶然スタジオで会って言葉を交わしたことがあり、そのときに「You、面白いね」と“言ってくれた”そうで心に残っているのだとか。

ずうとるびのメンバー・今村良樹さんの息子がジャニーズ事務所に所属していたそうです。

生前のジャニー喜多川邸を訪れた際には、「ずうとるびを再結成するよう、お父さんに言っておきなさい」と言われていたのだといいます。

山田さんは「認めてくれていた」と嬉しそうに語ったようです。

しかし、ジャニー喜多川氏が引き起こした史上最悪規模の性加害事件のことを思えば、はたして喜んで良いものかと考えずにはいられませんね。

「劇団ひまわり」所属の子役だった

山田隆夫さんは実に多くの経歴の持ち主で、子供の頃から子役としてタレント活動をしていたといいます。

芸能界デビューのきっかけは、彼が10歳のときに飛び入りで参加した「日清・ちびっこのどじまん」でした。

そこで番組テーマソング『ちびっこマーチ』を歌い優勝し、賞品のインスタントラーメン6か月分を獲得したといいます。

その後、NHKの歌番組に出演するようになり、さらには「劇団ひまわり」から声をかけられたのだとか。

もともと落語好きの少年だったという山田さん。

子役としてドラマやバラエティー番組などに出演していく中で「寿限無」を披露したことがあり、それが『笑点』の「ちびっこ大喜利」に出演するきっかけとなったということです。

人の縁とはなんとも不思議なものですが、山田さんは強運の持ち主でもありますね。


山田さんの著書に『ボクに運が巡ってくる55の理由』というものがあるように、こと金銭面に関しては、なぜか失敗しても上手くいく人生を歩んできたという自負があるようです。

不思議と人生の難易度設定がイージーモードになっている人って、いるんですね。

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