代名詞となったトリプルアクセルを武器に輝かしい成績を残してきた浅田真央(あさだまお)さん。
そんな浅田真央さんを育て上げたのは一体どんな人達だったのでしょう。
浅田真央のプロフィール
本名:浅田真央
生年月日:1990年9月25日
身長:163CM
血液型:B
出身地:愛知県名古屋市名東区
最終学歴:中京大学体育学部卒業
浅田真央を育て上げた歴代コーチは?
羽生結弦さんや宇野昌磨さん等の活躍で注目を集めるフィギュアスケート。
そのため世間一般的には現在は男子の方が人気が高いと言えるでしょう。
ですが少し前までは人気があったのは女子の方。
その大きな要因となっていたのが浅田真央さんです。
ジュニアの頃から「天才」の名を欲しいままにしていた浅田真央さんがスケートと出会ったのは5歳の時。
姉の浅田舞さんと一緒にスケートリンクに遊びに行ったことがきっかけでした。
門奈裕子
浅田真央さんは安藤美姫さんも所属していた名東フィギュアスケートクラブに姉と共に入会。
名東フィギュアスケートクラブでは門奈裕子さんによる指導を受けていました。
フィギュアスケートを始めてから最初に所属したクラブ。
きっと門奈裕子さんからフィギュアスケートの基礎と面白さを学んだのでしょう。
山田満知子・樋口美穂子
浅田真央さんは2000-2001シーズンからグランプリ東海クラブの所属に。
山田満知子さん、樋口美穂子さんの指導を受けています。
中野友加里さんや村上佳菜子さん、宇野昌磨さんなど錚々たるスケーターを育て上げた世界的にも有名な両コーチ。
浅田真央さんはより高いレベルを目指すためにクラブを移籍し両コーチの指導を受けるようになったのでしょう。
出場資格に年齢が達していない全日本選手権に特例で出場。
当然ながら本来の出場クラスであるノービスでは敵なしの成績を収めるなど一躍注目を集める選手となりました。
ラファエル・アルトゥニアン
両コーチの指導のもと、ジュニアクラスとなってからも出場する大会では全て表彰台に立つなど輝かしい成績を残した浅田真央さん。
2006年に拠点をアメリカに移した事を機にコーチもラファエル・アルトゥニアンさんに変更しています。
かつてサーシャ・コーエンさんやミシェル・クワンさんなど超一流のスケーターを指導しているラファエル・アルトゥニアンさん。
現在は本田真凜さんやネイサン・チェンさんの指導を行っています。
浅田真央さんがコーチと活動拠点を変えたのはきっと心機一転、という気持ちがあったのでしょう。
すると2006-2007シーズンのNHK杯で当時のISU歴代最高得点となる199.52点を記録。
世界選手権のFSでも当時のISU歴代最高得点である133.13をたたき出しています。
コーチを変える事で成績を落とす選手も少なくありません。
ですが浅田真央さんはコーチを変えた事でより一層レベルの高いフィギュアスケーターに成長しています。
タチアナ・タラソワ
2008-2009シーズンからはコーチをタチアナ・タラソワさんに変更。
アレクセイ・ヤグディンさんや荒川静香さんなどオリンピックの金メダリストのコーチも務めていたタチアナ・タラソワさん。
浅田真央さんがタチアナ・タラソワさんをコーチにしたのは苦手なジャンプの克服と表現力と芸術性を強化するという目的があったようです。
そのおかげでNHK杯では圧勝しGPファイナルや全日本選手権でも優勝。
2010年のバンクーバーオリンピックでは銀メダルを獲得し日本にフィギュアスケートブームを巻き起こしました。
長久保裕
その後、2010-2011シーズンの9月頃までジャンプ専門のコーチとして長久保裕さんに師事。
佐藤信夫
同年9月以降は佐藤信夫さんの指導を受けています。
2010年には世界フィギュアスケートの殿堂入りをしている名伯楽の佐藤信夫さん。
2017年4月10日に引退した浅田真央さんにとって最後のコーチとなりました。
このように競技生活中に多くのコーチの指導を受けていた浅田真央さん。
選手とコーチには相性があるためどうしても「合う、合わない」という問題が生じることも。
そのためコーチを変えるというのは時に大きな賭けとも言えるでしょう。
ですが浅田真央さんはコーチ選びで大きな失敗はしていないようです。
きっとコーチを選ぶときに名声だけで選ぶのではなく色々と熟慮して選んだのでしょうね。
浅田真央はコーチ不在で改めて凄さを証明
技術的な指導だけでなく時には精神的な支えにもなるコーチ。
世界で闘うフィギュアスケーターにとっては欠かすことが出来ない存在と言えるでしょう。
浅田真央さんも非常に優秀なコーチと共に世界の頂点を目指してきました。
国際大会で優秀な成績を収めることが出来たのは浅田真央さんの才能と努力はもちろんですがコーチのおかげだった部分もあるでしょう。
やはり世界で闘うには優秀なコーチが必要不可欠と言えそうです。
ですが浅田真央さんは一時期、コーチが不在だった時期があったんです。
それは2007-2008シーズンのこと。
2006年から活動の拠点をアメリカに移していた浅田真央さん。
ですが慣れない海外での生活で心労が溜まっていた事、2007年5月に中京大学にフィギュア専用リンクが完成した事をうけて活動拠点を国内に戻しています。
日本に帰国後も当時コーチだったラファエル・アルトゥニアンさんの指導を受ける予定でしたが2008年四大陸選手権を前に突然師弟関係を解消。
ラファエル・アルトゥニアンさんが「責任を持てない」と電話で伝えてきた事が師弟関係解消の原因でした。
オリンピックと世界選手権に継ぐ位置づけとされる四大陸フィギュアスケート選手権。
その大舞台を直前に控えたタイミングでのコーチの辞任。
きっと浅田真央さんは平常心を保つことが難しかったはず。
ところがそんな状態でも浅田真央さんは四大陸選手権に初出場にして初優勝。
この大会で足首を痛めてしまうも続く世界選手権でも見事に優勝しています。
大会直前にトラブルに見舞われたにも関わらず文句のつけようがない好成績を収めた浅田真央さん。
それまではトリプルアクセルばかりに注目が集まっていましたが、改めてフィギュアスケーターとしての凄さを証明するシーズンとなりました。
浅田真央が獲得したメダル数
オリンピックや世界選手権などの主要な国際競技会で獲得したメダルは23個。
それ以外の国際大会や国内の大会も合わせると50個以上のメダルを獲得しています。
非常に多くのメダルを獲得している浅田真央さん。
念願だったオリンピックの金メダルは獲得する事は出来ませんでした。
その代わりと言っては何ですが、浅田真央さんがオリンピックで魅せた演技はギネス世界記録に認定されているんです。
浅田真央さんがギネス記録に認定されたのは「同一競技会で3度のトリプルアクセルを成功させた」こと。
トリプルアクセルは浅田真央さんの代名詞と呼べる技。
そのため成功させることが当然のように思われていますが本来は相当難易度が高い技。
実は男子選手にとっても難しい技の1つなんです。
そんな難易度が高い技を浅田真央さんは2010年のバンクーバーオリンピックでSPとFSを合わせて3度も成功。
もちろんこれは女子フィギュアで初の出来事。
ギネス世界記録に認定されている事からも如何に凄い事かが分かりますよね。
オリンピックの金メダルという快挙を達成する事は出来なかった浅田真央さん。
ですがギネス世界記録の認定はそれに勝るとも劣らない快挙と言えるでしょう。
記録にも記憶にも残るフィギュアスケーターの浅田真央さん。
きっと今後もフィギュアスケート界に多大なる貢献をし続けていくことでしょう。
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