桂歌丸の死因となった病気。墓の場所は?先祖が凄い生家は遊郭

「笑点」への多大なる貢献により死後も永世名誉司会として名を残す桂歌丸(かつら うたまる)さん。
桂歌丸さんほど国民から愛される落語家は今後も出てこないかも知れません。

桂歌丸の死因となった病気

ラジオから流れる落語に影響を受けて落語家を目指したという桂歌丸さん。

大衆劇場で漫才を見て漫才師になる事を考えた事もあるんだとか。
ですが、我儘な性格だったため二人で芸をするのは難しいと考え落語家を選んだそうです。


小学4年生の頃には学校で落語を演じていたという桂歌丸さん。
披露する落語は大変好評で隣のクラスの教員からも落語をやってほしいと頼まれた事も。

中学生の時に五代目春風亭柳昇さんの落語を聴いて落語家になる事を決意した桂歌丸さん。
誰の弟子になれば良いか悩んだ桂歌丸さんはNHKに務めていた親戚に相談。
そして、「一番面倒見が良い」という事から中学3年生の頃に五代目古今亭今輔さんに弟子入りし「古今亭今児」となります。

こうして落語の世界に足を踏み入れた桂歌丸さん。
ところが師匠との落語に対する意見の相違や、若手の待遇改善を求めストライキを計画したため破門に。

師匠に破門されてしまった桂歌丸さんはセールスマンに転職。
それでも落語への思いを捨てきれなかった桂歌丸さんは三遊亭扇馬さんの執り成しにより落語界に復帰。

ただし古今亭今輔さんが出した条件により桂米丸さんの門下に。

この時に芸名を「古今亭今児」から「桂米坊」に改名。
その後、「米坊」という名前が子供っぽいという事から「桂歌丸」に再改名しています。

そんな桂歌丸さんの落語家人生最大の転機となったのが「金曜夜席」への出演。
立川談志さんの「落語家もテレビに出ていくべき」という考えから生まれた同番組に桂歌丸さんは第一回から出演。

「金曜夜席」が「笑点」となってからも桂歌丸さんは継続して出演。
こうして桂歌丸さんはお茶の間の人気者となり落語界を代表する存在として知られるようになりました。

人気者となってからも浮かれる事なく落語に真摯に向かい合っていた桂歌丸さん。

2004年には落語協会の会長に就任し2006年にはパリやニューヨークで公演を行うなど落語の普及と発展に尽力。
それまでの長年にわたる功績が称えられ2016年には文部科学大臣から表彰状が送られています。

落語界になくてはならない存在だった桂歌丸さんですが2018年7月2日に死去。
死因となったのは慢性閉塞性肺疾患でした。

19歳の頃からタバコを吸い始めたという桂歌丸さんは1日に50本も吸うヘビースモーカー。
その影響か2009年に慢性閉塞性肺疾患と診断されています。

その後、桂歌丸さんは肺炎や慢性閉塞性肺疾患などで度々、入退院を繰り返していました。
落語と同じく健康にも気を使っていたらまだまだ元気な桂歌丸さんが見られたかもしれません。
そう考えると残念でなりません。

桂歌丸のお墓がある場所はどこ?

現在も「永世名誉司会」として笑点にその名を残す桂歌丸さん。

2018年7月2日に行われたお別れ会には約2500人の関係者やファンが訪れています。
如何に桂歌丸さんが多くの人々に愛されていたかが分かります。

今も桂歌丸さんのお墓参りに行きたいと思うファンは多い事でしょう。
ですが、桂歌丸さんのお墓がある場所は明かされていません。

桂歌丸さんの弟子の1人である三代目 桂枝太郎さん。
その妻でフリーアナウンサーの大河原あゆみさんが「桂歌丸さんのお墓は横浜の街を一望できる場所にある」とブログで明かしています。

桂歌丸さんの葬儀が行われた場所は横浜市港北区の妙蓮寺。
ですが妙蓮寺があるのは横浜の街が一望できるような場所ではありません。

生前は多くの人に囲まれ慌ただしい日々を送っていた桂歌丸さん。
今は穏やかな気持ちで生まれ育った横浜の街並みを眺めている事でしょう。

桂歌丸は先祖も凄い人だった?

次に落語界から人間国宝に認定されるなら最有力と言われていた桂歌丸さん。
盟友の六代目三遊亭円楽さんも桂歌丸さんを人間国宝にしようと尽力していました。

残念ながら人間国宝に認定はされませんでした。
ただ、こうした噂が出るだけでも凄いこと。
改めて桂歌丸さんの凄さを感じますよね。

実は桂歌丸さんの先祖も負けず劣らずの凄い人だったんです。


横浜で生まれ育った桂歌丸さんですがそのルーツは千葉県。
桂歌丸さんの祖先は千葉県の豪族だった椎名胤光さん。

北条家に仕えるも豊臣秀吉に滅ぼされ農民となったようです。

農民になったとはいえ、元豪族のため1万坪の土地を持つ大地主。
千葉県には「椎名」の名前が付いた小学校もあるほど。

著名な豪族の血を受け継いでいた桂歌丸さん。
時代に名前を残すひとかどの人物となったのも納得してしまいます。

桂歌丸の生家は遊郭を経営していた

1936年に横浜で誕生した桂歌丸さん。
その生家は横浜でも有数の遊郭「富士楼」を経営していたそうです。

桂歌丸さんが3歳の頃に父親は結核で死去。
その後、祖母と仲が悪かった母が家を出て行ってしまったため9歳の時から祖母に育てられていました。

近所にあった遊郭の女将と共に「真金町の三婆」と呼ばれる有名人だった桂歌丸さんの祖母。
富士楼が空襲で焼失するも戦後すぐに仮設の建築物で富士楼を再開するなどパワフルな女性でした。

また、祖母は経営者としての手腕もかなりのものでお店は大繁盛。
そのため戦後という困窮した時代でも桂歌丸さんは裕福な生活を送っていたそうです。


桂歌丸さんが落語家を目指すきっかけとなったラジオ。
当時はまだ高価であり一般家庭には普及していませんでした。
そのため生家の遊郭のおかげで桂歌丸さんは落語家になれたと言っても過言ではないでしょう。

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