浅田真央の母親は厳しくも娘思い。死因は肝硬変&娘からの臓器移植を拒否した理由

浅田 真央(あさだ まお)さんは日本女子フィギュア界をリードしてきた名選手として有名です。

トップアスリートまで成長できた背景を調べると、今は亡き母親の存在が大きかったそうです。

今回は浅田真央さんの母親や死因、肝硬変による移植の話について見て行きたいと思います。

浅田真央のプロフィール

本名:浅田真央

生年月日:1990年9月25日

身長:163CM

血液型:B

出身地:愛知県名古屋市名東区

最終学歴:中京大学体育学部卒業

浅田真央の母親(匡子さん)はどんな人?

まずは浅田真央さんの母親の情報について見て行こうと思います。

母親の名前は匡子(きょうこ)さんといい、浅田姉妹の密着番組に登場していました。

匡子さんはとても厳しい母親だったらしく、浅田真央さんは3歳のころからバレエや体操、ピアノやフィギュアなど9つもの習い事をさせていたそうです。


これは普通の習い事というよりも「生きて行く道」を見つけるためだったらしく、結果として匡子さんの教育方針が世界で活躍できるアスリートを誕生させたといえます。

ただ、匡子さんはプロのバレエダンサーになる夢があったらしく、自身が叶えられなかった夢を浅田真央さんと舞さんに託したのかも知れませんね。

浅田真央さんがフィギュアを習ったのは足腰を鍛えてバレエを上達させる手段だったそうで、しばらくはコーチを付けずに匡子さんが独学で練習方法を学んで教えていたそうです。

その後、匡子さんは山田満知子コーチに頼み込んで指導を受けられる環境を作っています。

他にも「2度と日本人を指導しない」と言うほど日本人嫌いだったロシアのタラソワさんを匡子さんが説得し、浅田真央さんのコーチになってもらうことに成功しました。

これは娘の成長を願う母の想いがタラソワさんの心を動かせたのでしょうね。

ご存知の通りフィギュアスケートは非常にお金が掛かるスポーツであり、匡子さんは消費者金融にお金を借りるなど破産寸前まで浅田真央さんの活動をサポートしていたそうです。

自分が色々と苦労してきた分、娘たちには成功して欲しいという願いが強かったのでしょうね。

厳しくても娘からは好かれていた

匡子さんは娘たちを大変な熱意で教育し、練習でも厳しく接していたようです。

そんな日々が長く続いた影響もあるのか、2008~2009年頃の真央さんは、反抗期のような状態になったのだとか。

当時18~19歳の真央さんは、母親に対してきつい言葉を浴びせるようになり、「もう一緒に練習するのは嫌」といった拒絶もあったそうです。

ですが、当時の母娘を取材していた新聞記者は、真央さんの母親思いの一面を語っています。

同時期、一生懸命に写真を撮っている浅田選手に遭遇したことがある。「ホテルで待ってるママに見せるの」とうれしそうに話していた。

練習では厳しい言葉で追いつめられ、一緒にやることが嫌になったとしても、真央さんは母親を喜ばせようとしていたんですね。


つらい思いをさせられたとはいえ、匡子さんはたった1人の母親。

本当に絶縁するレベルで嫌いになることは、どうしてもできなかったのかもしれません。

また、厳しい言葉が自分の成長のためであることも、本当はわかっていたのではないでしょうか。

だからこそ、母親のために優しい行動ができたのでしょう。

厳しさの中に隠れた匡子さんの愛情は、しっかり伝わっていたのかもしれませんね。

本気で娘のことを想う良き母親

大切な娘に深い愛情を持っていたことは、インタビューの様子からもわかります。

亡くなる半年ほど前に週刊誌の取材を受けた際、最も楽しそうにしていたのは、娘2人の仲を語る部分だったのだとか。

真央は舞とはいろいろ相談しているみたい。メールとか電話でもしょっちゅう話してるもん。

このときは、「これからも頼り合って生きてほしい」とも話していたそうです。

真央さんと舞さんの仲が良いことは、母親として本当に嬉しいのでしょう。

こうしたエピソードからは、厳しいだけではない一面が伝わってきます。

本当に家族を愛しているからこそ、娘たちの幸せを心から喜べるのではないでしょうか。

練習などで厳しく接してきたのも、娘のためを思っての行動だったはず。

ときには拒絶されても、それが娘のためになると信じていたのでしょう。


インタビューの中では、真央さんの結婚願望についても触れ、「いい人いない?」と逆に質問している匡子さん。

スケートで成功することはもちろん、プライベートで幸せになることも願っていたんですね。

浅田真央の母親の死因は肝硬変

次は浅田真央さんの母・匡子さんの死因について見て行きましょう。

2011年12月9日に名古屋市内の病院で匡子さんは48年の人生に幕を下ろしました。

死因は肝硬変と報じられており、なんと匡子さんは20年にもわたる闘病生活を送っていました。

発症原因については触れられていませんが、匡子さんは過去に飲食店に勤めていたという情報もあるので、アルコール摂取による「アルコール性」による発症かも知れません。

肝硬変と言えばB型(C型)肝炎ウイルスやアルコールのイメージが強いですが、最近では肥満による脂肪肝の悪化による肝硬変も増えてきているそうです。

匡子さんの容体が急変した当時の浅田真央さんはグランプリファイナルでカナダに渡っており、大会を棄権して帰国したものの最期には間に合わなかったそうです。

最期に会うことはできませんでしたが、葬儀翌日の12日から全日本選手権に向けて練習を再開させるといった”強い精神力”に匡子さんも喜んでいるでしょう。

母親が浅田真央からの臓器移植を拒否した理由

ここでは母・匡子さんが浅田真央さんや舞さんからの肝臓移植を拒否した話を見て行きます。

2011年初めに医師から余命について「次のオリンピックまでは難しい」と厳しい状況を伝えられたそうで、延命の選択肢として臓器移植(肝臓)が勧められたそうです。

本来は血の繋がりがある家族からの移植がリスクも少なく最良なのですが、匡子さんは娘からの移植を断固拒否して夫の浅田敏治さんから肝臓移植を受けていました。


拒否した理由については「娘の体にメスを入れたくない」との思いからであり、さらに親子の夢であるアスリート人生を自身のために終わらせてしまう点からだと思います。

現役バリバリだった浅田真央さんからの臓器移植は今までの苦労を無にしてしまいますし、最後の最後に見せた母心(親心)と言えるエピソードでしょうね。

その後、2012~13年のグランプリファイナル連覇や2014年の世界選手権を優勝していますが、これは浅田真央さんと亡き匡子さんのふたりで勝ち取った栄冠といえますね。

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