立川談春の才能は志らくも認めた?志の輔と人間性の違い&弟子に厳しすぎ?

あまりにも人気のため「チケットが取れない」と話題の立川談春(たてかわ だんしゅん)さん。
最近ではドラマや映画での見事な演技も話題となっていますね。

立川談春は志らくも認める天才?

今、最もチケットが取れないと話題の落語家、立川談春さん。
人気ドラマ「下町ロケット」やNHK大河ドラマの「いだてん〜東京オリムピック噺〜」に出演するなど俳優としても活躍しています。

かつては落語家としての公演を大事にしていた談春さん。
2011年に師匠の立川談志さんが亡くなってからは師匠に代わり、落語を世間に普及させるため積極的にメディアに出演するようになりました。


このように落語会の普及と発展に多大なる貢献をしています。
ですが元々、落語家を目指していたわけではありません。

若い頃の談春さんが憧れていたのは競艇選手。
中学生の頃に親に連れられて訪れた競艇場で見た加藤峻二さんに憧れて競艇選手を目指したそうです。
競艇選手になるため競艇学校に入学しようとするも170cm以下という身長制限に引っかかってしまい断念。

背が高かったが故に競艇選手を諦めざるを得なかった立川談春さん。
その後、談志さんの高座を目にした事で落語ではなく談志さんに強く惹かれたそうです。

高校を中退して17歳だった1984年に談志さんの元へ弟子入り。
それから4年後の1988年に二つ目に昇進すると1997年に真打に。

師匠の談志さんを始め立川流の多くの落語家が得意とするのは古典落語。
談春さんも古典落語が得意で「包丁」は談志さんに「俺よりうまい」と言わしめるほど。

そんな立川談春さんの事は弟弟子の立川志らくさんも高く評価しています。

志らくさんは師匠に勝るとも劣らない毒舌ぶりばかりが注目を浴びていますが落語家としての才能は本物。
その証拠に入門から僅か10年で真打に昇進しているんです。

通常は真打昇進まで入門から13年〜15年かかると言われており、談春さんも真打になるまでに13年かかっています。
また、志らくさんは兄弟子の談春さんよりも先に真打に昇進を果たしています。
これらの事から立川志らくさんが如何に優れた落語家かお分かりいただけるでしょう。

そんな志らくさんが落語家として称賛する立川談春さん。
講演会のチケットが取れないほど人気となっているのも納得ですよね。

世間では不仲と噂される2人。
ですが噂に合わせて不仲を演じているだけで実際は不仲ではないと思います。

本当に不仲であれば落語立川流新年会の記念写真で隣に座るという事はないはずですよね。

立川談春と志の輔は師匠の訃報に正反対の対応

落語協会からの脱退や奔放な政治活動など破天荒な人柄ばかりが脚光を浴びる立川談志さん。
ですが落語家としての評判は「天才」の一言。

独自の解釈を加えた古典落語はオリジナリティーから「噺ではなく談志を聞きに来る」と言われたほど。

また、半世紀以上もお茶の間に笑いを届ける国民的番組の「笑点」を生み出したのも立川談志さん。
談春さんや志の輔さん、志らくさんなど弟子の多くを人気落語家に育て上げるなど後進を育成する手腕も抜群。
落語家としての才能に加えて落語の普及と発展に多大な貢献をしたことから人間国宝への認定が噂された事もありました。

そんな立川談志さんは2011年11月21日に喉頭癌で死去。
その訃報を知るのは家族と世話をしていた立川談吉さんだけ。
落語関係者や芸能関係者は疎か一門の弟子にも知らされる事はありませんでした。

談志さんの訃報が知らされたのは死去から2日後。
既に通夜・告別式も執り行われ荼毘に付されているとき。

師匠の訃報を落語会の楽屋で聞いた立川談春さんは大笑い。

亡くなった事を2日も黙っておき、知らせた時は既に荼毘に付されている。
談春さんは「いかにも師匠らしい」と笑わずにはいられなかったのでしょう。

一方、立川志の輔さんが訃報を聞いたのは「ためしてガッテン」の収録終わり。
弟子から談志さんが亡くなった事を伝えられると師匠との思い出が走馬灯のように頭の中を巡ったそうです。
報道陣には「師匠らしい最後」、「ダンディズムを受け継ぎたい」とコメントするのが精一杯でした。

「師匠らしい」という感想は同じながら心境は正反対の談春さんと志の輔さん。
このように様々な弟子がいる事が立川流発展の最大の要因なのかもしれませんね。

立川談春は弟子に厳しい事で有名


立川一門が所属するのは立川談志さんが設立した落語立川流。
二つ目に上がるには落語50席に歌舞音曲、真打は落語100席に歌舞音曲の習得が必要と昇進が厳しい事で知られています。

そんな落語立川流でも特に厳しいのが談春さんの一門。

入門から5年以内に二つ目になれなければ破門。
しかも二つ目昇進試験を受けられるのは1度だけなんだとか。

きっと5年で二つ目になれなければ才能がないということ。
早めに落語家を諦めさせるのも本人のため。
厳しいと感じられますが立川談春さんの親心なのでしょう。

また、二つ目昇進試験が1度だけというのはきっと落語家という職業故のこと。

落語家は多くの高座をこなしますがお客さんは何度も足を運べるわけではありません。
特に談春さんのような人気落語家ともなれば年に1度観に行けるかどうか。

毎回、ベストの噺が出来ないようであれば足を運んでくれるお客さんに失礼。
そのような思いから二つ目昇進試験は1度だけ、としているのでしょう。

談春さんが昇進に厳格なのは弟子のため、ひいては今後の落語界のため。
とはいえ厳しすぎるがためにこれまでに10人の弟子が廃業となっています。

そのため談春さん、現在(2023)の弟子は立川こはるさん唯一人だけ。
ただ、これだけ厳しい昇進試験を乗り越えた弟子であれば将来が非常に楽しみ。

こはるさんが今後の落語界を引っ張っていく存在になるかもしれません。
そんな日が来たら立川談春さんの教育方針が正しかったと話題になる事は間違いないでしょう。


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