かつて愛娘・梅宮アンナさんと羽賀研二さんの交際に反対し、「アンナパパ」と呼ばれてワイドショーの顔になった梅宮辰夫(うめみやたつお)さん。
近年は孫を溺愛するおじいちゃんキャラがすっかり定着していました。
近年は激痩せが心配されていましたが、再びがんを患っていたようです。
今回は2019年12月に死去された梅宮辰夫さんの度重なる病気との闘い、透析、入院について取り上げます。
梅宮辰夫がまたがんの手術!今度は透析も?
痩せ細った姿に心配の声があがっていた梅宮辰夫さん。
2019年3月11日に81歳を迎えていました。
同月、梅宮辰夫さんは6度目となるがんとの闘病や人工透析を受けていることを週刊誌で公表。
俳優としての華々しい活動の裏で、何度もがんに見舞われてきたことを語りました。
正直なところ、自分の「がん」について語るのは気が進まなかったんです。
芸能人はイメージ商売だから、ひとたび「病気」が知れ渡ると俳優生命を脅かしかねません。
溌剌とした役柄は演じづらくなるし、ロケの途中で倒れることを撮影スタッフに心配されて、キャスティングの段階で外されてしまうかもしれない。
ただ、ここに来て僕自身の考え方が少し変わってきました。
がんを6回も克服し、80代という高齢を迎えた梅宮辰夫さん。
もう病気を隠し立てする必要はないだろうと思ったのだそうです。
むしろ闘病について洗いざらい話すことで、がんと闘っている人やその家族にエールを送りたいと思うようになったのだとか。
この記事を受けて、娘の梅宮アンナさんも会見を開くとともにブログで報告。
毎回、今回は駄目かなと思うけど、今回も復活した。
退院の10日前には元気になり、自動車免許の高齢者講習に行く、大丈夫だって話してます。
梅宮辰夫さんは手術で片方の腎臓を摘出したため、週3回、毎回4時間の人工透析を受けていました。
医師の指導で塩分を控えた食事をしていたそうです。
若い頃から美食家として知られるだけに、食事制限はつらかったのかもしれませんね。
梅宮辰夫の病気との仁義なき戦い!入院や手術は?
初めてがんが発覚したのは1974年でした。
30代半ばでの睾丸腫瘍。
これが左肺に転移して、肺がんに。
この時は抗がん剤や放射線治療が功を奏して治癒しました。
これ以降、梅宮辰夫さんは夜遊びをやめ、酒量を減らし、早起きして料理に励むようになったそうです。
自身の健康に常に気を配り、毎年の精密検査を欠かさず受けていました。
アンナさんの言葉を引用します。
検査の度、小さな腫瘍が見つかります。
毎回早期発見になるので、大事には至らずに済みます。。
それ以来30年近くこのような方法で、身を守ってきまして。。
その後は胃がん、さらに十二指腸乳頭部がんが見つかり、70代後半にして11時間の大手術に臨みました。
2018年9月、前立腺がんでは体に負担の少ない手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」を使用した手術を受け、約1カ月で退院。
そして2019年1月、経過観察で尿管がんが発覚し、24日に手術で左側の腎臓を摘出。
約40日間の入院生活を送りました。
妻のクラウディアさんも膠原(こうげん)病を患っていたことから、同時期に同じ病院に入院していたようです。
アンナさんは、梅宮辰夫さんの体質についてこう言及。
がん体質なので3カ月に1回、大腸と胃にポリープができる状態を何十年もやっているので…。
そのたび、3カ月か半年ごとに内視鏡でとっている。
壮絶な闘病生活をほとんど表には出さずに仕事を続けていた事実に驚かされますね。
梅宮辰夫がドラマに復帰!
がんに打ち克つたびに復帰を果たしてきた梅宮辰夫さん。
メディアへの露出こそ少なくなってはいますが、「このまま芸能界を去るのは癪」と、悠々自適な隠居生活を送るつもりはないようです。
2019年7月には、『やすらぎの刻(とき)~道』で1年10か月ぶりにドラマに復帰。
旧友の倉本聰さんの依頼を受けて快諾したもので、令和初仕事となりました。
60年のキャリアで幽霊役は初挑戦だったそうです。
復帰への意気込みは、昭和のビッグスターの役者魂でしょうか。
もちろんそれもあるでしょうが、一人娘アンナさんのためでもあるように思えます。
アンナさんが芸能界でもう一度ブレイクするために、自らが現役でい続け、後ろ盾になりたいという親心があるのかもしれません。
がんと闘っている人や、その家族にエールを送りたいという思いから公表に踏み切った梅宮辰夫さん。
苦しいがん闘病を繰り返しながら、強面の「辰兄(たつにい)」であり続けた強さははかり知れませんでした。
親友だった松方弘樹さん、山城新伍さん、渡瀬恒彦さん、菅原文太さんと天国で再会していることでしょう。
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