デビューから35年になる現在も女優として第一線で活躍する南果歩(みなみ かほ)さん。
今回は、南果歩さんの韓国にまつわる生い立ちを取り上げます。
本名、出身、両親のこと、ハーフ説についてまとめました。
南果歩は韓国籍?
デビュー作『伽倻子のために』(かやこのために)で、在日コリアンの家庭に育った日本人少女を演じた南果歩さん。
この映画のオーディションを受けたのは日本に帰化して間もない19歳の時でした。
南果歩さんは2007年1月11日放送の『スタジオパークからこんにちは』で母親が韓国人であることを公表。
在日3世として生まれ、自分のルーツを知りたいと思い続けてきたそうです。
2012年12月24日に放送された『ファミリーヒストリー』では、そのルーツをたどる旅として母方の一族にフォーカス。
南家の歴史は唐の時代、玄宗皇帝に仕えた大金鐘という人物にさかのぼります。
金大鐘は使者として日本へ渡航しましたが、帰りの船が難破して朝鮮半島に漂着。
ナム・ミンと改名して新羅の王に仕えました。
ナム(南)という姓は中国の汝南の出身であることに由来。
時代が下り、子孫のナム・ケジョは豊臣秀吉の朝鮮出兵でチョンソン郡へ逃げ、同地で一族は代を重ねます。
南果歩さんの祖父・ナム・ウンラクさんもこの地の出身でした。
武道具を作る仕事についたウンラクさんは、チョ・キョンナムさんと結婚。
翌年に南果歩さんの母・チャンシクさんが誕生。
1937年、ウンラクさんは報酬のよい日本へ渡ります。
やがて妻・キョンナムさんが病気に倒れ、死去。
ウンラクさんは懸命に働き、子どもたちを独立させました。
南果歩さんの祖父母は現在、故郷の地に眠っています。
南一族1300年の歴史を初めて知った南果歩さんは、
いろいろなめぐり合わせでここにいる
他の人生は考えられない、だからこそいいのだ
と感慨深げに語りました。
南果歩の出身と本名
南果歩さんは5人姉妹の末っ子として、兵庫県尼崎市に誕生しました。
姉が4人いたこともあり、とてもませた子どもで、小学校低学年の頃から中原中也を読み、大人向けの映画やドラマに夢中だったそうです。
中学時代はテニス部員でしたが、 貧血症だったためトレーニングで毎日倒れて3か月で退部。
名前については、在日3世と明かしていることから、一部では「南果歩」は通名ではないかと思われているようです。
しかし、渡辺謙さんと婚姻関係にあった時の本名は「渡辺果歩」。
「南果歩」は本名のようですね。
これとは別に韓国名があるかどうかについては不明でした。
デビュー作は在日コリアンの青年と日本女性の恋を描いたもの。
オーディション時の南果歩さんについて、小栗康平監督はこう振り返っています。
あるとき、一風変わった女の子がオーディションを受けにきた。
素人だったが、在日の夫婦に育てられる日本人少女の設定にふさわしい雰囲気をもっていた。
多分在日コリアンだろうと直感した
自身のルーツゆえに作品世界を理解できた南果歩さんだからこそ、深みのある演技ができたのでしょう。
南果歩はハーフ? 両親は?
南果歩さんの父親は建築会社を経営していたものの、事業に失敗。
一家は住む家を失うことになりました。
南さんが7歳の時に両親は離婚。
母・直江(チャンシク)さんは喫茶店を開き、父親の役割も務めながら、細腕で5人の子どもたちを育て上げます。
父親については残念ながらほとんど情報がないため、日本人か在日コリアンかは不明です。
南果歩さんは「母親が韓国人」と告白し、父親には触れておらず、前夫の渡辺謙さんも、
韓国と縁が深いんですよ。
妻の母親が韓国人です
と発言していることから、父親は日本人と考えるのが自然かと思われます。
だとすれば、南果歩さんは日韓のハーフということになりますね。
海外映画にも出演している国際派女優でもある南果歩さん。
将来はスクリーンにとどまらず、これまでの文筆業を生かした文化的活動など、さらに幅広いフィールドでの活躍を期待したいです。
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