『世界のミフネ』と呼ばれる名優、三船敏郎(みふね としろう)さん。
黒澤明監督の作品に多く出演していた三船さんは当時から大スターでした。
そんな三船さんですが、再婚して家族もいて幸せに過ごしていたのかと思いきや実は寂しん晩年だったんだとか。
三船敏郎のプロフィール
生年月日:1920年4月1日
出身地: 膠州湾租借地(現:中国山東省青島市)
血液型:O型
身長:174cm
最終学歴: 大連市第二十四中学
三船敏郎は喜多川美佳と泥沼不倫をしていた。
1950年、東宝ニューフェイスの同期だった女優・吉峰幸子さんと結婚した三船さん。
その後2人の男の子に恵まれたのですが、自身が設立したプロダクションに所属していた女優・喜多川美佳さんと不倫関係となります。
喜多川さんとは年の差なんと28歳!そしてその不倫の期間中に妊娠もされました。
そのお子さんがタレントの三船美佳さんなんですね。
三船さんは何度も離婚訴訟を起こしていましたが、幸子さんは応じませんでした。
その間に喜多川さんも含め三船プロの内紛が起き、プロダクションは縮小。
結局離婚に幸子さんは応じることがなかったので、喜多川さんは内縁の妻となったようです。
三船さんは公の場に喜多川さんを「妻」として連れていて世間からも三船さんの奥さんは幸子さんではなく喜多川さんと認識をされていたようです。
三船敏郎の晩年は寂しい?
名俳優として名を馳せた三船さんですが、その晩年は寂しいものだったと言われています。
幸子さんとの離婚が成立しないまま喜多川さんを妻として同伴させていた三船さんですが、1992年に心筋梗塞に倒れてしまいます。
そしてそれを機になんと喜多川さんから関係を解消されてしまったんです。
看病が必要な体のまま捨てられてしまった三船さんですが、その三船さんの面倒をみてくれたのが、本妻の幸子さんでした。
三船さんの酒癖の悪さから別居が始まり、その後不倫もあったものの、幸子さんはずっと三船さんを想っていたのかもしれませんね。
そして1995年に幸子さんが亡くなり、その2年後三船さんも亡くなりました。
せっかく名作に数多く出演していた大スターなのに、語り継がれているのはこの不倫や晩年の話ばかりというのが残念です。
三船敏郎の死因は?
心筋梗塞で倒れてから体調がすぐれないことが多かったという三船さん。
1990年頃からは軽い認知症も患っていたそうで、1995年に出演した作品が最後となったそうです。
そして1997年、全機能不全のため亡くなられました。
このニュースは日本だけでなく海外でも報道されるなど大きなニュースとなりました。
そして三船さんが亡くなったあとも作品は世界中で評価され続けています。
ちなみに亡くなる直前まで息子さん家族と一緒に住んでいたのですが、普段あまり話さなくなった三船さんが突然「今日は天気がいいな」と息子さんに話しかけたそう。
その言葉を最後にどんどん病状が悪化して、医者からも「そろそろ‥」と言われて昔からの友人を呼んだりして最後を過ごしていたんだとか。
三船敏郎の家族は現在…
三船さんには幸子さんとの間に2人のお子さんがいました。
長男の三船史郎さんはお父さんと同じく俳優の道に進み、三船プロダクションの社長もされています。
成城大学出身で海外に住んでいた時期もあるそうです。
ご本人はあまり三船敏郎の名を出さずにお仕事をしているようで、そんなところも好感が持てますね。
現在も社長兼俳優として活躍しています。
次男の情報は全くないので、芸能活動はしていないようですね。
三船美佳さんとは異母兄弟ということになりますが、ちょっと複雑なので交流はなさそうですね。
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