コラムニストとして辛口の批評を繰り広げ、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍した勝谷誠彦(かつやまさひこ)さん。
離婚した妻がいることは明らかになっていますが、その後、タレントの甲賀瑞穂さんが勝谷さんとパートナー関係にあることを公表して世間を驚かせました。
元妻とは誰なのか、子供はいるのか、また甲賀瑞穂さんとの関係は本当なのかを調べながら、弟ほか実家の家族についてまとめました。
勝谷誠彦が離婚した妻は森谷明子、子供は?
辛口コラムニストとして数多くの連載を抱え、『ビートたけしのTVタックル』『スッキリ!!』などのコメンテーターとしても知られた勝谷誠彦さん。
電通、文藝春秋の社員を経てコラムニストになった方で、文藝春秋記者時代はカンボジア内戦や湾岸戦争など国内外の報道を手がけていました。
『週刊文春』時代に発覚した女子高生コンクリート詰め殺人事件は勝谷さんの代表的なスクープです。
同誌は加害者少年の実名報道に踏み切り、物議を醸すことに。
被害者の状況に寄り添い、「獣に人権はない」と実名報道を強く訴えたのが勝谷さんでした。
近年も、毎朝配信される5000文字を超えるメールマガジン『勝谷誠彦の××な日々。』が熱烈な支持者を獲得していた勝谷誠彦さん。
2018年、57歳での急逝が心より惜しまれます。
【訃報】コラムニストの勝谷誠彦さん死去 57歳https://t.co/AqkEKPm0a4 pic.twitter.com/gv4HLmy7Ju
— ライブドアニュース (@livedoornews) November 27, 2018
自身の結婚についてはあまり多くを語らなかった勝谷さんですが、『勝谷誠彦の××な日々。』では別れた妻や家族のことがたびたび語られていました。
元妻は1961年生まれのミステリー作家・森谷明子さんです。
彼女は早稲田大学第一文学部の同級生であり、勝谷さんの言葉によれば、「私よりも優れた作家」とのこと。
森谷明子さんは2003年に『千年の黙 異本源氏物語』で鮎川哲也賞を受賞してデビューしていますが、結婚や離婚の正確な時期についてはわかっていません。
勝谷さんはまた、元妻との間に香子さんという娘がいることや、彼女が成績優秀で京都大学に進学したことも明かしていました。
メールマガジンでは香子さんのことを「上の娘」と呼んでいることから、おそらく子供は一人ではないのでしょう。
勝谷誠彦に内縁の妻(甲賀瑞穂)が発覚
森谷明子さんとの離婚後は、独身と公言していた勝谷誠彦さん。
ところが2017年7月5日、タレントの甲賀瑞穂さんが私生活でパートナー関係にあることをブログで突然公表します。
この日は勝谷さんが出馬していた兵庫県知事選開票日の3日後でした。
ブログの言葉にあるように、選挙終了のタイミングを待って公表したことは明らかですね。
【最後のお願い】兵庫の未来を決めるのは、政党の推薦でも、組織や団体の支援でもありません。あなたの一票が兵庫を変えます。だからこそ、明日、必ず投票に行ってください。私たちのふるさと兵庫を、勝谷まさひこに託してください!#勝谷誠彦 #兵庫県知事選挙 #兵庫県知事選 pic.twitter.com/huIVWjwtKO
— 勝谷誠彦 (@masahikokatsuya) July 1, 2017
甲賀瑞穂さんは『ViVi』のモデルや女優として活動した経歴があり、結婚を経て、2001年4月からは『トゥナイト2』に出演していました。
番組では勝谷さんが担当するコーナーのアシスタントを務めていましたが、まもなく妊娠が判明し、半年で降板。
2004年には第二子を出産し、二児の母となったのち、2017年1月に離婚を発表しています。
勝谷誠彦さんとの関係がいつ頃からスタートしたのかは不明ですが、ブログでは、勝谷さんをパートナーとして一般的な形にこだわらずに人生を歩んでいきたいと事実婚宣言。
これは勝谷さんが他界する前年のことですから、訃報の知らせを受けた時の甲賀瑞穂さんのショックの大きさは想像に難くありません。
10月31日 【本日発売日】( •̀ω•́ )✧
【週刊ポスト 甲賀瑞穂グラビア写真掲載】 pic.twitter.com/Vnuufwbki6
— ぶんぶん@劇団甲賀 (@yamamoto3298) October 31, 2016
勝谷誠彦の弟ほか実家の家族について
勝谷誠彦さんは1960年12月6日、兵庫県尼崎市の開業医の家に生まれました。
医学を志した父・積治さんは大阪医科大学を卒業して勝谷医院を開業。
母・里子さんは資産家のお嬢様で、バレリーナでもあり、オードリー・ヘップバーンに似た美しい人でした。
勝谷さんの話によると、父親は面食いで、よく「ママきれいだろ、きれいだろ」と自慢したとのこと。
兄弟は2代目院長として勝谷医院を受け継いだ弟の友宏さん。
兄弟は上に兄もいたそうですが、この方は早くに亡くなったようです。
勝谷医院の跡取り息子として、両親から医学部進学を期待されていた勝谷誠彦さん。
ところが神戸大学医学部、日本医科大学、東京慈恵会医科大学に全敗。
医学部進学を断念したため、勝谷医院は、和歌山県立医科大学を卒業した弟・友宏さんが跡を継ぐことになりました。
コラムニストであり、コメンテーターであり、ジャーナリストであり、エッセイストであり、小説家でもあった勝谷誠彦さん。
マルチな才能の持ち主だからこそ、周りが放っておかなかったのかもしれません。
本当にやりたいのは小説と語ったことがあり、ようやく腰を落ち着けて執筆に取り組める年齢にさしかかったところでした。
太く短く生きた印象を抱かずにはいられません。
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