演歌歌手の枠を越え、バラエティ番組にも登場する瀬川瑛子(せがわえいこ)さん。
50代にしてミニのウエディングドレス姿で結婚式を挙げたことも注目を集めました。
そんな瀬川瑛子さんの父・瀬川伸さんもまた、一世を風靡した歌手だったそうです。
この記事では、父親の瀬川伸さん、母親と韓国・中国との関係、年収について調べました。
瀬川瑛子の父は往年の歌手・瀬川伸!
瀬川瑛子さんの父・瀬川伸さんは戦前、戦後に活躍した歌手で、NHK紅白歌合戦がまだラジオ放送だった頃に出場しています。
親子2代で紅白出場を果たしていたのですね。
柔らかい声質で叙情的に歌うため軍歌には不向きで、戦争中は鳴かず飛ばずだったようです。
戦後になると、マドロスや股旅(またたび)歌謡でヒットを飛ばして人気歌手になりました。
瀬川伸さんの夢は娘を歌手にすることだったといいます。
人気歌手の次女として誕生した瀬川瑛子さんは、幼少時から英才教育を受け、小学生の頃から父親のステージの前座を務めていました。
父・瀬川伸さんに教え込まれた演歌の歌心には「進んで許されざる恋を学びなさい」というユニークなものもあったそうです。
瀬川瑛子さんはそれ以来、いつ男性に誘われてもいいように勝負下着を持参していたとのこと。
こうしたことを娘に勧める父親もすごいですが、「許されざる恋=勝負下着」と脳内変換する娘も負けていませんね。
DNAを感じます。
後年、多くのものまね芸人にネタにされるようになった時、瀬川瑛子さんはとても喜んでいたとのこと。
これも父の教えでした。
瀬川伸さんは戦前から自分のファンであったたか子さんという女性と結婚。
2004年2月29日にたか子さんが他界すると、2週間後の2004年3月14日、後を追うように亡くなりました。
その時、瀬川瑛子さんは1か月公演の最中だったそうです。
瀬川瑛子の母親は韓国人?中国人?
瀬川瑛子さんは東京都渋谷区の出身であり、父・瀬川伸さんは北海道函館市の出身です。
母・たか子さんは韓国人か中国人なのではないかという声があるようですね。
たか子さんに関しては、瀬川伸さんの大ファンだったということ以外はわかっていません。
仮にたか子さんの出自に関する噂が本当だったとしても、瀬川瑛子さんが日本国籍だということはまず間違いないでしょう。
瀬川瑛子の年収は?
演歌業界は1曲ヒットすればその曲だけで食べていけるとよくいわれますね。
知名度が上がれば地方公演や舞台公演のオファーが入りますし、ディナーショーも大きな収入源になるでしょう。
なにより演歌はJ-POPとくらべて楽曲の寿命がはるかに長いです。
石川さゆりさんは『津軽海峡冬景色』『天城越え』など、大ヒットと呼ばれるのは数曲。
山本譲二さんは『みちのく一人旅』で30年以上もその地位を保っています。
商業的にみて、どうやらJ-POPとは一曲の重みがかなり異なるようです。
CDの売り上げ不振が続く中、見直されているのが演歌歌手の活動スタイルだそうです。
また、多くの演歌歌手は、タニマチと呼ばれる有力後援者の後ろ盾も持っています。
瀬川瑛子さんは2017年9月のテレビ番組で、「歌手は儲かるか」という質問に「YES」と答えたうえで、次のように話していました。
『命くれない』までの20年間は5万円。
ヒット作が出たらボンッと入った。
気になる年収を調べたところ、瀬川瑛子さんについては情報が一切なく、推定年収は不明でした。
ちなみに、大御所・北島三郎さんは2億6000万円、森進一さんは1億9000万円でした。
あくまで推定年収です。
ファンからのプレゼントでベンツをもらったことがあるという瀬川瑛子さん。
歌謡界でのし上がっていく人はほんの一握り。
多くの演歌歌手がヒット曲を生み出そうと1曲1曲に魂をこめて歌っているのでしょう。
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