22歳にして真打昇進を果たし、多芸な落語家として人気を集めている柳家花緑(やなぎやかろく)さん。
この記事では、落語とは異なる世界で活躍する兄と父、また師匠でもあった祖父など家族について紹介します。
林家きく姫さんとの破局後に結婚した妻はどんな女性なのでしょうか。
柳家花緑のプロフィール
本名: 小林九(こばやし きゅう)
生年月日: 1971年8月2日
身長: 168cm
血液型: A型
出身地: 東京都豊島区
最終学歴: 中学卒
所属: 落語協会、Me&Herコーポレーション(マネジメント)
柳家花緑の兄は元ベジャール・バレエ団のダンサーだった!
切れ味のよい語りと絶妙の間合いで笑いを振りまいている落語家の柳家花緑さん。
本名を小林九(こばやしきゅう)さんといい、1971年8月2日に東京都豊島区で誕生しました。
Me&Herコーポレーションに所属しています。
中学卒業と同時に祖父の5代目柳家小さん師匠に入門し、1994年には戦後最年少となる22歳で真打に。
座布団に着物という伝統的なスタイルを守るかたわら、椅子に洋服という現代的なスタイルで行う落語にも取り組んでおり、これからの落語界をリードする期待の星と注目されています。
【d47落語会「香川県」】
一席目は古典落語。二席目は香川県を題材にした「同時代落語」を上演。脚本は藤井青銅さん、演じるのは柳家花緑さん。洋服姿で椅子に座るスタイルは、落語が初めての方でも楽しめます!今回はどんな噺になるのか。東京開催は9/26,9/27に開催です!https://t.co/EZUKkBh2pL pic.twitter.com/3SKPRNv5Xm— d47 (@d47store) September 19, 2019
1969年3月11日生まれの兄・小林十市(こばやしじゅういち)さんは元ベジャール・バレエ・ローザンヌのバレエダンサー。
故モーリス・ベジャールさんが主宰していたバレエ団です。
現在は南フランスのオランジュ在住で、フランス人の妻・クリスティーヌさんとバレエスクールを経営し、バレエ指導者として活躍中。
ベジャール・バレエ・ローザンヌ時代はソリストとして世界中の舞台を踏んだ十市さん。
クリスティーヌさんも同バレエ団のダンサーでした。
しかし十市さんは腰椎を傷めて2003年に退団。
翌年に結婚して娘が生まれ、しばらくは家族3人で日本で生活していましたが、妻が日本になじめず娘とともにフランスに帰国。
その後は年に2回渡仏する別居婚が4年ほど続きました。
このままでは家族を幸せにできないと考えて移住を決意したそうです。
子供の頃は兄弟そろってバレエ
今では別々の道を歩んでいる花禄さんと十市さんさんですが、幼い頃はどちらもバレエを習っていました。
しかも、弟である花禄さんの方がバレエの先輩なのだとか。
兄は小学5年生からバレエを習うのに抵抗があったかもしれないですが、そこは母の配慮で弟の僕を先に行かせたんです。兄貴が習いやすいようにと。
最初は一緒に始める案もあったそうですが、当時の十市さんが腕を骨折してしまったこともあり、結局は花禄さんから始めることになりました。
確かに、もっと小さい頃から習っていたならともかく、小学校高学年からだと抵抗を感じることはありそうです。
バレエを学んでいる小学生男子はそれほど多くないはずなので、友達と自分を比べて恥ずかしくなることもあるかもしれませんよね。
そんな十市さんの気持ちを考慮し、弟を先に行かせたのは良いアイディアに思えます。
自分だけ特別なことをやる感覚が薄まり、入りやすかったのではないでしょうか。
花禄さんとしても、あとからお兄さんが一緒にやってくれるなら、とても心強かったことでしょう。
兄のバレエと弟の落語がコラボ
近年の花禄さんは、バレエ経験を活かした新たな挑戦「バレエ落語」で注目を集めています。
『じゃじゃ馬ならし』を落語化した第1弾の好評を受け、名作『ジゼル』を落語版となる第2弾『おさよ』を発表すると、大きな話題になりました。
✨2022年振り返り企画⑨✨
おさよ(落語版『ジゼル』)
2022年6月22日
in日本特殊陶業市民会館フォレストホール落語:柳家花緑師匠
📸:当団ダンサーオフショット芸術鑑賞会にお招きいただき、落語とバレエのコラボレーションをお届けいたしました👻#東京シティ・バレエ団#TCBfeedback pic.twitter.com/GYtRzBC1ze
— 東京シティ・バレエ団 (@tokyocityballet) December 21, 2022
このコラボは、兄弟の協力があって実現したもの。
異なるジャンルを組み合わせるのはやはり難しかったようで、かつてバレエダンサーとして活躍した兄に相談したという花禄さん。
キャラクターについてのアドバイスなど、細かい部分を助けてもらいながら、『おさよ』が完成しました。
それぞれの分野でプロとして活躍する2人が力を合わせれば、見たこともないすごい作品を作ることができるんですね。
この「バレエ落語」は、『くるみ割り人形』を落語化した第3弾『くるみ割り侍』も評判が良く、大成功となっているようです。
\🍵落語×バレエ第三弾!🩰/
柳家花緑の落語バレエ
「くるみ割り侍」
-バレエ「くるみ割り人形」5月27日(土)15時開演
話芸でお客様を惹きつける「落語」と、言葉をつかわずに物語に誘う「バレエ」の大好評コラボレーション企画です。世界初演の舞台をお見逃しなく👀https://t.co/Wj2imTX6YX pic.twitter.com/cY2PWvraaE
— 東京シティ・バレエ団 (@tokyocityballet) February 8, 2023
ちなみに、『くるみ割り人形』は花禄さんにとって思い入れの深い作品なのだとか。
「兄と共演した最初で最後の作品が『くるみ割り人形』だったんです。序曲からおしまいの曲まで全部頭に入っています。思い入れがあります」
お兄さんとの初めての共演作となると、落語化の作業にも熱が入ったことでしょう。
今後はどんな「バレエ落語」が生まれるのか、とても楽しみですね。
柳家花緑の父
父は俳優、画家、歌手、声優、朗読家などさまざまな顔を持つ和田恵秀さんです。
1940年7月18日生まれで、聖学院高等学校卒業後に俳優座養成所に入り、のちに劇団青年座に入団。
テレビドラマ『新選組血風録』(1965年)や『天を斬る』などに出演しました。
しかし芸能界に嫌気がさして劇団を退団。
その後は画家に転身し、1980年頃から切り絵を中心とした画家活動に軸足をおくように。
俳優座養成所の後輩・小林喜美子さんと結婚して小林十市さんと柳家花緑さんをもうけますが、のちに離婚。
54歳の時に福島県の里山に家を建てて永住したようです。
柳家花緑の祖父は5代目柳家小さん
柳家花緑さんが弟子入りした祖父・5代目柳家小さん師匠は江戸落語の名人。
落語家の人間国宝第一号です。
1915年1月2日生まれ、本名は小林盛夫さん。
庶民的な語り口に江戸落語の粋を散りばめた話術はまさに名人芸でした。
とりわけ絶品だったのは日本そばを美味しそうにすする仕草。
小さん師匠が持ちネタの『時そば』を披露したあとは近くのそば屋が繁盛したという逸話も。
昭和世代にとっては、永谷園の「あさげのおじいちゃん」としてもおなじみですね。
あさげ、ひるげ、ゆうげ。
うまいねえ、これでインスタントかい?#永谷園 #昭和CM #販売割合 #柳家小さん pic.twitter.com/7WmK8ue2pI— 76歳OL (@caw534021) 2016年1月12日
その昔、小さん師匠は上官の命じるままに二・二六事件の反乱部隊に参加。
歴史的クーデターの現場で落語を披露したこともありました。
反乱軍が満洲送りになったあとも話芸で仲間を笑わせ、元気づけていたようです。
終戦後はベトナムで捕虜として生活。
苦しい時こそみんなに笑ってもらいたいと、カメラを向けられればおどけてみせて、何度も何度も落語を披露。
自分の明日の命もわからない中、仲間を笑わせるための一席でした。
9歳から高座に上がっている柳家花緑さんですが、噺家としての祖父の偉大さを理解できるようになったのはここ10年くらいのことだそうです。
柳家花緑の家族まとめ。結婚した妻は?
母・小林喜美子さんは小さん師匠の長女で、花緑さんが落語家になる道筋をつけてくれた人でした。
バレエを習っていた喜美子さんは、二人の息子のうち色白で可愛らしい兄をバレエダンサーに、弟を落語家にしたいと考えていたようです。
けれども花緑さんが小学1年生の時に両親は離婚。
喜美子さんは息子たちと実家に戻り、小さん師匠と4人の生活が始まりました。
祖母・生代子さんは1978年に他界しています。
祖父は父親代わりでもあり、生き方も芸も学んだと振り返る柳家花緑さん。
若い頃は「小さんの孫」という重圧につらい思いもしましたが、今では素敵なアクセサリーと思えるようになったそうです。
私生活では、婚約していた林家きく姫さんとの同居生活を解消。
2010年4月11日に一般人女性とゴールインしました。
お相手は4歳年上のOLで、花緑さんの大ファンなのだそう。
女性から落語会への出演を依頼されたことから距離が縮まったようです。
名跡「小さん」の6代目は叔父が継承しましたが、7代目は果たして柳家花緑さんが継ぐことになるのでしょうか。
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