長戸大幸はキーボードでの作曲に定評!氷室京介を見出した?稲葉浩志も世に輩出?織田哲郎とは不仲が?

大手音楽事務所ビーイングの創業者である長戸大幸(ながと だいこう)さん。
長戸大幸さんがいなければ日本の音楽シーンは世界に後れをとっていたかもしれません。

長戸大幸の作曲の極意はキーボード?

日本を代表する大手音楽プロダクションのビーインググループ。
最盛期と比べると数は減ったものの、今なお約40社もの子会社を抱える一大グループです。
そんなビーインググループの創業者が長戸大幸さん。


今では名プロデューサーのイメージが強い長戸大幸さん。
オーディションに応募し最終選考まで残り歌手デビューと新人ツアーへの出演が決まるなどミュージシャンとしての才能もありました。
ですが、裏方の方が面白いと感じたことで裏方に専念。
数々のアーティストに詩や曲を提供し、プロデューサーとしても手腕を発揮していきます。

そんな長戸大幸さんのプロデュース力の凄さが分かるエピソードがあります。
それは「謎」や「願い事ひとつだけ」等のヒット曲で知られる小松未歩さんを見出した時のこと。

元々は大手航空会社に勤務していたという小松未歩さん。
ビーインググループのビーグラム大阪の中途採用面接で長戸大幸さんにキーボードを使った作曲を勧められたそうです。
ミュージシャンではなく社員の募集で採用面接にきた小松未歩さんなので、当然ながらそれまで作曲の経験はありませんでした。

長戸大幸さんはなぜ小松未歩さんに作曲を勧めたのか。
それは小松未歩さんがそれまでのヒット曲はほぼ全て歌えるほどカラオケが好きだったから。

(引用)人間はインプットしたものしか、アウトプットしない(引用)

という理念を持つ長戸大幸さん。
ヒット曲を多く知る小松未歩さんは「ヒットするツボ」を心得ていると判断し作曲を勧めたそうです。

また、

(引用)作曲家は楽器が上手くない方がヒット曲をつくれる。(引用)

(引用)楽器の上手い人は楽器が巧くならなければならない過程でヒット曲以外の曲をコピーしインプットしている。よって大衆音楽ではヒット曲を書く作曲家は楽器の下手な人の方が多い。(引用)

という理念から作曲する時はキーボード1つだけで作曲するようにと指示しています。
楽器の演奏経験もなかった小松未歩さんは指1本だけで作曲を開始。

それから約4か月後に出来上がったのがデビュー曲の「謎」。
この時も小松未歩さんは指を2、3本つかっての演奏しかできなかったそうです。

その後の小松未歩さんはほぼ全ての楽曲の作詞作曲を行い、他のアーティストへの楽曲を提供するまでに。
小松未歩さんに作曲の才能があったことは間違いないですが、それをうまく引き出した長戸大幸さんのプロデュース力には脱帽ですよね。

氷室京介を見出した長戸大幸

日本を代表するロックシンガーと言えば氷室京介さん。
BOOWYで一時代を築いた氷室京介さんはBOOWY解散後もソロアーティストとして活躍。

2014年に両耳の難聴を患ったことが原因で2016年の「LAST GIGS」ツアーをもってライブ活動を無期限休止を発表した氷室京介さん。
ですが時間をかけてアルバムを作ると宣言しており音楽活動からの引退ではありません。
ソロアーティストでは最多となる東京ドームで12度も公演を行うなど記録にも記憶にも残る不世出のアーティストです。

そんな氷室京介さんを見出したのも長戸大幸さん。
1978年から1980年頃に活動しメンバーが流動的という珍しいバンドのスピニッヂ・パワー。
このグループの3代目ボーカリストとして氷室京介さんを加入させたのが長戸大幸さんなんです。
もちろんスピニッヂ・パワーはビーイング所属です。

氷室京介さんがボーカルを務めるようになったタイミングで精力的にプロモーション活動を行うもヒットとはならず。
その後、メンバーと事務所の話し合いによりスピニッヂ・パワーは解散となっています。

1981年に氷室京介さんはBOOWYの前身となる「暴威」を結成。
その後の活躍は皆さん知っての通りです。

スピニッヂ・パワーは成功しませんでしたが長戸大幸さんは氷室京介さんに光るものを感じていたのでしょう。

長戸大幸は稲葉浩志も世に送り出した

CD総売上枚数やシングル連続首位記録など様々な大記録を打ち立て続けるB’z。
B’zのボーカリストとして世代や性別を問わず支持されているの稲葉浩志さん。

ビーイングのボーカルスクールであるBeing音楽振興会に通っていたという稲葉浩志さん。
その才能に気付いたのも長戸大幸さんだったんです。

同じく才能を買いビーイングに所属させていた松本孝弘さんからバンド結成のためにボーカルを探していると相談されて稲葉浩志さんを紹介。
その後、松本孝弘さんと稲葉浩志さんはスタジオでセッションすると意気投合。
これがB’z結成の瞬間となりました。

秘めた才能をいち早く見抜く眼力を持つ長戸大幸さん。
所属アーティストから相談を持ち掛けられる人望も持ち合わせていたからB’zが誕生したといっても過言ではないでしょう。
もし、長戸大幸さんがいなかったら日本の音楽シーンは多大なる損失を被っていたことは間違いありません。

長戸大幸と織田哲郎は仲違いした?


作曲家、プロデューサーとして数々の名曲やアーティストを世に送り出している織田哲郎さん。
実はビーイングの創立に関与した人物でもあるんです。

(引用)2人の出会いが90年代以降の日本のポップ・ミュージックの歴史を作ったといっても過言ではない(引用)

と評される長戸大幸さんと織田哲郎さん。

当初はミュージシャンと並行して他のアーティストに楽曲を提供していた織田哲郎さん。
長戸大幸の弟である長戸秀介さん、北島健二さんとWHYというバンドで活動していた時期もありました。

そんな織田哲郎さんが本格的にプロデュース業を行うようになったのは1995年から。
織田哲郎さんがプロデュースしたミュージシャンで最大の成功と言われるのが相川七瀬さん。
長戸大幸さんが審査員を務めたオーディションに相川七瀬さんは合格し、織田哲郎さんがプロデュースすることに。

普通に考えると織田哲郎さんの所属事務所であるビーイングからデビューさせる所ですが、織田哲郎さんは相川七瀬さんをavexからデビューさせました。
その後、織田哲郎さんはビーイングを退社しています。

相川七瀬さんをavexから売り出したことが退社の原因と言われていますが、そもそも長門大幸さんと織田哲郎さんの間には確執があったとも言われています。


今では袂を分かつ結果となってしまった長戸大幸さんと織田哲郎さん。
日本を代表する名プロデューサーと稀代のメロディーメーカーである二人の決別が音楽業界に与えた影響は決して少なくないでしょう。
いつの日か二人が電撃的に和解をする日がくるのでしょうか。

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