歌手やプロデューサーとして活躍された大内義昭(おおうちよしあき)さん。
結婚をした妻はNHK出身のフリーアナウンサーで、3人家族で生活をしていました。
若い頃から才能は開花していたことなどについてお伝えしていきます。
大内義昭のプロフィール
本名:大内義昭
生年月日:1960年3月14日
没年月日:2015年5月22日(55歳没)
出身地:福岡県八幡市
最終学歴:九州国際大学付属高等学校卒業
所属事務所:アイム・ヒアー
大内昭義が結婚した妻はフリーアナウンサー
ミリオンセラーを記録したデュエット曲「愛が生まれた日」で知られる大内義昭さん。
2015年5月22日に55歳という若さでこの世を去っています。
今回はあまり知られていない大内義昭さんのプライベートな部分でもある結婚などについて調べていってみましょう。
大内さんは2009年9月に結婚をしていました。
お相手は福岡県北九州市を中心に活動しているフリーアナウンサーの重松亜紀(しげまつあき)さん。
1975年11月28日生まれですので、大内さんよりも15歳も年下。
2024年現在は40代後半になっています。
重松さんも大内さんと同じく北九州市の出身。
もともとは1999年からNHK北九州局でアナウンサーをしていて、8年後にフリーアナウンサーとして独立をしています。
2004年からNHK北九州放送局で放送されていた「なんしよ〜ん!?北九州」の進行をしていて、そのときに担当していたコーナーがきっかけで大内さんと出会っているようです。
番組で視聴者から集めた歌詞のフレーズを元に曲を作り上げていく企画があったのだといいます。
重松さんは大内さんが開校した「九州アーティスト学院」という音楽の専門学校で特別講師を番組のからみで引き受けていました。
2007年に「なんしよ〜ん!?北九州」は終了。
大内義昭さんといえば、NHK北九州局制作の夕方番組『なにしよ~ん!?北九州』で、MCの重松亜紀さんとの掛け合いが面白かった。(・ω・)
— けいたん (@keitankuns) May 23, 2015
番組でのお2人の掛け合いが面白いなどといった投稿もありますので、息がぴったりだったようですね。
それを機に重松さんもNHKを退社してフリーアナウンサーとして独立をしたようです。
この番組を担当しているときからお2人が交際をしていたかは不明ですが、2009年4月には結婚をしています。
結婚式では大内さんが作詞作曲をした「I LOVE YOU AKI」を披露したというアツアツのエピソードもあるようです。
『なにしよ~ん!?北九州』がおわったあと、大内義昭さんと重松亜紀さんはご結婚されたんでしたよね。羨ましかった。(´・ω・`)
— けいたん (@keitankuns) May 23, 2015
重松さんは結婚後も仕事を続けていて、司会業などもされているようです。
福智町、満場のお客様で楽しく演奏させていただきました!ありがとうございました!!司会に重松亜紀さんをお迎えし、華やかな中で今回のコンサートの音楽監督の永田郁代さん、そしてヴァイオリンの奥村智洋さん、何と言ってもここ出身の若手、二葉円香さんと林田順平さん、素晴らしかった!
— 大萩 康司 YASUJI OHAGI_Official (@yasujiohagi) February 26, 2012
また、地元の市営バスでは重松さんのアナウンスが流れるなどといった情報もありますので、広く美声を活かした仕事をされているようですね。
そうそう、折尾駅から本城陸上競技場へ向かうシャトルバス(北九州市営バス)、友人の重松亜紀さんのアナウンスが流れてるらしいです。ギラヴァンツの応援メッセージかな。
— シロクマあきこ (@akiko0628) November 6, 2010
大内昭義の家族構成は3人?
大内さんの家族について調べてみましたがあまり多くの情報は出ていないようです。
娘が1人誕生していますので、3人家族だったと考えられます。
大内さんはデビュー後には東京で生活をしていましたが、その後に地元に戻り小倉で生活をしていました。
拠点が九州にあったということで、家族で過ごせる時間は長く取れたのではないでしょうか。
大内昭義の若い頃の活動
ヒット曲を多く世に送り出した大内さん。
若い頃はどのような活動をしていたのか調べていってみましょう。
あまり知られていませんが、大内さんが音楽活動を始めたのは20代に入ってからのようです。
1980年当時20歳で上京をしています。
本格的に活動を始めたのこの時期でした。
当時は自身で歌う他にミュージシャンへの楽曲提供をしていました。
1984年にデュオ「DU-PLEX」(ドゥプレクス)を結成。
「サイキック・マジック」などをリーリースしています。
レコードプレーヤーが返ってきたのでやっと『DU-PLEX』が聞けた (*´ω`*) 『Misty Blue』レーザーターンは音が良い & レコードは耳が疲れない!#レコード #レーザーターン pic.twitter.com/0mrc4kZN23
— タケシ (@sweetpotatoyuzu) March 9, 2019
1989年にはソロデビュー。
「バックシートで恋をして」を発表し、ソロ活動としては5枚のアルバムを発売しています。
今、大内義昭の「バックシートで恋をして」を聞いているところです。 pic.twitter.com/HwgN8b3ZjV
— XR311 (@FMC_XR311) July 14, 2019
1994年デュエット曲「愛が生まれた日」が大ヒット。
この曲は女優の藤谷美和子(ふじたにみわこ)さんが主演したドラマの挿入歌で使用されていて、藤谷さんの歌手としてのデビュー曲となりました。
🎤今夜はコノ歌🎤No72
1994年2月にリリースされた藤谷美和子と大内義昭にデュエット曲「愛が生まれた日」🕺藤谷さん自身が主演したドラマ「そのうち結婚する君へ」の挿入歌で歌手デビュー曲🎊この時代を感じるアレンジが、より良いデュエットソングになっているのが最高に懐かしく感じるハズだ🥲👏 pic.twitter.com/TjT6ADLaTk
— hiro (@hiro1220931) April 23, 2024
爆発的に売れたイメージがあるこの曲、じつはじわじわとロングでヒットをしていきミリオンセラーを記録した歌でオリコンチャートでは最高順位が5位でした。
結果的には132万枚のセールスを上げています。
このヒットで初のNHK紅白歌合戦への出場を手にしました。
その他にも「第36回日本レコード大賞」では優秀賞、「第27回日本有線大賞」では最優秀新人賞とグランプリのダブル受賞を果たしています。
自身の歌手活動だけではなくアーチストへの楽曲提供も行いプロデューサーとしても活躍。
1987年に小比類巻かほるさん楽曲提供をした「HOLD ON ME」が大ヒットしています。
ここから本腰を入れてプロデューサーとして活動をしていったようです。
当時大物アーチストの中森明菜さんや光GENJIも担当。
またCMやゲーム、アニメ音楽、ドラマや映画の音楽などのプロデュースも大評判となっていきました。
上京してから20年が経つ1999年には活動の拠点を東京から北九州へと移行。
地元にも貢献し、北九州市制35周年のイメージソングや開校したばかりの北九州市の小学校の校歌の作詞作曲なども担当しました。
母校の校歌作詞・作曲は大内義昭
よく異動してくる先生がここの学校の校歌いいねって褒めてく。
— ザキさんです。 (@curezaki) January 23, 2022
北九州に九州アーチスト学院を開校させ、学院長を務め北九州の若いアーチストの育成にも尽力。
また地元NHK北九放送局との関係を強化していき、レギュラー番組などを持ち出演しています。
その番組で知り合ったアナウンサーと2009年に結婚。
2014年に癌が見つかり、治療をしながら音楽活動を続けていました。
2015年に突如体調が悪化し亡くなっています。
55歳という若さでした。
ご冥福をお祈りいたします。
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