立川談志の伝説と逸話。天才の理由とは。師匠から破門&ヘアバンドの意味

かつては人間国宝の認定も噂された落語家の立川談志(たてかわだんし)さん。
もしかすると談志さんほど落語家として過小評価されている人はいないかもしれません。

立川談志は伝説の落語家

喉頭癌により2011年11月21日に亡くなった立川談志さん。
死去から約10年が経った今も伝説の落語家として語りつがれています。

談志さんは1952年に東都高校を中退して「五代目柳家小さん」さんに弟子入りして落語家の道へ。
当初は本名の「松岡克由」から1文字取った「柳家小よし」という名前でした。

それから2年後の1954年に二つ目に昇進した事で「柳家小ゑん」に改名。
1963年に真打に昇進し「立川談志」を襲名しました。


落語家として高く評価される談志さんですが真打昇進は決して早い方ではありません。
談志さんよりも後に入門した三代目古今亭志ん朝さん、五代目三遊亭圓楽さんに先を越されているんです。

この時、人生最大の屈辱を味わったという談志さん。
ただこの屈辱が落語に奮起するきっかけにもなったそうです。

破天荒さや毒舌ばかりに注目があつまる談志さんですが真骨頂は古典落語です。
古典落語は江戸時代から明治、大正にかけて作られたものが多い事から少なからず現代と乖離している部分があります。
常にその乖離を意識しながら落語に挑んでいました。

落語の腕前だけでなく落語に取り組む姿勢も高く評価された談志さん。
ただ、「伝説の落語家」として呼ばれる所以はこれだけではありません。

「伝説の落語家」と呼ばれる最大の理由は落語界の復興です。

現在はインターネットの普及や娯楽の多様化によりテレビ離れが進んでいます。
それと同じように1960年代はテレビやラジオの普及により、寄席に足を運ぶ人が少なくなったそうです。

落語界の現状に危機感を抱いた立川談志さんはテレビ局に企画を売り込みます。
その企画こそが「笑点」の前身番組である「金曜夜席」。

今の「笑点」と同じく「金曜夜席」も演芸と大喜利の二部構成。
落語ではなく大喜利がメインとなっているのは「途中でCMを入れられるように」と立川談志さんが考えたため。

「金曜夜席」はその名の通り金曜の夜中の放送でしたが大好評。
その後、日曜日の夕方でスポンサーをしていた龍角散が「視聴率が取れる番組を」と依頼した際に白羽の矢が立ったのが「金曜夜席」。
そして「金曜夜席」を発展解消する形で「笑点」の放送が始まりました。

長寿番組としてギネス世界記録に登録され、今も高視聴率を記録する「笑点」。
「笑点」がきっかけで落語に興味を持った人も多いはず。

もし談志さんがいなければ今の落語界は一体どうなっていたことか。
落語界を救った、と言っても過言ではありませんよね。

また、談志さんは弟子を育てる手腕も天下一品。
現在テレビでも大活躍する立川志の輔さんや立川志らくさん、立川談春さん等を育て上げています。

自身の落語家としての評価は元より落語界の復興に加えて後身の育成にも多大な貢献。
立川談志さんが「伝説の落語家」と呼ばれる事に異論を唱える人はいないでしょう。

天才と呼ばれる理由

時代に名を残す落語家に比べ、真打昇進まで時間がかかってしまった立川談志さん。
ですが落語に真摯に取り組むようになると評価は急上昇。

自分を追い抜いて行った五代目三遊亭圓楽さんと三代目古今亭志ん朝さん。
それに五代目春風亭柳朝さんと談志さんの4人で「江戸落語若手四天王」と呼ばれた時期もありました。

錚々たる面々と肩を並べた談志さん。
これだけでも如何に優れた落語家であるか分かりますよね。

前述の通り、得意としたのは古典落語。
古くから演じられる古典落語は師匠から弟子へ「型」が伝承されていきます。

今もなお師弟関係を重んじる落語界。
そのため多くの落語家は師匠から伝えられた型を守る事に専念する事でしょう。
ですが談志さんは古典落語に自分の意見や哲学を盛り込むというオリジナルの型を開発しています。

古典落語は色々な落語家に演じられています。
そのため上手い下手はありますが大雑把に言ってしまえば誰の噺を聴いても大きな大差はありません。

ですが独自の意見を盛り込む古典落語は談志さんにしか演じられません。
そのため「お客さんは噺ではなく談志を聴きに来る」と言われていました。

天才と呼ぶに相応しい落語家だった談志さん。
もし人間性も評価されていれば間違いなく人間国宝に認定されていたと思います。

ただ、決して聖人君子ではない事も魅力の1つ。。
人として完璧すぎない所が今もなお多くの人に愛され尊敬される理由なのかもしれません。

立川談志が残した逸話の数々

国民的演芸番組であり知らない人はいないであろう「笑点」。
ですが、「笑点」を立川談志さんが生み出した事は知らなかった人も多かったのではないでしょうか。

談志さんが残した逸話はこれだけではありません。

1971年の参議院選挙で当選し国会議員となった談志さん。
4年後の1975年には大臣に次ぐ地位である沖縄開発政務次官に抜擢されています。

ところが政務次官としての初仕事で二日酔いのまま沖縄海洋博を視察。
記者会見で「公務と酒のどちらが大事なのか」と咎められると「酒にきまってる」と発言してしまいます。

その後、弁明を行う予定だった参議院決算委員会を寄席のために欠席。
これらの言動は当時、所属していた自民党内部からも反発を受け談志さんは政務次官を辞任しています。
政務次官の在任期間は僅か36日間という非常に短いものでした。

上辺だけでも取り繕ろう人が多い政治家。
ですが立川談志さんは政治家となってからも自分の意思を曲げる事はありませんでした。
良くも悪くもこの一本気な所もまた魅力ですよね。

また、1997年に食道癌の手術後を受けた談志さん。
その後の記者会見では医師から止められていたにも関わらずタバコを吸いながら会見に臨んでいます。

自身の結構には興味が無いように振舞った談志さんですが術後は毎月定期診断に行くなど健康には気を使っていたそうです。
記者会見でタバコ煙草を吸ったのは「立川談志」というキャラクターのイメージを壊さないためのパフォーマンスだったのかもしれません。

立川談志さんは死後もいくつかの逸話を残しています。

2011年11月21日に亡くなった談志さん。
その訃報を伝える見出しは生前、自らが考えた「談志が死んだ」。
これは回文で上から読んでも下から読んでも「だんしがしんだ」となっているんです。

また、生前には「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」と戒名も考えていました。
ただこの戒名が災いして受け入れてくれるお寺がなかなか見つからず。
結局、納骨されたのは死後から約3か月後の2012年12月2日となってしまいました。

生前だけでなく死後も多くの逸話を残した立川談志さん。
死んだ後も人々を楽しませたい、と願う根っからの落語家だった事が分かりますね。

師匠に破門されていた?


立川談志さんの師匠は「五代目 柳家小さん」。
初めて人間国宝に認定された落語家として知られています。

談志さんが弟子入りしただけあって骨の髄からの落語家。
話芸は言うまでもなく蕎麦をすする芸も有名だった柳家小さんさん。

実際に蕎麦を食べる際にも周りの視線を意識して蕎麦の端にしか汁を付けなかったそうです。
そのため晩年、「最後まで汁を付けてみたかった」と落語さながらの後悔を明かしています。

また、剣道の達人としても知られており小学生の頃は東京市剣道大会で優勝したことも。
中耳炎が原因で剣道家になる事は諦めたものの生涯続けた剣道は範士七段の腕前に。
インタビューでは「落語より剣道が好き」と語った事もあるようです。

このような事を言ってのけるあたりもさすがは談志さんの師匠ですよね。

師弟関係であり偶然にも誕生日が1月2日で同じだった立川談志さんと柳家小さんさん。
優れた落語家同士という事で互いに尊敬の念を持って接していると思いきや破門されているんです。

談志さんが破門される事になったきっかけは真打昇進試験。
1983年の落語協会真打昇進試験に臨んだ談志さんの弟子2人が不合格に。
その一方、この2人より実力が劣ると思われた落語家が合格。

納得がいかなかった談志さんは落語協会を脱退し立川流を設立。
この行動により、柳家小さんさんに破門されてしまいました。

こうして袂を分かつことになった二人ですが人間関係は悪くはなかったそうです。
破門となったのも当時、柳家小さんさんが落語協会の会長を務めていたから。
建前上、破門せざるを得なかったと言われています。

立川談志は何故ヘアバンドをしているのか

立川談志さんのトレードマークと言えばヘアバンド。
弟子の立川談笑さん曰く、ヘアバンドを付け始めたのは1996年頃だそうです。

若い頃はしていなかったヘアバンドをなぜ付けるようになったのか。
談志さんはその理由を語った事はありません。

ファッションの一環とも考えられますが、もしかすると「立川談志と言えばコレ」という何かを残したかったのではないでしょうか。

談志さんの代表作と言われるのが「芝浜」や「粗忽長屋」。
ですが、この事を知っているのは落語に詳しい人だけでしょう。

そのため落語を聴いた事がない多くの人にも立川談志さんを印象付ける何かを残したかったのかもしれません。
今では立川談志さんの思惑通り「立川談志=ヘアバンド」というイメージが根付いています。
談志さんのモノマネをする人の殆どがヘアバンドを付けていますしね。


ただ、この理由もあくまで憶測にすぎません。
談志さんが亡くなった今、本当の理由を知る事は出来ません。

もっと深い理由がある気もしますし、大きな理由がない気もします。
こうした推測が続けられる事も立川談志さんの思惑通りなのかもしれません。

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