定岡正二の現在(2023)。病気の噂、テレビを干された理由とは。歯がボロボロ?

元プロ野球選手とは思えないほどのいじられキャラだった定岡正二(さだおか しょうじ)さん。

タレントに転身したスポーツ選手の数少ない成功者と言えるでしょう。

しかし、その彼は2023年現在、メディア出演もやはり野球に関わるものが中心になっているようです。

そこから数年前には病気説も飛び交ったようですが、元気なようで一安心ですね。

ただ、タレントライフに区切りをつけた背景には、業界から干された疑惑もあるようです。

他方、心や体は元気そうな一方、その歯は心配の声が上がっていました。

定岡正二のプロフィール

愛称:サダ/へなちょこ・サダ/アイルトン・サダ/etc

本名:定岡正二

生年月日:1956年11月29日

身長:184cm

出身地:鹿児島県

最終学歴:鹿児島実業高校

所属事務所:オフィス ブルースエット

定岡正二の現在

かつて、鹿児島実業高校のエースとして甲子園を沸かせた定岡正二さん。

2020年には、同大会のレジェンド始球式にも呼ばれ、やはり野球人としての姿を見せていましたね。

そんな彼は、2023年現在、芸能界もさることながら、やはり野球メディアへの出演のほうが印象的です。

『週刊ベースボール』の『昭和ドロップ!』にて、コーナーを川口和久さん、篠塚和典さんという往年のスター選手たちとともにトークを展開されていますね。

カタい感じではなく、都内の飲食店で行われるこのいわば『座談会』のようなスタイルのこちら、定岡正二さんはすき焼き定食十六穀米がお気に入りだそうです。

思わず、食べたくなりますね。

お三方は、期待の新人から、昭和の野球界まで実に様々なテーマで話し合うのですが、なかでも意外なのは、開幕投手についてでしょうか。

ドラフト1位、鳴り物入りで巨人入りを果たした定岡正二さんでしたが、なんと開幕投手の経験はないといいます。

というのも、定岡正二さんは現役当時、西本聖さん、江川卓さんとともに三本柱と言われていました。


彼が一軍に定着したのが1980年で引退までの6年間、ずっと他のお二人が務めていたのです。

定岡正二さんご自身は、藤田元司監督から、いつでも開幕投手ができるからこそ、他の試合でとの旨を言われていたといいます。

1番若いからこそなのでしょうが、定岡正二さんご自身は、開幕投手こそ、遠い夢だった、味わってみたかったとの思いを吐露しておられましたね。

ただ、基本的にその語り口は明るく、時には、ツッコミを入れつつトークを回すなど、やはり引退後は芸能界でとんねるずに揉まれてきたさすがの手腕を見せておられます。

また、同年8月には、ゴルフでも活躍の場を見せていました。

「マルハンカップ 太平洋クラブシニア」において、本戦出場著名人のなかに彼の名前を確認することができます。

スコアは+29、113位タイではありますが、これは先ほどの企画で一緒だった篠塚和典さんよりも上でした。

定岡正二が病気?

28歳という若さで現役を引退した定岡正二さん。

その彼に病気のではないかと心配する声があるといいます。

ただし、定岡正二さんが引退した背景には、トレード拒否というものがあり、決して健康上の理由ではありません。

そこで、よく調べてみると、定岡正二さんの呂律が回っていないシーンがあり、それをみた視聴者のなかに、脳梗塞ではないかと彼の体調を不安視する人もいたということのようですね。

おそらく、彼が2018年に出演した日本テレビ系『有吉ゼミ』などでの模様も含めてと思われます。

ただ、脳梗塞という情報は報じられておらず、同放送回では、有吉弘行さんからも『ジジイになった』と言われていましたので、年齢に伴うものかつ、久々の全国ネットバラエティで緊張もあったのかもしれません。

かつてはその有吉弘行さんも、とんねるずにイジられていた1人から、親しみゆえのお言葉でしょうね。

ちなみに、脳で言うならば、定岡正二さんのキャラを立たせた珍回答、『クイズダービー』などに出演すると、今で言う『脳筋』、つまり脳が筋肉でできているとイジられていましたね。

呂律が回らない点は多少心配は残るものの、支離滅裂な答えを言う場合は、昔から彼の個性でありました。

定岡正二が干された理由とは

現役引退後は、芸能界で活躍された定岡正二さん。

とくに日本テレビ系『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では、数々の伝説を打ち立てましたね。

とんねるずに負けて、関わらず、負けて丸坊主になるなど芸人さんばりの罰ゲームにも耐え、時には、体重300kgもあろうかという牛との闘牛、ゴーカートでは、あのアイルトン・セナさんとも勝負しています。

この結果、ついたあだ名が『負け犬・サダ』や『アイルトン・サダ』、『へなちょこ・サダ』など多岐にわたりました。

その人気ぶり、活躍ぶりからは、同番組放送後も、もっとオファーがあってよかったのかもしれません。

しかし、意外にもその後の番組出演は激減しました。

この背景には、『干された』とする見方もあるようです。

これを唱えるコアなファンの方々によれば、フジテレビの番組で生まれたギャグをTBS系の、スポーツ報道番組でも披露したことが、プロデューサーの逆鱗に触れたと言われています。

ただ、この辺りは諸説あり、『生ダラ』なら日本テレビのプロデューサーを怒らせたのではないのかや、ギャグ発祥の番組プロデューサーが怒ったからなど、一定しません。

とにかく、バラエティのギャグを真面目なスポーツ報道番組で披露して怒られて干されたということは、共通していました。


定岡正二さんとしては番組を盛り上げようとしてやったことなのでしょうが、出しどころを間違えたということでしょうか。

他方、元来巨人の三本柱で甲子園のプリンスだった定岡正二さん。

『生ダラ』も終了してからは、やがて、イザワオフィスとの契約も満了、ご自身の希望で野球に携わる活動へシフトされています。

とくに、地元鹿児島の野球振興に尽力され、クラブチーム・現・鹿児島ドリームウェーブの発足に携わり、監督に就任されていました。

とんねるずとの出会いで芸能界で大ブレイクしましたが、ご本人としては、元々芸能界入りに否定的だったという旨の報道もありますし、やはり野球への恩義も感じていたゆえの自主的フェードアウトだったと言えるのではないでしょうか。

定岡正二の歯が心配?

今なお目視できる定岡正二さんの健康面で不安な点というのが、歯がボロボロというところですね。

これは、ある意味、『職業病』と言えるでしょうか。

野球選手、とくに投手の場合は、投球時に思いっきり歯をくいしばるため、将来的に歯がボロボロになってしまう方は多いといいます。

そのため、定岡正二さんと同じく甲子園のスター選手となった日本ハムファイターズ・吉田輝星投手は、なんと高校時代からマウスピースをつけて練習・試合に臨んでいたそうです。

こういう器具の取り入れ、発達というのも、時代なのでしょうね。

ただ、2018年の日本テレビ系『有吉ゼミ』に出演した際には槙原寛己さんとともに大食い企画にトライしておられました。

現役当時白米12杯完食を誇った彼が、4kg超のチキンライスに挑み、見事、61歳にして2kgまで食べられたわけですから十分ではないでしょうか。

義歯で補いながらという話もあるそうですが、胃袋の限界まで噛める定岡正二さんの歯は、現役当時の彼と同じくスタミナも豊富なようです。

好きな定食が、すき焼き定食『十六穀米』というのも心強いですね。

定岡正二は甲子園スターから巨人へ


毎年のようにスターが現れる甲子園。

元プロ野球選手の定岡正二さんも甲子園で圧倒的な人気を誇っていました。

エースとして鹿児島実業を鹿児島県勢としては初となるベスト4に導いた実力に加えて端正なルックス。

この二つを兼ね備えていれば人気が出ないわけがありません。

1974年のドラフト会議で読売巨人軍から1位で指名された定岡正二さん。

プロの世界は厳しく思うように結果が出ませんでしたが1980年に初勝利を含め9勝とブレイク。

1981年、1982年は江川卓さん、西本聖さんと共に三本柱の一人として活躍しました。

プロとして結果を残し始めた定岡正二さんですが1983年に腰痛を発症。

落とした調子が戻ることはなく1985年にトレード要員となったことで29歳という若さで引退を決意。

引退会見の場で

芸能界には入らない

と発言していた定岡正二さん。

引退後はスポーツキャスターとして活動していましたが、その後イザワオフィスに所属するタレントに。


タレントとしての転機となったのがバラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」。

同番組に出演した時に「おちゃのこさいさい」を「へなちょこさいさい」と言い間違えてしまったことで「へなちょこサダ」と呼ばれるように。

いじられキャラが定着した定岡正二さんは番組の準レギュラーとなり、その後も多くのバラエティ番組に出演するようになりました。

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