鴨志田穣の生い立ちが影響で写真家に。元妻の西原理恵子の作品に登場!死去した原因とは

西原理恵子さんの前夫として知られる鴨志田穣(かもしだゆたか)さん。

なぜ戦場カメラマンという壮絶な生き方をされたのでしょうか。

また、元妻の西原理恵子さんいついても調べてみました。

鴨志田譲のプロフィール

本名:鴨志田譲

生年月日:1964年7月2日

身長:不明

出身地:神奈川県川崎市

最終学歴:東海大学付属第四高等学校

所属事務所:なし(故人)

戦場写真家、鴨志田穣の生い立ち

戦場カメラマンとして活動していた鴨志田穣さん。

腎臓癌のため2007年3月20日に42歳という若さで亡くなられています。


鴨志田穣さんの父親はアルコール依存症だったそうです。

そのような家庭で育った鴨志田穣さんは戦場の写真に心を打たれたそうです。

神奈川県川崎市で産まれ北海道札幌市で育った鴨志田穣さん。

高校卒業後に2浪するも大学進学をあきらめて上京。

新宿にある焼き鳥屋でバイトをしながらも戦場カメラマンになることを夢見ていたそうです。

アルバイトで貯めたお金でカメラを買った鴨志田穣さんは23歳の時にタイに渡ります。

その後、アジアを放浪していた時に出会ったジャーナリストの橋田信介さんに弟子入りし、戦場カメラマンとしての活動を開始。

この途中にクメール・ルージュの捕虜となり、世間に名前が広まりました。

戦場カメラマンとして活動を続ける中で多くの人が亡くなっていく様を目にし、銃口を向けられるなど過酷な体験をした鴨志田穣さん。

極度のストレスから逃げるにはお酒の力を借りるしかなかったのでしょうか。

鴨志田穣さんは父親と同じくアルコール依存症となってしまいます。

ちなみに、奥さんの西原理恵子さんも独創的な方ですが、鴨志田穣さんもかなり独創的な方です。

時は前後しますが、このアルコール断ちのために、ミャンマーで僧侶になってしまわれたのですから…。

西原理恵子の作品でも知られる鴨志田穣

「毎日かあさん」などの著書で知られる西原理恵子さん。

西原理恵子さんの本を読んだことがある人であれば「鴨ちゃん」という登場人物をご存知かもしれません。

この「鴨ちゃん」とは鴨志田穣さんのこと。

そう、鴨志田穣さんと西原理恵子さんは夫婦だったんです。

勝谷誠彦さんからの紹介で知り合った鴨志田穣さんと西原理恵子さん。

アマゾン川を取材するという企画で鴨志田穣さんはCSテレビのカメラマンで西原理恵子さんは出演者でした。

ジャングルでの過酷な取材を通して何かビビッと来るものがあったのでしょうか。

鴨志田穣さんは取材後に飛行機の中で西原理恵子さんにプロポーズしたそうです。

その後、鴨志田穣さんが日本に帰国した時に西原理恵子さんと結婚。

二人の間には一男一女が誕生しています。

結婚して子供が産まれても戦場カメラマンとして生き続けた鴨志田穣さん。

その模様は、「毎日かあさん」でも描かれていますね。

毎日かあさんは、2011年に映画化され、小泉今日子さんと永瀬正敏さんという実際の元夫婦で演じておられました。

永瀬正敏さんが、鴨志田穣さん役を演じるということで、こちらの演技もかなり評判でしたが・・・。

実は、永瀬正敏さん、この役を演じるために12キロの減量を敢行していました。

そこまでして臨んだ作品の舞台挨拶では、この時すでに亡くなっていた鴨志田穣さんへの思いを口にしています。

この直前にも、お墓参りへ行かれたそうで、ともに初日を迎えたかったという旨も述べられていました。

元夫婦の共演という話題性で終始するのではなく、鴨志田穣さんへの思いを涙をこらえながら話す様子に、会場の皆さんは胸打たれたようです。

さらに、もう一本、鴨志田穣さんのアルコール依存症との戦いを描いた映画があることをご存知でしょうか?

それが、2010年の「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」です。

こちらは、鴨志田譲さんの自伝的小説が原作となっています。

鴨志田譲さんモチーフの主役は浅野忠信さんが演じ、西原理恵子さんモチーフのヒロインは永作博美さんが演じておられました。

さらに、西原理恵子さんもイラストの作画、そして、精神科の患者として出演までされておられます。

ほのぼのとした面も見られる「毎日かあさん」に対し、こちらはかなりリアルなアルコール依存症が描かれていました。

お酒を飲んでは、吐血し、入院、また、家族への暴力をふるいます。

やがて、抗酒剤を服用することによって立ち直りの兆しが見えたものの、お寿司屋さんで食べた奈良漬けがきっかけで…という内容ですね。

最後には、コンビニのお酒コーナーに立ってしまわれます。

克服したと思っても、奈良漬けレベルが引き金になってしまうわけですね。

ブランデーの入ったケーキやチョコなども気をつけなければならないかもしれません。


他方、DVの渦中で原稿を書き続けていた西原理恵子さん。

鴨志田穣さんが寝静まってから書かれたそうですが、起きればまた声を荒げて…というのが日常だったそうです。

とはいえ、そのなかで彼の泥水をネタとした作品を描いていたわけですから、なかなか勇気がありますよね。

実際、原稿を「サクサクと」裂かれたそうです。

力作がいとも簡単に崩壊していくのは辛かったことでしょう。

しかし、彼女を支えたのは他でもないプロ根性だったそうです。

読者が喜ぶと思えば、筆を止めることはなかったそうです。

「プロなんだから」を念仏のように唱えながらの執筆活動…それを思えば、彼女の作品がより深く味わえるかもしれません。

他方、映画の中では、嫌いになれないという旨の西原理恵子さん(永作博美さん)のセリフもあります。

愛情もあったのは確かですね!

2003年に離婚されてはいるものの、その後も西原理恵子さんはアルコール依存症からの回復をサポートしていたそうです。

鴨志田穣さんに癌が見つかってからは高須クリニックの創業者である高須克弥さんの勧めもあり二人は事実婚という形で復縁。

二人三脚で癌と闘っていました。

鴨志田穣さんにとっては何よりも心強いサポートだったことでしょう。

今は高須克弥とパートナーとなっており、事実婚の状態です。

鴨志田譲さんのことを思って、西原理恵子さんが事実婚でも良いか尋ね、高須克弥さんが「YES!」と言ったのかもしれませんね。

西原理恵子さんと高須克弥さんの関係に関しては、彼女のエッセイ漫画『ダーリンは70歳』シリーズで知ることができます。

毎年、高須克弥さんが年齢を重ねるごとに改題されている凝りようです。

また、単行本は高須克弥さんの誕生日直前に毎年発売されているというところにも愛を感じますよね。

お二人はとても仲良く、良い関係性を続けているようですね。

写真は高須クリニックが化粧回しのスポンサーとなっており、化粧回しのデザインは西原さんがイラストをおこしているんですね。

ビジネスパートナーとしても良い関係なのでしょう。

鴨志田穣の死去

西原理恵子さんと共に懸命に病と闘った鴨志田穣さん。

しかし、2007年3月20日午前5時、腎臓癌で亡くなられています。

その際には西原理恵子さんが喪主を務めています。

「毎日かあさん」の「鴨ちゃん」としても人気だったことから一般の方にも向けたお別れの会も行われています。

お別れの会の参列者はおよそ1250人。

鴨志田穣さんが多くの人たちに愛されていたことが良く分かります。


鴨志田穣さんの遺灰は本人の遺言に従って一部を除き西原理恵子さんの子供の手で世界各国の海に流されました。

残った一部は鴨志田家に渡されたそうです。

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