京マチ子(きょうまちこ)さんは、「羅生門」や「地獄門」などの名作に数多く出演した「大女優」という呼び名にふさわしい女優さんでした。
非常に美人だったマチ子さんですが、その美しさは令和の今でも色褪せることはありません。
そんなマチ子さんの若い頃や、晩年についてなど、お伝えします。
京マチ子のプロフィール
本名:矢野元子
生年月日:1924年(大正13年)3月25日
没年月日:2019年(令和元年)5月12日
身長:160cm
出身地:大阪府大阪市港区八幡屋町
最終学歴:東京藝術大学美術学部、セツ・モードセミナー卒
京マチ子の若い頃が超美人!
京マチ子さんは1924年生まれ、つまり大正13年生まれです。
中学生の頃は戦時中でしたが、大阪松竹少女歌劇団に所属して娘役として活躍されていました。
当時から子供とは思えない妖艶な魅力があり、非常に話題になっていたそうです。
#京マチ子 さん。1936年 大阪松竹少女歌劇団(OSK)に入団、戦時中は娘役スターとして活躍。1949年 大映入社。1950年「羅生門」で三船敏郎演じる無頼漢 多襄丸に犯される 武士の妻・真砂を健気に演じ、海外でも高く評価された。テレビには1964年から出演。『必殺仕舞人』『必殺仕切人』が印象深い。 pic.twitter.com/IotBndSCBN
— 昭和特撮大好き(昭和レインボー ラジオ) (@TokudaiRainbow) September 14, 2023
映画デビューは1944年に公開された松竹制作の映画「天狗倒し」でしたが、当時は本名の「矢野元子」の名前で出演していました。
1949年、マチ子さんが25歳の時に大映に入社し、映画「最後に笑う男」に出演しました。
翌年1950年には黒澤明監督作品でマチ子さんの代表作「羅生門」に出演し、若くして「大女優」の名を欲しいままにしました。
マチ子さんの身長は160cmで、当時の女優としては背が高かったこともあり、肉体美を武器にして官能的な魅力で多くの観客を魅了していました。
そんなマチ子さんには海外のファンも多く、1956年にはハリウッドから声がかかり、映画「八月十五夜の茶屋」に出演し、マーロン・ブランドとの共演が話題になりました。
海外の観客にはマチ子さんの妖艶で和装の美が衝撃を与えたそうです。
1955年にヴェネチア国際映画祭に招かれた際にはソフィア・ローレンとフォトセッションを繰り広げましたが、和服を崩し気味に妖艶に着こなすマチ子さんのスタイルは、ソフィア・ローレンにも引けを取らない魅力があると評されました。
1955年、ヴェネチアでの京マチ子とソフィア・ローレンの日伊セクシー対決。着物のことはよくわかりませんが、おそらくアウトな着付けを迫力でねじ伏せ着こなす京マチ子様。ソフィア・ローレン相手に全く腰が引けてない。惚れ惚れしますよ。 pic.twitter.com/PpXB3SKVIx
— 丙ウマ・サーマン (@hinoeumathurman) May 16, 2015
名実ともに日本を代表する美人女優の京マチ子さんの作品は、これからも多くの人を感動させていくでしょう。
晩年は仲間と支え合いながらのマンション生活
京マチ子さんは、女優として2006年ごろまで活動していました。
女優として最後に舞台に立ったのは、2006年9月に名画座で上演された舞台「女たちの忠臣蔵」でした。
当時、マチ子さんはすでに82歳を迎えられていました。
素晴らしい御本を、ありがとうございました。
最後となった舞台『女たちの忠臣蔵』は、京マチ子さんと池内淳子さんの共演だったんですよね、観に行って本当に良かった。— 阿部 努 (@aberandon) May 14, 2019
その後は引退状態で近況が公開されることもほとんどありませんでした。
しかし、2014年に池畑慎之介さんのブログに、そして2017年には仲代達矢さんがブログにて「マチ子さんは元気で、一緒に飲もうと約束している」と報告されていました。
そんなマチ子さんは一度も結婚したことがなく、お子さんもいらっしゃらないので独り身でした。
引退してからはマネージャーの方と同居していたそうですが、その方が亡くなられて郊外のマンションに移るつもりだったそうです。
ですが、そこで声をかけたのはドラマプロデューサーの石井ふく子さんでした。
「そんなに遠くに引っ越さずに、同じマンションに来たら?」と誘われて、都内の高層マンションに住んでおられたそうです。
そのマンションには石井ふく子さんをはじめ、独り身の若尾文子さんや奈良岡朋子さんらも住んでおられ、ちょうど良い距離でお互いを支え合いながら暮らしていたそうです。
お正月には4人が石井さんの部屋に集まり、お正月料理を食べたり、多く作りすぎたおかずをおすそ分けし合っていたそうです。
京マチ子さんほど有名な方でしたら、もしも多くの方が入所している施設などでは目立って安ぐ事はできなかったでしょう。
晩年は同じ業界でがんばってきた方々と一緒に過ごすことができて、良い時間を過ごされたのではないでしょうか。
ハワイで納骨&死因は心不全
京マチ子さんは2019年5月12日、東京都内の病院で亡くなりました。
晩年同じマンションで暮らしていた石井ふく子さんが病院へ駆けつけた時は、「ありがとう」と石井さんの手を握ったそうです。
それから数時間後、マチ子さんは旅立たれました。
享年は95歳で、死因は心不全だったそうです。
京マチ子さんが5月12日午後12時18分、心不全のため都内の病院で亡くなった。享年95歳。まったく残念です。”ぼんち”での「お福」、”華麗なる一族”では「高須相子」、かつて観たさまざまな場面が限りなく思い浮かびあがってくるではないか。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/uMM0zl1xAE
— Colette (@Colette89677107) May 14, 2019
訃報が発表されると、多くの方から昭和の大女優が亡くなった事を悲しむ声が上がりました。
葬儀は生前のご本人の意思により、数名の友人の立会いのもとに密葬が営まれました。
そんなマチ子さんの遺骨はハワイに収められています。
同居していたマチ子さんのマネージャーの方が亡くなった際、以前から気に入ってよく訪れていたハワイにお墓を買われました。
その時にご自身のお墓も購入されていたそうです。
お墓の場所は小高い丘にある見晴らしのいいところにあるそうです。
ハワイの暖かい風を感じながら、安らかに眠っておられる事でしょう。
関連記事
京マチ子の性格は純朴。独身で結婚はしていない。家族は両親のみ&ハーフはデマ
月丘夢路は美人の代表格。朝丘雪路との関係は?娘(井上絵美)&広島への思い
山本富士子の現在。老人ホーム説なぜ&自宅マンションと蓼科に別荘。若い頃ミス日本
三船敏郎がかっこいい&イケメンで殺陣がすごすぎた!黒澤明と不仲&高倉健と共演は?
三船敏郎の死因は?晩年の妻とのきずな!喜多川美佳と泥沼不倫&家族まとめ!