類まれな美貌で戦後の映画に彩りを添えた月丘夢路(つきおかゆめじ)さん。
日本映画史上、指折りの美人女優であることに間違いはないでしょう。
朝丘雪路さんとは名前が似ていることから混同されたり、関係性に興味を抱かれたりすることがあるようです。
二人に血縁などのつながりはあるのでしょうか。
また、娘・井上絵美さんの活躍のほか、故郷・広島への思いをこめた映画『ひろしま』についても取り上げます。
月丘夢路は日本映画界トップレベルの美人!
高等女学校への進学が狭き門だった1930年代、入学のご褒美のひとつとして宝塚の舞台を観たばっかりに、自らも入団を決意することになった月丘夢路さん。
反対する親を説き伏せての女学校中退、宝塚音楽学校入学でした。
宝塚歌劇団27期生であり、同期生に越路吹雪さん、乙羽信子さんらがいます。
月丘夢路さんは本名を井上明子さんといい、旧姓は「旭爪(ひのつめ)」。
愛称の「ツメ」は旧姓からきています。
生まれたのは1922年10月14日、のちに爆心地となる広島市中区大手町。
『宝塚花物語』で初舞台を踏んだあと、宝塚映画『瞼の戦場』に主演して映画デビュー。
宝塚時代から、華やかな美貌の娘役トップスターとして名をはせていました。
退団後は大映、松竹、日活の各社で看板女優に。
映画1本につき200万円という日活移籍時のギャラは、日活では最高額の出演料。
映画出演は100本を超えており、代表作に『晩春』『二十四の瞳』『ひろしま』などがあります。
2014年に宝塚歌劇の殿堂入りをはたし、2017年5月3日に肺炎のため94歳で死去しました。
#月丘夢路 が美し過ぎる #ひろしま pic.twitter.com/G5pu0daDor
— ㄜㄘƕこ (@sachinko931) August 17, 2019
名前の響きも美しい月丘夢路さん。
世の男性の絶大な支持を得たその美貌は、おそらく今後も語り継がれていくでしょう。
美人ぞろいのタカラジェンヌのなかでも抜きんでた美しさは嫉妬の対象でもあり、深刻な嫌がらせもめずらしくなかったようです。
曰く、「ツメは美人を鼻にかけてる」「色仕掛けでいい役をもらってる」。
思い悩む夢路さんに、「あんたは三枚目でいったほうがいい」と助け舟をだしたのは越路吹雪さんでした。
月丘夢路さんには清純派とは違う、しっとりとした大人の艶っぽさがありますね。
顔立ちは、どちらかといえば洋風でしょうか。
くっきりした目鼻立ちが印象的で、とりわけ大きな瞳が魅力的です。
人気絶頂期には美容整形で月丘夢路さんの目を希望する女性が続出したという逸話が残っています。
月丘夢路と朝丘雪路の関係は?
名前が似ているだけでなく、ともに宝塚出身、そして死去したのも1年違いの同じ時期ということで何かと混同されがちな二人。
月丘夢路さんは13歳年上で、大先輩にあたります。
また朝丘雪路さんは妹ではないかと思う人もいるようですが、血縁関係はありません。
妹の月丘千秋さんが宝塚音楽学校出身であることも混乱を招くのでしょう。
月丘夢路、朝丘雪路、越路吹雪、大路三千緒といったネーミングはいかにも宝塚という感じですね。
ちなみに月丘夢路さんと朝丘雪路さんは映画で共演したことも。
月丘さんの夫・井上梅次監督による1961年の『女房学校』は、ミュージカルのような趣向を凝らした娯楽作です。
#朝丘雪路さん死去。さっき知ったんだけど津川雅彦の奥さんだよね?
なんか今年は大物が亡くなるな。星野仙一、大杉蓮、西城秀樹、星由里子とか。#朝丘雪路 #津川雅彦 #11PM #大橋巨泉 #宝塚 pic.twitter.com/SBIDmLoZ0g— まーぶるせんせい (@youdayon1) May 19, 2018
月丘夢路の娘・井上絵美は料理研究家として活躍中
夫・井上梅次監督との間にもうけた長女が料理研究家の井上絵美さんです。
生年月日は非公表ですが、東京都生まれで、聖心女子大学卒業後に辻調理師専門学校フランス校で料理を学びました。
帰国後は青山に料理教室・エミーズを設立。
その後、 食に関連する幅広いジャンルのプロフェッショナル養成学校・エコールエミーズを開校しました。
日本人向きにアレンジしたフランス料理やイタリア料理を教えるかたわら、トークショーなどのイベントや講演会、テレビ、雑誌などでも食についての発信を行っています。
2010年に夫と死別した月丘夢路さんは、都内の自宅で絵美さん夫妻と三人暮らしでした。
井上監督のお別れの会には体調不良で出席できなかったため、絵美さんがホスト役を務めています。
月丘夢路は広島への思いから『ひろしま』に出演
代表作のひとつである1953年の主演映画『ひろしま』。
東日本大震災による原発事故で、この映画が再び注目を集めることになりました。
同作は被爆者の手記『原爆の子』を原作とし、関川秀雄監督がメガホンをとった日教組プロ製作の映画。
1955年のベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞しています。
関川監督が心血を注いだのは、わずか8年前に起きた原爆投下直後の地獄絵図をいかにリアルに再現するか。
月丘夢路さんが演じたのは女学校の教師・米原先生でした。
運命の8月6日、生徒を引率中に被爆した米原先生は、助かった生徒たちを安全な場所へ避難させるため川へ身を投じますが、流れに巻かれて生徒とともに力尽きます。
「ひろしま」
1945年8月6日午前8時15分、一瞬にして走った閃光が原爆の恐ろしさの全てを物語ります。
多くの被爆者たちが出演し、主演は広島市出身の #月丘夢路 さん。
原爆投下から僅か8年後に制作されたこの映画がテレビで放映された事が大きいです。 #山田五十鈴#加藤嘉#岡田英次#映画ひろしま pic.twitter.com/QWl9ThIMTf— 銀座カンカン息子 (@TwentyFourEyes) August 17, 2019
オリバー・ストーン監督は、「全世界の人に絶対に観てほしい映画、記憶は忘却との闘いだから」と絶賛。
月丘夢路さんは当時は松竹所属であり、他社の映画には出演できない協定があったにもかかわらず、周囲の反対を押し切ってノーギャラで出演しました。
宝塚音楽学校に入る15歳までを爆心地・大手町で過ごした月丘夢路さんの並々ならぬ思い入れがうかがえます。
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