西原理恵子の生い立ち。若い頃から苦労の連続。母・兄と過ごした幼少期&家族について

漫画界に名を広めた「ぼくんち」出版の数年後、自身の家族を題材にした漫画でその地位を不動のものとした人気漫画家の西原理恵子(さいばらりえこ)さん。

「毎日かあさん」の完結後に出版した「卒母のススメ」は子育てバイブルとも呼ばれ、子供を持つ多くの親に読まれてきました。

今回は西原さんの複雑な生い立ちや若い頃の苦労話など、家族のエピソードとともにお伝えしていきます。

西原理恵子のプロフィール

生年月日:1964年(昭和39年)11月1日

出身地:高知県高知市

最終学歴:武蔵野美術大学

漫画家デビュー作:ちくろ幼稚園(1988年ヤングサンデー)

作風:無頼派・叙情派

ジャンル:ギャグ漫画・家庭漫画・ギャンブル漫画

YouTube:「火鍋チャンネル」

西原理恵子の波乱万丈の生い立ちは生まれる前からはじまっていた

「波乱万丈の人生」と紹介され、作品も自身の人生を題材にしていることが多い西原理恵子(さいばらりえこ)さん。

その波乱万丈な生い立ちは母親のお腹の中にいる頃からはじまっていたようです。

ここからはそんな西原さんが上京するまで経験した数々の苦労、壮絶エピソードなどをお伝えしていきます。

母が西原理恵子を妊娠中に兄を連れて離婚

母親は西原さんを出産する前に離婚をしています。

西原さんは高知県高知市浦戸という母方の実家がある町で生まれ、6歳までを過ごしました。

実父はアルコール依存症だったと言われていますが、子供を出産する前に母親が離婚を選んだということは、余程の事情があったと想像できるのではないでしょうか。

生き別れた実父は一度も顔を合わせることなく、西原さんが3歳の頃に不慮の事故で亡くなっています。

そして西原さんが6歳の頃に母親が再婚しますが、この時再婚した義父が西原さんに大きな影響を与える人物となります。

しかし、その義父も「飲む・打つ・買う」を絵に描いたような人物で、父親ができたからといって生活が安定したわけではありませんでした。

義父がほとんど家に帰らずお金と女にだらしなかったため、両親の怒声が飛び交う家庭環境だったようです。

それは当時の土地柄が持つ貧困という背景も影響していたのかもしれません。

そのことは西原さんも「貧困と暴力が当たり前の環境」だったと語っており、幼少期から上京するまでの見たこと経験したことがのちの西原さんに大きく影響しています。

「私の田舎はとても貧しくて、子どもの頃、私の友達は大人たちから本気で殴られていた。」

インタビューや作品の中でも粗暴に表現することが少なくないその町のことは、西原さんにとって忘れたくても忘れられない情景なのかもしれませんね。

西原理恵子の生い立ちに大きな影響を与えた義父

一方で義父は西原さんのことを実子でないにも関わらず溺愛とも言えるほど大変にかわいがったそうです。

そんな義父のことを西原さんも「義父のおかげ」「義父は特別な存在」と語り、父娘の関係がとても良好だったことがうかがえます。

義父は自信を持てなかった西原さんに「お前は人と違う人生を行く」と励ましてくれたこともありました。

自分をかわいがってくれる優しい義父のことを「特別な存在」と語る理由が理解できるかもしれませんね。

高校生になった西原さんは卒業を目前とした3年生の時に、集団飲酒が原因で学校側から退学の処分を科せられてしまいます。

重すぎる退学という処分に納得できなかった西原さんは不服を申し立て、学校側を訴えることに。

そしてその時も「理恵子のことをいちばんよく知っているし信じている」と言い、弁護士や資金面など全面的に支援してくれたのは他でもない義父だったのでした。

「どうしても納得がいかないなら、裁判して闘ってみろ。オレは理恵子のことをいちばんよく知ってる。ずっと信じてるから」

この言葉は西原さんにとって、心強い最高のエールだったに違いありません。

裁判は2年続いたのち「和解」となり、退学させられた西原さんと同級生2人はその後「大学入学資格検定試験」を受験して見事合格しています。

一番の味方でいてくれた義父の姿は、西原さんのその後の人生で大きな影響を与え「自分が攻撃されたとき頑張って助けてくれた」その義父の姿こそが理想の男性だと語るほど。

義父が「お前は人と違う人生を行く」と言っていなければ、漫画家西原理恵子は生まれていなかったかもしれませんね。

生い立ちと若い頃の苦労が実を結んだ西原理恵子の努力

どんな時も味方でいてくれた義父の死が突然訪れたのは、西原さんが美大受験を目指し上京していた時のことでした。

それは義父が自死という最期で、しかもその日は西原さんの美大受験の前日という衝撃的な出来事だったのです。

西原さんは美大受験を諦めかけましたが、母親が「東京に行きなさい」と資金提供をしてくれたことで再び上京し、美大受験に向けて予備校へ通うことができました。

この再出発が漫画家西原理恵子が生まれるきっかけとなった第一歩になるとは想像もしていなかったでしょう。

予備校は一年通ったものの成績は決して良いものでなかったため、美大への合格は「絶対に無理」と思っていた西原さん。

しかし予想に反して武蔵野美術大学の合格を見事勝ち取ります。

西原さんはただ一年間を予備校で過ごしただけではありませんでした。

様々なアルバイトで生計を立てながら絵で食べていくことを模索していたのです。

西原さんはいくつもの出版社にイラストを持ち込むなどの営業をしていましたが、予備校生が出版社に自分を売り込むのは簡単なことではなかったはずです。

貧困や暴力という記憶が残る生い立ちを過ごした町への「今さら戻れない、田舎に帰りたくない」という強い気持ちが、西原さんを搔き立てたのでした。

「希望や夢があってここまでこられたのではなく、田舎に戻らないですむために自分で稼ごう、稼げれば殴られずに済むはずだという一心でした。」

諦めていた美大合格への道は、目的がそうではなかったにせよ西原さん自身の努力が切り開いた結果とも言えるのではないでしょうか。

美大へ通うようになった西原さんは、予備校に通っていた時と同じように出版社への営業を続けていました。

西原さんは美大の女子大生であることに加え、本文にツッコミをいれるという独特なスタイルが編集者やライターに喜ばれるようになり、大学3年時には30万円以上の月収を得るまでになります。

予備校でも美大でも特別な絵の才能を認められていたわけではなかった西原さんは、周りの才能を見て挫折を味わいました。

それでも自分を客観的に受け入れ必死に前だけを見つめていたからこそ、チャンスも逃さず努力の実を結ぶことができたのではないでしょうか。

生い立ちにある貧困と暴力の記憶から逃れるように、田舎へは帰りたくない一心で走り続けた女子大生が漫画家西原理恵子としてデビューしたのは、1988年の武蔵野美術大学在学中のことでした。

西原理恵子に壮絶家族エピソードあり

西原さんが語る幼少期の家族エピソードは義父が多くを占めており、実の母に関してのエピソードは義父ほど多くありません。

退学を巡った裁判時、協力的だった義父に対して母親は「みっともない」「世間体が悪い」「恥ずかしい」と言っていたといい、それにはとても傷ついたと西原さんは語っています。

義父を語る時とは少し温度差を感じてしまうかもしれませんね。

あるインタビューでは「母は怒鳴り散らしながら子育てをした」と話す一方で「どんな境遇でも母は仕事を辞めずに私を育ててくれた」とも語り、感謝という言葉こそありませんがそれを感じさせるものがあるのではないでしょうか。

「それでも私がここまで育ったのは、母親が何があっても仕事をして育ててくれたから。どんなクソみたいな男に引っかかっても仕事を辞めなかったから。」

西原さんが売れっ子漫画家になった後には、故郷から実母を自身の家に呼び寄せた時期もあったそうなので不仲というわけでもないようです。

家族に関しては一緒に幼少期を過ごしてきた兄のことも情報はほとんどありませんが、西原さんの娘さんのエピソードで叔父として登場しているため、兄妹の関係は現在(2023)も良好であると思われます。

西原さんは結婚後、自身が築いた家庭でも壮絶な経験をすることになりましたが、その家族エピソードを題材にした「毎日かあさん」で人気を不動のものとしました。

複雑な生い立ちから大成したあとも家族との苦労がついて回った西原理恵子さん。

どんな時も現実を受け入れ前を向き、困難を乗り越えてきた西原さんの「毎日が幸せ」という言葉には重みを感じずにはいられませんね。

自身の経験を通じ「女の子がいきていくときに、覚えていてほしいこと」(2017年)を出版した西原さんは、困難に飲み込まれず前を向き、自分で判断できる女性になって欲しいと切実に訴えています。

波乱万丈でも自ら人生を切り開き幸せを掴んだ漫画家西原理恵子さんの思いが、悩めるたくさんの女性に届いてくれると良いですね。

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