戦後、風前のともしびだった上方落語の立て直しと継承に力を注ぎ、「上方落語中興の祖」と呼ばれた大名人・桂米朝(かつらべいちょう)さん。
落語家では江戸落語の柳家小さんさんに続く二人目、上方落語では初の人間国宝です。
ここではまず弟子をはじめとする米朝一門と、一門の特色である事務所についてみていきます。
また「息子双子」という検索ワードは誰と誰のことをさすのかも明らかにしたいと思います。
米朝師匠が愛した街であり、自宅があった兵庫県の武庫之荘(むこのそう)とはどんなところなのでしょう。
桂米朝一門の弟子は吉本や松竹所属ではない?
上品な語り口と高座映えのする端正な容姿で絶大な人気を誇った桂米朝さん。
「芸とは催眠術」が持論でした。
観客を話芸の世界へ引き込むことを催眠術に例えていますね。
誕生は1925年11月6日、当時日本の租借地だった満州の大連です。
本名は中川清さん。
ほどなく一家は故郷の兵庫県姫路市に戻り、米朝さんは演芸や芝居に親しむようになりました。
戦後は会社勤めをしたものの、落語への情熱を捨てきれず、四代目桂米團治さんに弟子入り。
笑いの演芸の中で落語ほど洗練されたものはないという信念のもと、存続が危ぶまれていた上方落語の復興に努めました。
大阪では、戦前からの漫才の台頭で落語が衰退しつつあったそうです。
桂米朝さんは上方文化の文献や江戸時代の史料を徹底的に調べ、引退した古老たちにも取材を行い、埋もれていた演目を高座でよみがえらせました。
その数は180にものぼるといわれています。
今日3月19日は姫路出身の落語家桂米朝の命日。師匠の「まめだ」にはいつも泣かされる中の人です。
ことばの森展示室では、研究者、創作者、そして教育者としての米朝に光を当てたコーナーを常設しています。師匠が眠る市内の名古山霊苑と合わせてぜひ❗️#桂米朝 https://t.co/Rp9OvuqD5g— 姫路文学館(休館中) (@himeji_bungaku) March 19, 2019
上方落語の救世主となる一方で、多くの弟子も育て上げました。
一門は桂米朝一門会などの興行を行い、桂米朝落語研究会も開催。
ほかの上方落語の一門が吉本興業や松竹芸能に所属するケースが多いなか、米朝一門の落語家の大半が独立した芸能事務所である米朝事務所に所属しています。
とりわけ昭和の終わりから平成にかけての米朝一門には勢いがありました。
爆笑王の異名をとった桂枝雀さん、テレビで人気を呼び実力派の落語家へ変貌をとげた桂ざこばさん、枝雀一門の桂南光さん。
もちろん米朝師匠も健在でした。
米朝師匠にとって南光さんは孫弟子にあたりますが、今では玄孫弟子もいる大所帯。
厳しい指導で知られるかたわら、破門者を一人も出さなかったといいますから、懐の深い師匠だったのではないかと思います。
自分の中の #米朝首脳会談 のイメージ。#桂ざこば #桂南光 #桂米團治 #桂米朝一門 pic.twitter.com/4Ynxp1zgXe
— 愚鈍 (@gudon_san) February 27, 2019
桂米朝が設立した米朝事務所とは?
長い間、千土地興行に所属して千日劇場をホームグラウンドにしていた桂米朝さん。
1968年にフリーとなり、独演会や一門会に軸足をおいた活動をはじめます。
1974年には千土地興行時代のマネージャーを代表とした米朝事務所を立ち上げました。
本社は大阪北区にあり、東京にも事務所があります。
2023年現在、代表取締役社長を務めているのは米朝師匠の長男であり弟子でもある五代目桂米團治さん。
米朝事務所は落語会の企画・制作、テレビやラジオ番組の企画、芸能人の紹介を主な業務としています。
「息子双子」は誰と誰のこと?
桂米朝さんの妻・絹子さんは元大阪松竹少女歌劇団の駒ひかるさんです。
1958年に誕生したのが長男の米團治さんなのですが、ネット上には米團治さんは双子という情報がありますね。
ですがこれは正しくなく、1960年12月に双子の次男と三男が生まれたことがわかりました。
「米團治さんの双子の弟」という表現は、米團治さん自身が双子とも解釈できますし、弟二人が双子とも解釈できるので、勘違いを生んだまま情報が拡散してしまったのでしょう。
日本語は難しいですね。
ちなみに米團治さんの本名は中川明さん、次男は透さん、三男は渉(わたる)さんというそうです。
桂米朝の自宅は尼崎市の武庫之荘
2015年3月19日、肺炎のため89歳でこの世を去った桂米朝さん。
兵庫県尼崎市の武庫之荘の自宅にはたくさんの花と弔電が届けられ、近隣の住民が手を合わせていたといいます。
武庫之荘には1961年から住み、自宅の稽古場で弟子たちを指導し、自治会副会長を務めたこともありました。
ところが米團治さんによると、武庫之荘の住民は自宅が尼崎市にあることをあまり声高に言いたがらず、「尼崎市です」と言うよりは「阪急の武庫之荘です」と言うのだそう。
治安があまりよくない印象を抱かれがちなのが理由のようですが、地元住民の証言ではけっして治安の悪い地区ではないとのこと。
特に武庫之荘駅の北側は昔からの閑静な高級住宅街。
このエリアに米朝さんの自宅もあったようです。
南側も区画がきれいに整理された住宅地。
都心からほどよく離れた落ち着きのある街だそうです。
米朝会談と聞いてこの顔を思い浮かべる人は少なくないと思う。#桂米朝 pic.twitter.com/IwUeSFX7Q1
— カレー細胞 (@hm_currycell) March 5, 2019
桂米朝さんや桂春團治さんらの尽力のおかげで、1970年頃には上方落語のブームが到来します。
上方落語を関西のローカル演芸から全国区に広めたことも、桂米朝さんの特筆すべき功績といえるでしょう。
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