澤地久枝の現在。再婚した夫、子ども、家族について。向田邦子は親友

『妻たちの二・二六事件』『滄海(うみ)よ眠れ』など、昭和史に隠された真実に次々と光を当ててきたノンフィクション作家の澤地久枝(さわちひさえ)さん。

2020年に自宅で転倒し、腰椎を骨折する大けがをしましたが、高齢ということもあって経過が心配ですね。

近況を追うとともに、2023年現在、夫はいるのか、また子どもはいるのかなど家族についても調べました。

あわせて20代からのつきあいで、親友だった向田邦子さんにもフォーカスします。

澤地久枝、2023年現在は体調が回復

2020年5月、電話に出ようとしてベッドから出たところで転倒し、腰椎を圧迫骨折してしまった澤地久枝さん。

骨折直後は要介護4に認定され、寝たきりの状態でした。

ところが、わずか2か月後の7月には恒例の抗議活動に車椅子で参加。


2015年の11月3日以来、澤地さんは毎月3日に国会議事堂の正門前に立ち続け、集団的自衛権の行使容認にNOを突きつけてきたのです。

大江健三郎さんらと「九条の会」を旗揚げしたのは2004年のことでした。

2021年4月には、医師の中村哲さんを偲ぶ会に出席するため、沖縄へ。

中村さんは2019年にアフガニスタンで銃撃されて死亡したNGOペシャワール会の現地代表を務めていた医師です。

中村さんへのインタビューをまとめた共著『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』があります。

要介護認定を受けていながら飛行機で沖縄まで飛び、非業の死をとげた人の話をするのは心身ともに負担が大きかったはず。

けれど「行かなくては」という気持ちが勝ったと述べています。

腰椎を骨折するまでは介護保険に興味がなく、内容も知らなかったという澤地さん。

利用してみて、よい制度だと思ったそうです。

リハビリのおかげで夏には要介護2に。

食事の支度も自分でできるようになりました。

外出時の杖やコルセットを手放せない生活は続いていますが、時おりメディアに登場して元気な姿をみせています。

2023年に93歳を迎える澤地さんですが、自分はこんなことでは終わらない、痛みはいずれ消えていき、必ず自分の足で歩けるようになると信じていたそうです。

澤地久枝が離婚した夫&再婚は?

2023年現在、澤地久枝さんは2階建ての自宅でおひとりさま暮らし。

この家は、一生独りで暮らすことを見据えて50代の時に建て替えたもの。

キッチン、ダイニング、寝室などを1階にそろえ、いざとなれば1階だけで生活できるように設計された、いわば「おひとりさま仕様」の自宅です。

澤地さんには結婚歴がありますが、離婚後は独身を通してきました。

澤地さんは中央公論社の編集者時代、『婦人公論』の次期編集長と期待されていながら、作家・有馬頼義さんとのダブル不倫というスキャンダルを起こしました。

心臓に持病を抱える澤地さんは心臓喘息で倒れ、心身ともに追い詰められて1963年に中央公論社を退社。

夫と離婚したのはこの頃で、有馬さんとの再婚もかなわず、破局してしまいました。

別れた夫は学生時代に知り合った男性とのことですが、名前や職業など詳細は不明です。

自身の恋愛、結婚、離婚についてはあまり多くを語らない澤地さん。

仕事と私生活を切り離しているのか、それとも過去のプライバシーに触れられたくないのか、あるいは他者への迷惑を考慮しているのか、第三者は勝手に推測しますが、本当のところはわかりません。

同居家族のいない澤地久枝、子どもはいる?

高齢のおひとりさま暮らしを送る澤地さんには、同居する家族がいません。

子どもに関する情報もありませんでした。

離婚したのが33歳前後なので、出産していても不思議ではないのですが、優秀な編集者として活躍していたこともあり、出産を選択しなかったのかもしれません。

高齢のおひとりさま暮らしについては、隣に住む10歳違いの弟に鍵を渡してあるので、何かあった時は弟が見つけてくれるはずと発言。

また要介護生活中の暮らしぶりにも子どもの気配はありませんでした。

極めつけは終活についての話。

遺言状は作成してあるものの、遺産は法定相続通りに兄弟姉妹、またはその子たちへ渡るだろうと述べています。

これらのことから、おそらく澤地さんに子どもはいないと考えるのが自然です。

澤地久枝の親友だった向田邦子

1981年に不慮の航空機事故でこの世を去って40年がたつ向田邦子さん。

著作が今なお版を重ねているだけでなく、関連書籍も出版され、生前を知らない若い読者も獲得している現象から、向田作品がいかに現代人の心をとらえているかがうかがえます。

澤地久枝さんは、1929年11月28日生まれの向田さんより9か月だけ年下。

二人は20代の頃からの親友で、同じ時を過ごしていたはずでした。

「友だちというものは、やたらにできるものではない」と澤地さん。

独りで暮らす自宅には、向田さんの表情、言葉、声がよみがえってくる多くのものがあるそうです。

おそらく別れてからの年月が長くなるほど、向田さんの存在が大きくなってきたのではないかと思います。

澤地さんは自著で二人の関係をつづっていますが、向田さんの最初のエッセイ集『父の詫び状』にも澤地さんが登場します。

直木賞受賞の翌年に起きた不慮の事故によって、わたしたちは向田さんの新作を読めなくなりました。

澤地さんによると、向田さんは父を題材にした長編小説を執筆する予定だったとのこと。

すでに父の故郷で取材を行い、父の人生だけでなく、親の世代についてもリサーチしていたそうです。


戦争体験者が次々と鬼籍に入り、ますます戦後生まれの人口が増えていく時代にあって、澤地久枝さんのような昭和の語り部はとても貴重な存在です。

これからもお元気で活動を続けてほしいですね。

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