ハナ肇さん、植木等さん、谷啓さんに次いで、クレイジーキャッツの第四の男として渋い存在感をみせた犬塚弘(いぬづかひろし)さん。
グループには前身キューバン・キャッツ結成時から参加していました。
今回は2023年現在の状況や結婚、息子、いかりや長介さんのザ・ドリフターズとの関係についてお送りします。
犬塚弘のプロフィール
本名: 犬塚弘(いぬづか ひろむ)
生年月日: 1929年3月23日
身長: 179cm
血液型: A型
出身地: 東京府荏原郡大森町(現・東京都大田区大森)
最終学歴: 文化学院 社会学部
所属事務所: 境事務所
クレイジーキャッツのベーシストだった犬塚弘
1929年3月23日、東京都大田区大森で生まれた犬塚弘さん。
境事務所に所属しています。
本名は「弘」を「ひろむ」と読むそうです。
愛称はワンちゃん。
文化学院社会学部を卒業しています。
「男はつらいよ」シリーズなど俳優として広く知られていますが、かつてはハナ肇とクレイジーキャッツにベーシストとして在籍していました。
クレージーキャッツと表記する時もあります。
「かつて在籍していた」という言い方は正しくないかもしれませんね。
なぜならクレイジーキャッツは今に至るまで活動休止や解散を正式に発表していないからです。
メンバーのほとんどがこの世を去ってしまったため、活動できない状況にあるというのが本当のところでしょう。
父が貿易商で外国での仕事が多かったことから、ジャズをはじめとする海外の音楽に慣れ親しんで育ったという犬塚弘さん。
自然に音楽への興味が高まり、いくつかのバンドを経て、のちにクレイジーキャッツと改名するキューバン・キャッツに参加しました。
クレイジーキャッツは音楽にコントをミックスさせたスタイルで昭和の日本に笑いを振りまき、元気づけたコミックバンド。
バラエティの歴史を語る際、このグループを外すことはできません。
7ひきの
愛すべき
猫たち
😺😸😹😽😻😿😼 pic.twitter.com/CH3tefwXvf— Oiron♭9 (@oiron9) 2019年2月22日
メンバーは実力派のミュージシャンたちでした。
そんな彼らがおふざけ音楽を披露していたわけですね。
『シャボン玉ホリデー』などのバラエティ番組で人気が爆発し、出演映画も大ヒット。
『スーダラ節』『ハイそれまでョ』といったシングルも大当たりして一時代を築きました。
大人気なのにお金で苦労?
バンドの人気が上昇すると仕事も増えていき、仲間たちと忙しい日々を過ごしていたという犬塚さん。
人気があって仕事もたくさん舞い込むなら、相当な金額を稼いでいそうですよね。
ところが、実際はそんなにお金持ちではありませんでした。
忙しいけど、お金には苦労しました
次から次へと仕事が来るものの、犬塚さんたちはなぜかいつも薄給。
電車で移動したときに帰りの分がなくなり、ハナ肇さんと相談して知り合いの店からお金を借りたこともあったそうです。
それほどまで安かった理由について、犬塚さんは事務所の後輩たちの存在を想像しています。
当時の渡辺プロダクションは、歌手やタレントなどの新しい人材がどんどん入って来る状態でした。
バンドの人気が、事務所の人気にも影響したのかもしれません。
しかし、そんな状態だったからこそ、クレージーキャッツが稼ぐお金を新人たちに回していた可能性があるのだとか。
その結果、電車賃にも困るほどの金額しかもらえなかったのでしょうか。
真相は不明ですが、事務所を大きくするために意外な方法で新人を育てていたのかもしれませんね。
メンバーとはとても仲良し
90歳を過ぎていた2020年、週刊誌のインタビューに答えた犬塚さんは、かつての仲間たちについて話したことがあります。
クレージーにいたことは、私の誇りです。学があるやつが多かったし、みんないいやつでした。
メンバーはとても大切な存在であることがわかりますね。
特に、植木等さんと谷啓さん、桜井センリさんの3人は思い入れが強いのだとか。
あまりお酒が飲めない3人だったので、犬塚さんといろいろな意見を言い合うことができたそうです。
確かに、ひどく酔っぱらった状態だと、うまく話せないことがありますよね。
頭が回らないまま話しているうちに些細なことで喧嘩になるなど、さまざまな失敗をした人も多いのではないでしょうか。
その点、お酒が苦手なら度を越えて酔っぱらう心配はありません。
いつ集まってもまともな会話ができるというわけです。
犬塚さんは、そんな仲間たちが大好きだったのでしょう。
1人だけ残ったことには寂しさを感じているそうですが、クレージーキャッツのメンバーは、いつまでも犬塚さんを見守っているのではないでしょうか。
犬塚弘の現在
60年代の半ば以降はメンバーの単独活動が多くなったクレイジーキャッツ。
犬塚弘さんはコントから遠ざかり、俳優としてテレビドラマや映画に活動の場を移します。
「必殺」シリーズや連続テレビ小説などで名脇役ぶりを発揮していましたが、2019年秋、90歳の卒寿を機に俳優業引退を宣言。
少し前には脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)のため入院もしていました。
思考や話し方に衰えはないものの、下半身が少し不自由になっているとのこと。
犬塚弘さんは2023年現在、熱海市のシニア向けマンションで一人暮らしをしているそうです。
愛妻はすでに他界していますが、食事とケア付きのマンションで悠々自適な生活とのこと。
地元に親友もでき、芸能界の後輩も時おり遊びにきてくれるので毎日が楽しいと話しています。
最後の出演作となったのは、大林宣彦監督の『海辺の映画館-キネマの玉手箱』でした。
俳優業は引退しますが、今後もトーク番組などには出演する予定なのだとか。
無理をせずにマイペースで芸能活動を続けてほしいです。
クレージーキャッツ最後の生き残り、犬塚弘がクレージー伝説を語る。
それにしても驚いたのは「いぬづかひろし」ではなく「いぬづかひろむ」だった、ということ。皆が「ひろし」と読むのを訂正するのが面倒で、そのままにしていたとのこと pic.twitter.com/uIT7NCotu1— ANNEX (@annexxenna) 2017年9月8日
犬塚弘が結婚した嫁と息子は?
犬塚弘さんが愛妻・幸子さんと熱海市に移り住んだのは2011年。
その後、あまり体が丈夫ではなかった幸子さんはこの世を去りました。
幸子さんや息子については情報がなく、息子がいるという確かな証拠さえ得られませんでした。
妻は一般人だったため、訃報も大きく報じられることはなかったようです。
犬塚弘さんは芸能人である自分と家族との間に一線を引き、家族を守っていたように思えます。
クレイジーキャッツといかりや長介のドリフターズ
いかりや長介さんが率いたザ・ドリフターズは渡辺プロダクションの後輩でした。
当時をリアルタイムで知る人には弟分という印象が強いでしょう。
ですが、いかりや長介さんはクレイジーキャッツのメンバーと同世代にあたります。
そして、やはり進駐軍キャンプで鍛えられたバンドマンでもありました。
クレイジーキャッツがバトンを渡したのが同じミュージシャンのザ・ドリフターズだったというのが面白いですね。
先輩風を吹かせたり、人に偉そうに教えたりすることが嫌いだった犬塚弘さん。
長介さんからベースを教えてほしいと懇願された際に、気分でプレイすればいいんだよと濁してうまくかわしたのもそれを物語るエピソードです。
クレイジーキャッツと同じく現在も解散発表が出されていないザ・ドリフターズ。
最後の存命者がこの世を去った時に幕を引く形になるのでしょうか。
かつての盟友たちを一人ひとり見送ってきた犬塚弘さん。
伝説のコミックバンドの生き証人が最後の一人になってしまったことに寂しさを感じます。
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