伊東四朗(いとうしろう)さんはすっかり俳優としてのイメージが定着していますが、元々は舞台を中心としたコメディアンでした。
今回は伊東四朗さんの有名なギャグや今までの相方などついても見て行こうと思います!
伊東四朗の有名なギャグは何?
伊東四朗さんを代表するギャグはベンジャミン伊東の名前で披露していた「電線音頭」だと思います!
この「電線音頭」ではグイグイ前に出るキャラクターですが、元々はサブ的な控えめな芸風だったそうです。
他にも正月によく演奏される琴の音色を「つん、つくつくつくつん。つん、つくつくつくつん」と口で表現するギャグは今でも使用しています。
また「ずん!」や「ニン!」などの単語系の一発ギャグを多く持っていますが、特に何か意味がある訳では無いそうです(笑)
舞台上や生放送での間を埋めるために口走った言葉がウケて定番化する事もあったそうです。
表彰をする際の音楽を「ニ~ンニ~キニ~ンニン」と表現するのも伊東四朗さんの定番ネタと言えます。
伊東四朗の相方コンビは誰?
1961年に三波伸介(みなみしんすけ)さん・戸塚睦夫(とつかむつお)さんと「てんぷくトリオ」を結成しました。
意外な事に伊東四朗さんは三波さんと戸塚さんの舞台を観客として見ており、元々はファンと芸人の関係だったそうです。
トリオの中でも三波さんの人気が突出していた事もあり、三波さんのソロ活動に引っ張られる形で人気になりました。
しかし、1973年に戸塚さんが肝硬変で亡くなり、1982年に三波さんが解離性大動脈瘤破裂で亡くなりました。
伊東四朗さんは「てんぷくトリオ」のメンバーと死別した事により、仕方なくソロでの活動にシフトしました。
ソロになってから約20年経ち、初めて解散について触れました。
正式に解散してないんですよ。いきなり戸塚睦夫が死んじゃったから。それでも“てんぷく”でやってたんですけど、今度は三波が死んじゃった。1人で“てんぷく”ってワケにもいかないからねえ。今言っても良いんです、解散って・・うん、今言います。解散です
確かにコンビを組んでいる最中に他のメンバーが全員亡くなる事は珍しく、解散については余り考えてなかったのかもしれませんよね。
その後、伊東四朗さんはコンビは組むものの”相方”と言える存在は作っていません。
伊東四朗と、小松政夫や三宅裕司との関係
「てんぷくトリオ」が消滅後は小松政夫さんとの軽妙なトークが話題になりました。
控えめなキャラだった伊東四朗さんがハイテンションな小松さんに引っ張られる形で新境地を開拓しました。
伊東四朗さんと小松さんのコンビで有名なのは「電線音頭」ですが、なんと次男の伊東孝明さんと共演していたそうです!
ダウンタウンなうに若き日の父がでてた(笑)
ちょっと感動した。#ダウンタウンなう #みごろたべごろ笑いごろ #出演者がエグい#加山雄三#伊東四朗#小松政夫#キャンディーズ#ばってん荒川#西田敏行#海援隊 pic.twitter.com/qs0acBEg2s
— ばってん荒川Jr. (@HSWHOVXFokhoqED) 2018年8月26日
父親の伊東四朗さんは恥ずかしそうですが、孝明さんはなかなか見事な踊りっぷりですよね(笑)
その後は徐々に演芸番組自体が消えて行った事からお互い役者業へ転向しました。
一方で、伊東四朗さんは自身も関わっていた「浅草喜劇の継承」に対する思い入れが強くなり、同じ思いだった三宅裕司さんらと舞台を開催しました。
伊東四朗さんと三宅さんのコント動画を見つけましたので紹介させていただきます。
2004年に伊東四朗一座が正式にスタートし、三宅さん以外にもラサール石井さんや小倉久寛さん、東貴博さんらが参加していました。
その後も渡辺正行さんや春風亭昇太さんが参加するなど大規模なグループになり、チケットは即完売するほどの人気になっていました。
2012年以降は伊東四郎さんは参加していないそうですが、不定期で出演したりご意見番としてかかわっている様子でした。
懐かしいコントを中心とした舞台喜劇に対するファンの関心が強いのがとても印象的ですし、グループ設立当初の目的「浅草喜劇の継承」は順調に達成されつつあるのでしょう。
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