市川團十郎の死因はフグ中毒死でなく自殺?家系図の真実&妻について。勘三郎とは正反対

歌舞伎の名跡の中で最も権威があると言われる「市川團十郎」。
その名跡の権威を最も高めたのは八代目 市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)さんかもしれません。

市川團十郎(8代目)の死因はフグ中毒死?

古くから襲名制度が取られている歌舞伎の名跡。
数多くある名跡の中で最も権威があると言われているのが「市川團十郎」。

2020年5月に市川海老蔵さんが「十三代目 市川團十郎」を襲名する事が発表されると大きな話題となりました。
現在の歌舞伎界を代表する一人である市川海老蔵さん。


それでも「市川團十郎を襲名するのはまだ早い」という声も聞こえてきます。
この事からも「市川團十郎」が如何に偉大な名跡であるかが分かりますよね。

代々、その時代を代表する歌舞伎役者が襲名してきた「市川團十郎」。
ですが歴代の中でも最も人気を博したのが八代目の市川團十郎さん。

天保から幕末に活躍した八代目 市川團十郎さんは生後僅か一か月で「二代目 市川新之助」として初舞台を経験。
3歳の頃に「六代目 市川海老蔵」を襲名すると10歳という若さで「八代目 市川團十郎」を襲名しています。

10歳で「市川團十郎」を襲名するなど歌舞伎役者として桁外れの存在だった八代目 市川團十郎さん。
歌舞伎役者としての才能と美貌を兼ね備えていた市川團十郎さんの人気は今のアイドルの比ではありません。

舞台で身を沈めた桶の水が今の価値で1瓶3000円で販売されると凄まじい売れ行き。
市川團十郎さんの痰を「團十郎の御痰守」として販売する人もいたそうです。

そして市川團十郎さんは16歳の頃に江戸歌舞伎の最高責任者に就任。
名実ともに歌舞伎界のトップとなりました。

若くして歌舞伎界のトップとなった市川團十郎さん。
これから先、様々な経験を積むことでどんなに素晴らしい役者になるのか、多くの人々が注目していたことでしょう。

ところが市川團十郎さんは31歳という若さで亡くなってしまいます。

何の因果か、「市川團十郎」を襲名した役者が非業の死を遂げる人は少なくありません。
八代目 市川團十郎さんも例外ではなかったようです。

そこで気になってしまうのが市川團十郎さんの死因。

市川團十郎さんの死因がフグ中毒、という噂もありますがこれは誤り。
フグ中毒で亡くなっているのは同じ八代目の坂東三津五郎さん。

市川團十郎さんの本当の死因は自殺と言われています。

江戸歌舞伎の最高責任者となった市川團十郎さんに対して父は天保の改革により江戸を追放され大阪へ。
市川團十郎さんは父を訪ねて大阪に滞在していた時に自殺しているんです。

自殺した当日、市川團十郎さんは父と大阪の舞台に出演。
江戸歌舞伎の最高責任者なのに大阪の舞台に出演した事を不義理に感じた事が自殺の原因という説が有力なようです。

当時、歌舞伎役者が亡くなった時に死絵というものが描かれていました。
多くの歌舞伎役者は死絵が約80種類だったのに対して市川團十郎さんは300種類もの死絵が描かれたそうです。

市川團十郎(8代目)の家系図から分かる意外な事実

襲名制度が取られる歌舞伎界では父の名跡を子供が受け継ぐという事が良くあります。
中村勘太郎さんの「六代目 中村勘九郎」襲名や市川染五郎さんの「10代目 松本幸四郎」が記憶に新しいですよね。

親から子へ血と共に芸も受け継がれていく。
これが歌舞伎が伝統芸能として発展し続ける要因の1つである事は間違いないでしょう。

稀代の人気歌舞伎役者である八代目の市川團十郎さん。
血筋も脈々と受け継がれてきたと思いきや「十三代目 市川團十郎」を襲名する市川海老蔵さんとは血が繋がっていないんです。

市川海老蔵さんの祖父である十一代目の市川團十郎さんは実は養子。

「襲名制度=世襲制度」ではありません。
名跡を継ぐに値する人であれば養子縁組をして一家に迎え入れる事も珍しくありません。。

十一代目 市川團十郎さんの実の父は七代目 松本幸四郎さん。
父の師匠の娘婿にあたる十代目市川團十郎さんに望まれて十一代目 市川團十郎さんは養子になったんです。

このように八代目 市川團十郎さんの血筋は市川海老蔵さんには受け継がれていません。
ですが芸や責任の重さ、人気の高さは間違いなく受け継がれています。

「市川團十郎」という大名跡を大きくするも小さくするも市川海老蔵さん次第。
ですが、きっと「市川團十郎」の名に恥じない活躍をしてくれる事でしょう。

市川團十郎(8代目)に妻はいたの?

若くして責任ある地位に就いたために早逝してしまった八代目 市川團十郎さん。

決して長いとは言えない生涯でしたが市川團十郎さん妻はいたのでしょうか。
調べてみても市川團十郎さんに妻がいた、という情報は見つかりませんでした。
「市川團十郎」の屋号である「成田屋」のサイトを見ても八代目 市川團十郎さんが結婚していたという記載はなし。


また、九代目、十代目の市川團十郎さんも八代目の子供ではありません。
もし八代目 市川團十郎さんに子供がいれば「市川團十郎」を襲名しているはず。

これらの事から八代目 市川團十郎さんは結婚していないと思われます。
大名跡「市川團十郎」としての役割を全うするためには家庭を持つ事を考えられなかったのかもしれません。

八代目 市川團十郎さんに子供がいたら今の歌舞伎界はどうなっていたのか。
「たられば」ではありますがそんな世界の歌舞伎も見てみたい気がしてしまいます。

市川團十郎(8代目)と勘三郎は対照的

伝統芸能は受け継いでいくもの、と考える人は少なくありません。
そのため多くの人が守りに入ってしまうもの。

長く続く歌舞伎界でも同じことが言えるでしょう。
そんな常識に囚われる事なく歌舞伎界に新風を巻き起こしたのが十八代目 中村勘三郎さん。
現代劇の作家や演出家と組んだり、地方巡業や海外公演を行うなど数多くの新たな試みを行っていました。

記憶に新しいところでは2012年12月5日に十八代目 中村勘三郎さんが亡くなった僅か3か月後に十二代目 市川團十郎さんも死去。
直接の死因ではありませんが過去に中村勘三郎さんが食道癌を発症したのに対して市川團十郎さんも血液の癌と言われる白血病を発症しています。

また、3か月という長期に渡って行われた「十八代目 中村勘三郎」の襲名披露興行。
これは「十二代目 市川團十郎」襲名披露興行依頼の事でした。

今でこそ「市川團十郎」に負けず劣らずの大名跡となった「中村勘三郎」。
人気も実力も甲乙つけがたいものとなっています。

ですが以前の「市川團十郎」と「中村勘三郎」は対照的。

実力と美貌を兼ね備えて大人気だった八代目 市川團十郎さん。
一方、同時期に活躍していた十四代目 中村勘三郎さんは「鰐口」と言われるなど容姿には恵まれていませんでした。

また、市川團十郎さんは代々続く歌舞伎の名門である「成田屋」出身のいわばエリート。
対する中村勘三郎さんは親が歌舞伎役者ではない門閥外からの叩き上げ。


これだけ対照的であれば中村勘三郎さんが市川團十郎さんの引き立て役になる事も少なくなかったでしょう。
その後の「中村勘三郎」の攻勢にはこの時の念のようなものが影響しているように思えてしまいます。

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