今回取り上げるのは、『青い山脈』など戦後を代表する映画で知られる俳優の池部良(いけべりょう)さんです。
永遠の二枚目スターといわれ、また名エッセイストとしても多くの人を楽しませてくれました。
最近ではディーンフジオカさんと顔だちがそっくりと話題を呼んでいますね。
そうした息子説とともに、池部良さんの子供や妻のこと、また高倉健さんとの関係についてお送りします。
池部良に子供はいる? ディーンフジオカは息子?
1918年生まれの池部良さんは、2010年、92歳でこの世を去りました。
1941年に立教大学を卒業し、東宝に入社。
監督志望でしたが、戦時下の作品制作数の減少で助監督の空きがなく、当時、子役の大スターだった中村メイコさんの子守りを命じられます。
その中村メイコさんが池部さんの二枚目ぶりを絶賛し、俳優としてデビューすることに。
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今井正監督、市川崑監督といった巨匠に多く起用されました。
出演作に『青い山脈』『雪国』『昭和残侠伝』シリーズ、『駅 STATION』『居酒屋兆治』などがあります。
ネット上には昭和の名優たちの画像が掲載されていますが、2010年に他界した池部良さんの若い頃がイケメンだと話題です。
ディーンフジオカさんに似ているという声が多いですね。
並べて比較した画像もありますが、確かによく似ています。
涼しげな目元に、すっと通った鼻筋。
知的で都会的なルックス。
もちろん二人は親子ではありませんが、ディーンフジオカさんが池部良さんの息子、あるいは孫であっても違和感は全くありません。
終生愛妻家だった池部良さん。
夫に献身的に寄り添っていた妻の美子さん。
二人の間に子供はいたのでしょうか。
調べてみましたが、池部良さんに息子または娘がいたという情報はありませんでした。
池部良の妻はどんな人?
池部良さんは二度結婚しています。
1948年に女優の羽鳥敏子さんと結婚しましたが、離婚。
1960年に18歳年下の一般女性、美子さんと再婚しました。
猫好きの二人は、シャム猫が縁で交際がはじまったのだとか。
夫婦仲は終生良好だったようです。
池部良さんは、三年前に肺炎になってから入退院を繰り返していましたが、「生涯現役」が口癖で、病室に万年筆と原稿を持ち込んで執筆を続けていました。
もう一度、手作りの料理を食べさせてあげたかったという美子さん。
池部さんがまだ食事をとることができたころ、美子さんは毎日欠かさず手作りの料理を持って病院に通ったといいます。
そんな愛妻のことを、池部さんは病床にありながらも気遣っていたようです。
毎日お見舞いに行っていたのですが、ちょっと私の姿が見えないと、看護婦さんに『美子の姿がない』といって心配したり。
池部良と高倉健の関係
高倉健さんを一躍スターダムに押し上げた『昭和残侠伝』シリーズ。
全9作が制作されましたが、印象的なシーンは、高倉健さん演じる秀次郎の殴り込みの場面です。
その道すがら、物陰からスッと現れて、「ご一緒、願います」と助っ人を申し出たのが池部良さん演じる風間重吉でした。
ここで「唐獅子牡丹」のテーマ曲が流れます。
高倉健さんとの二枚看板で大ヒットしましたが、出演を打診された時、池部良さんは難色を示したといいます。
妻の美子さんが反対したことと、池部さんが日本映画俳優協会の理事長だったことが理由でした。
理事長がやくざ者を演るってのはどうも…
と渋る池部さん。
出演を決めたのは、東映任侠映画のプロデューサー・俊藤浩滋(しゅんどうこうじ)さんの説得でした。
俊藤プロデューサーは池部さんの前の畳一畳を隔てた向こう側に正座して、こう頼みこんだそうです。
うちの高倉健を池部良さんのお力で男にしてやってもらえまへんやろか
2001年に出版したエッセイ『心残りは…』の中で、池部さんは当時のことを回想しています。
出演料を三倍にしてもらいたいと言うのを忘れた
どの作品でも、その美男ぶりが際立っていた池部良さん。
年齢を重ねても、スマートでダンディな佇まいは健在でした。
これを機会に、池部良さんの出演映画を鑑賞してみてはいかがですか。
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