関西では圧倒的な人気を誇る桂雀々(かつら じゃくじゃく)さん。
桂雀々さんのファンである事を公言する芸能人も少なくありません。
桂雀々が引退して不動産屋に?
「上方落語の爆笑王」と呼ばれテレビでも大人気の落語家、桂雀々さん。
山下達郎さんや根本要さんなど桂雀々さんのファンを公言する著名人は数知れず。
特に熱狂的ファンの俳優の伊原剛志さんは桂雀々さんに弟子入り。
「雀々や剛々」の名前で高座デビューまで果たしています。
多くの人々を笑いの渦に巻き込む桂雀々さんですが幼少期は壮絶な日々を過ごしているんです。
博打好きで借金まで作ってしまった父に愛想を尽かせてか母は姿を消してしまったそうです。
借金取りが家に取り立てにくる生活を送る中、父も蒸発。
そんな桂雀々さんに同情した借金取りが5000円を借してくれた事も。
取り立てに来た借金取りがお金を借すなんてよっぽどのこと。
このエピソードだけで桂雀々さんがどれだけ困窮した日々を送っていたか分かりますよね。
そんな桂雀々さんが落語と出会ったのは14歳のとき。
ラジオを聞いていると桂きん枝さんの「狸賽」が流れてきたそうです。
偶然にもラジオを録音していた事から書き起こして練習。
後日、その落語を学校で披露すると大うけした事で素人参加番組でも同じネタを披露。
そしてチャンピオンとなった事で落語家になろうと思ったそうです。
落語を通して伝わる人柄に惹かれ、桂雀々さんは1977年6月1日に桂枝雀さんの元へ入門。
同年10月に初舞台を踏むと4年後の1981年にはABC漫才落語新人コンクールで最優秀賞を獲得するなど早くからその才能が開花。
その後も日本放送演芸大賞やNHK新人演芸コンクール、上方お笑い大賞など多くの賞を受賞しています。
すると2011年には大阪でやれる事はやりきった、と51歳の時に東京進出を決意。
2018年には明治座や新歌舞伎座で照明や舞台装置を駆使した「スーパー落語」を披露。
1000人を超える会場でも立ち見客が出るほど大評判となりました。
50歳を過ぎての東京進出や「スーパー落語」など幾つになっても新たな挑戦を続ける桂雀々さん。
再び新しい挑戦をしたくなったのか「芸能界を引退して不動産屋になった」と噂されています。
この噂の発端となったのは株式会社 緑地不動産の広告。
同社の広告に桂雀々さんは宣伝部長として登場し「噺家やめましてん!」という文字が書かれています。
そのため桂雀々さんが引退して不動産屋になった、という噂が流れるようになったようです。
ですが桂雀々さんは芸能界を引退などしていません。
噺家を辞めたというのはあくまでも広告上の事です。
他の落語家であれば真実と思う人はきっといなかったはず。
これまで色々な事に挑戦し続けてきた桂雀々さんだからこそ信じてしまう人が多かったのでしょう。
桂雀々と明石家さんまの関係
関西を代表するお笑い芸人の一人が明石家さんまさん。
かつて「笑福亭さんま」という名前で落語家として活動していたのは有名ですよね。
同年代であり同じ落語家という事で以前から交流があった桂雀々さんとは明石家さんまさん。
片や「上方落語の爆笑王」、片や「お笑い怪獣」となった今も非常に親しい関係にあるようです。
その事が良く分かるのが桂雀々さんの芸歴40周年を記念した全国公演でのこと。
最初に開催された東京公演に明石家さんまさんはサプライズで登場。
事務所を通す事なく桂雀々さんが直接、明石家さんまさんに出演交渉をしたそうです。
この時、明石家さんまさんは中村玉緒さんから譲り受けた勝新太郎さんが着ていた着物で登場。
また、持っていた扇子は中村勘三郎さんが使っていたもの。
どれもこれも今となっては宝物とも言える品々。
明石家さんまさんが桂雀々さんの公演に出演する事をどれだけ大切に考えていたかが良く分かりますよね。
もちろん明石家さんまさんと桂雀々さんのフリートークは観客に大ウケ。
お客さんはもちろん、桂雀々さんにとっても思い出深い公演となった事は間違いないでしょう。
かつて「還暦を迎えた時に日本武道館で独演会をやりたい」と語っている桂雀々さん。
もし日本武道館での独演会が実現したら再び明石家さんまさんも華を添えてくれるはず。
桂雀々さんが還暦を迎えるのは2020年8月9日。
オリンピックだけでなく桂雀々さんの独演会も大きな注目が集まりそうですね。
桂雀々の師匠、桂枝雀が自殺
16歳で桂枝雀さんに弟子入りした桂雀々さん。
幼少期に父親が蒸発している事もあって桂枝雀さんの事は師匠でもあり第二の父親とも思っているそうです。
また、桂枝雀さんも桂雀々さんの事を可愛がっていたんだとか。
「桂雀々」という桂枝雀さんが長年温めていた名前を与えている事からも桂雀々さんに対する思いは明らか。
人間国宝の三代目 桂米朝さんを師に持つ桂枝雀さん。
桂米朝、一門の弟子は独立事務所所属。息子双子はだれ?自宅は武庫之荘
当初は「桂小米」という名前でした。
道を歩いている時や掃除をしている時など常に落語の練習をするなど大変、稽古熱心だった桂枝雀さん。
稽古のおかげもあって上方落語を代表する人気落語家となった桂枝雀さん。
ところが真面目過ぎる性格が災いしたのか、1973年2月に鬱病を発症してしまいます。
幸いにも良い医師に巡り合った事で鬱病は改善し1973年10月に「二代目 桂枝雀」を襲名。
「桂枝雀」の襲名を機にそれまでの繊細な落語から身振りや声色の激しい芸風に変えた桂枝雀さん。
この芸風の変更が功を奏して大人気となりました。
1979年に始まった「枝雀寄席」は1999年まで放送が続く長寿番組に。
また、1983年からは英語落語を始め1987年には海外公演を行っています。
このように落語の普及と発展に多大なる貢献をしてきた桂枝雀さん。
テレビドラマにも出演するなど順風満帆な日々を過ごしていると思われました。
ところが1997年1月頃に鬱病を再発。
最初の鬱病よりも症状は重く内臓にも異常があったため闘病生活に入る事となります。
それから2年後の1999年3月13日に首を吊っている所を発見され意識不明のまま病院へ。
この時、桂枝雀さんの体を降ろしたのは桂雀々さんだったそうです。
病院に搬送後も桂枝雀さんの意識は戻る事なく同年4月19日に59歳という若さで帰らぬ人となりました。
師匠の桂米朝さんをして「私より大きい存在になる」と言わしめた桂枝雀さん。
落語家としての活動を続けていれば人間国宝に認定されていた可能性は大いにあったはず。
落語界のみならず日本芸能にとって多大なる損失と言わざるを得ません。
桂雀々の息子はどうしてる?
結婚した時期は分かりませんでしたが既婚者の桂雀々さん。
お相手の女性は一般人のようで詳細な情報は明かされていませんでした。
ただ、桂雀々さんの妻は桂ざこばさんの妻と姉妹なんだとか。
そのため桂雀々さんと桂ざこばさんは義兄弟となっています。
桂雀々さんと妻の間には1女1男が誕生。
娘の名前は松本唯さん。
「麻生唯」という芸名で日本だけでなく中国や台湾でもタレントとして活躍しています。
また、語学力を生かして通訳としても活動しているようです。
いわゆる二世タレントの麻生唯さんですが他の二世タレントと大きく異なる点があります。
それは芸能界デビューをしたのが日本ではなく中国ということ。
麻生唯さんはインターナショナルスクールに通っていた時に中国映画が大好きに。
そのため高校卒業後、単身で中国の上海戯劇学院に留学しています。
そして上海戯劇学院在学中に教員に声を掛けられた事で芸能活動を開始しているんです。
その後、麻生唯さんは2年の留学を終え台湾へ。
東京に拠点を移したのは2011年のこと。
ディーン・フジオカさんや菊地凛子さん等と同じく逆輸入タレントの麻生唯さん。
今後の更なる活躍に期待が集まっています。
一方、桂雀々さんの息子については情報が見つからず。
そのためタレントや落語家にはなっていないと思われます。
なお、過去の麻生唯さんのInstagramに息子の顔写真が掲載されていました。
無防備な姿の写真ではありますが、なかなかのイケメンです。
これだけの美貌を活かさないなんて持ったいない気がしてしまいますよね。
ですが、桂雀々さんの息子なので見た目に頼る必要がないほど優れた才能を持っているはず。
きっとその才能を活かして一般企業で大活躍している事でしょう。
桂雀々さん譲りのトークで社内の人気者になっているかもしれませんね。
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