2017年に惜しまれつつ競技生活を引退した人気フィギュアスケーター・浅田真央(あさだまお)さん。
常に自然体で、気持ちのままに前を向く一途な姿は人々の共感を呼びました。
現役時代に父・浅田敏治さんの逮捕劇や元ホストという真実が明るみになった時は衝撃が走りましたね。
今回は浅田敏治さんにスポットをあて、2023年現在の状況や死亡説について迫ります。
浅田真央のプロフィール
本名:浅田真央
生年月日:1990年9月25日
身長:163CM
血液型:B
出身地:愛知県名古屋市名東区
最終学歴:中京大学体育学部卒業
浅田真央の父・浅田敏治の現在。死亡説も浮上
浅田敏治さんは2023年現在も名古屋の実家で暮らしているらしく、真央さんとの仲は良好のようです。
近所の住民の話によると実家には時おり帰っているのだそう。
苦しい時期を支えてくれた父の苦労を知っているからこそ、恩返しがしたいのかもしれません。
敏治さんはゴルフが趣味らしく、表でクラブを振っているのを見かけることもあるのだとか。
表向きは浅田姉妹のマネジメントをしているとのことですが、その実は無職という情報もあります。
ネット上には浅田敏治さんの死亡説も見られますが、これは単なる誤解のよう。
敏治さんは幼い頃に父親を亡くしており、働いて家計を助けたという情報が勘違いされて拡散したと思われます。
何も悔いはないという言葉を残して競技生活にピリオドを打った浅田真央さん。
国民的アスリートとして日本中を沸かせてくれましたが、現役を退いた今も人気が衰えることないようです。
第二の人生でも魅力的な真央スマイルを見せてくれることを願ってやみません。
病院勤務の噂は過去の話?
敏治さん、現在の職業については、「病院で清掃などの仕事をしている」という説もあります。
マネジメント業とはまるで違うので、噂を聞いて驚いた人も多いかもしれません。
調べてみたところ、過去に病院で働いた可能性はありそうです。
2015年、週刊誌の記者が勤務先の病院にインタビューを行ったことがありました。
浅田さんは正社員で、月曜から金曜の午前9時から午後5時まで、人工透析をされる患者さんの車での送迎や、病院内の清掃をしてもらっていますが、まじめで人当たりもよく、患者さんの評判も上々です。
この仕事は、真央さんの事務所から300万円もの大金を借りてしまい、返済のために始めたのだとか。
お金を返すためとはいえ、とても真面目に働いていたようですね。
ですが、その後もずっと続けているかどうかは不明です。
詳しくは後述しますが、過去に逮捕歴がある敏治さん。
警官に手錠をかけられた場所が職場の病院という噂もあるので、本当ならかなり気まずいですよね。
病院側としても、もう雇えないと考えたかもしれません。
一般人の敏治さんには情報が少なく、真実を確かめることは困難ですが、もう辞めていたとしても不思議はないでしょう。
現在の仲が良好になった理由
父親の逮捕があっても縁を切らず、一緒に旅行を楽しむなど、優しく接している様子の真央さん。
ですが、すぐそんな関係になれたわけではなかったのだとか。
最初は父の犯罪を許せず、強い怒りを感じていたそうです。
そこから心境が変化した理由は、ある人からアドバイスを受けたことでした。
《とある方から“世界に1人しかいないお父さんだから許してあげて”と言われて、そうだな、と》
この言葉がなかったら、真央さんは現在も父親を許せないままだったのかもしれません。
考え方を変えるのは簡単なことではなさそうですが、少しずつ関係を修復していったのは、本当にすごいことですね。
若い頃の写真公開で好感度アップ?
近年の敏治さんといえば、若い頃の写真も話題になりましたね。
2022年、浅田舞さんのインスタグラムで、奥さんと一緒に社交ダンスをする姿が公開されたのです。
この写真を見た人たちからは、「素敵」「すごいイケメン」といった声が多く上がりました。
敏治さんを初めて見た人は、かなり好印象を抱いたのではないでしょうか。
過去の逮捕歴を知っている人も、「改めて見るとやっぱりイケメン」と感じたかもしれません。
実生活ではかなり問題があるようですが、見た目だけなら、確かにとても魅力的ですね。
浅田真央の父・浅田敏治には逮捕歴あり
かつては引退か現役続行か思い悩む日々を乗り越え、2015年5月18日に現役続行を発表した浅田真央さん。
その5日後に敏治さんが逮捕されました。
交際中の女性に対して暴力をふるったため、女性が通報したそうです。
敏治さんは暴行容疑を認め、略式起訴による罰金30万円が確定。
さらに、この一件がきっかけで過去に公然わいせつ容疑で逮捕されていたなど、三度の逮捕歴があることが明るみになりました。
その4年前には母・匡子(きょうこ)さんが肝硬変のため48歳で死去。
真央さんはグランプリファイナル進出が決定していましたが、現地で母の病状悪化の一報を受けて欠場。
急遽帰国するも、その死を看取ることはできませんでした。
悲しみを胸に出場した全日本選手権では涙の優勝を果たします。
よきアドバイザーだった匡子さんの他界後、浅田真央さんは父と姉の舞さんの3人で生活をともにし、フィギュアスケートに打ち込んできました。
敏治さんの不祥事が与えた精神的ダメージははかり知れません。
こんなことがあったなら、前述した父を許せなかった時期も納得できますね。
浅田敏治は元ホスト。娘を支えた父の存在
逮捕報道では浅田敏治さんの過去の職業も発覚しました。
20代は大阪のホストクラブでNo.1ホストとして働いていたという敏治さん。
30歳前に独立してホストクラブ経営者になっています。
匡子さんとは客とホストという立場で出会い、結ばれて浅田姉妹が生まれたとのこと。
日本中の人気者「真央ちゃん」の父の逮捕劇には衝撃が走りましたが、そもそも浅田真央さんの活躍はこの父の存在なくしては語れないといえるでしょう。
フィギュアスケートはお金のかかる競技です。
リンクの使用料、コーチの指導料、衣装代、その他もろもろを捻出するため、敏治さんは店舗経営をするなどして娘を懸命にサポートしてきました。
家庭の経済事情は火の車だった時期もあり、もし真央さんが2005年のクランプリファイナルを制覇しなければ、浅田家の挑戦は失敗に終わっていたかもしれません。
結果を出してトップスケーターの仲間入りを果たしたことでスポンサーが集まり、CM契約も結ぶことができたのですね。
匡子さんの他界後も敏治さんは真央さんを支え続けました。
妻の遺志を継ぎ、娘を金メダリストにするために、毎日の食事やレッスンの送り迎えなどを積極的にしていたといいます。
そんな父・敏治さんの経歴や逮捕騒動が浅田真央さんの人気と活躍に暗い影を落としてしまったのは皮肉といえますね。
浅田真央の経歴まとめ
日本女子フィギュアスケートのエースとして世界の舞台で活躍した浅田真央さん。
1990年9月25日愛知県名古屋市生まれ、中京大学体育学部卒業です。
国際スケート連盟のプロフィールによると身長は163 cm。
父・浅田敏治さんが大地真央のファンだったことから「真央」と名付けられました。
時おり天然発言も飛び出しますが、これほど人々に共感され、幅広い世代に愛されたアスリートは数少ないと思います。
朝日デジタルの特集「浅田真央 ラストダンス」小さい頃からソチまでの美しい写真で綴られてます。 文章読んで泣いた(´Д` ) pic.twitter.com/uHFH0p5FRQ
— 浅田真央bot (@asadamao3) February 15, 2023
年配の方々はわが子のような気持ちで応援していたのではないでしょうか。
現在は引退していますが、タレント業などは継続しているので、これからの活躍にも期待したいですね。
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