誰もが知るヒット曲の作詞を数多く手がけ、昭和歌謡の黄金期を牽引した阿久悠(あくゆう)さん。
作詞家としての活躍にとどまらず、横溝正史ミステリ大賞受賞作や直木賞候補作を残した小説家でもありました。
この記事では息子ほか家族や結婚、気になる資産のこと、また天才と呼ばれる理由について迫ります。
阿久悠のプロフィール
本名: 深田公之(ふかだ ひろゆき)
別名義: 多夢星人
生年月日: 1937年2月7日
没年月日: 2007年8月1日(70歳没)
出身地: 兵庫県津名郡鮎原村(現: 洲本市五色町鮎原)
最終学歴: 明治大学文学部
阿久悠の息子は作曲家だった
息子の深田太郎さんは1965年神奈川県生まれで、明治大学文学部卒業。
1992年にロックバンド「ジェンダ・ベンダ」のメンバーとしてデビューしました。
デビュー曲の作詞を担当した「多夢星人」という人は阿久悠さんのことです。
親の七光りに抵抗があった太郎さんでしたが、なかなかデビューできない「ジェンダ・ベンダ」を見かねて、「お父さんに詞を書いてもらったら」とアドバイスする人が。
最終的に太郎さんは忠告を受け入れることに。
父の没後、ようやく日記を読むことができるようになった太郎さん。
そこには、息子のバンドの詞を頼まれてプレッシャーを感じていることなどが綴られていたそうです。
バンド解散後は作曲家として楽曲提供をしながら、株式会社阿久悠の代表として父の業績を伝える活動に取り組んでいます。
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『株式会社阿久悠』の取締役で、作曲家の #深田太郎 さんお父様である #阿久悠 さんについて書き下ろした『「歌だけが残る」とあなたは言った-わが父、阿久悠』についてお話伺いました。
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2019年には阿久悠さんの素顔に迫る『「歌だけが残る」とあなたは言った-わが父、阿久悠』を刊行。
息子にショックを与えた父の思い
阿久さんの日記を読んだときの深田さんは、ショックを受けたことも明かしています。
それは、自分やバンドに対する厳しい言葉などではありませんでした。
息子と一緒に新たな挑戦をしたがっていたことがわかったのです。
〈太郎と日本の新しいロックを作っていきたい〉
阿久さんが感じていたのは、前述のようなプレッシャーだけではなかったんですね。
息子と一緒に音楽の仕事ができることに、喜びも感じていたのではないでしょうか。
親子で協力した「ジェンダ・ベンダ」の曲が、新たなロックの形として評判になる未来を思い描いていたのかもしれません。
しかし、当時の深田さんは、そんな父の気持ちにまったく気づかなかったそうです。
頭にあったのは、父親の名前でやることへの複雑な思いだけ。
阿久さんの方では意外とポジティブに考えていて、「一緒にがんばりたい」とまで思っていたとは、想像もできなかったのでしょう。
なかなかデビューできずに焦っていたことを考えると、仕方がないかもしれません。
とはいえ、日記を読んで胸が痛んだという深田さん。
当時から父の気持ちを知っていれば、また違った曲ができていた可能性もありそうです。
息子に見せたストイックな姿
阿久さんが亡くなった後は、父親のエピソードをいろいろと語っている深田さん。
『甲子園の詩(うた)』を執筆していた時期は、父のストイックさに驚いたことを明かしていました。
当時の夏の甲子園をすべてテレビ観戦していた阿久さんは、ものすごい集中力だったのだとか。
「テレビから目を離したくないと昼食は丼物かおにぎり。試合中はトイレも行かない。これを2週間続けるんだからまるで修行僧のようでした」
そんな姿を初めて見たとき、深田さんはとてもびっくりしたでしょうね。
ですが、そこまで徹底してやりきるからこそ、素晴らしい作品が完成したともいえるでしょう。
ちなみに、仕事以外の阿久さんは、優しく穏やかだったそうです。
幼い深田さんの話を、真面目に最後まで聞いてくれたのだとか。
ストイックな一面だけ見ると非常に厳しい人物だったような印象を受けますが、ずっとピリピリしていたわけではないんですね。
深田さんにとっては、普段は優しく、仕事に対しては全力投球のかっこいい父親だったのかもしれません。
阿久悠の家族や結婚まとめ
阿久悠さんは1937年2月7日、巡査の父・友義さんと母・ヨシノさんの次男として兵庫県の淡路島で生まれました。
本名を深田公之(ふかだひろゆき)さんといい。ペンネームは「悪友」をもじったもの。
兄・隆さんは終戦の1か月前に戦死しました。
『瀬戸内少年野球団』は淡路島での少年時代をベースにした小説。
実父をモデルにした『無冠の父』も舞台は淡路島です。
瀬戸内少年野球団(1984)
作詞家・阿久悠の自身の郷里・淡路島での少年時代をつづった小説を篠田正浩監督が映画化。敗戦直後の淡路島を舞台に、初めてする野球に夢中になっていく少年たちと戦争の影を引きずる大人たちの姿をノスタルジックに描く。女教師を演じたヒロイン・夏目雅子の輝きを観て欲しい pic.twitter.com/3AMgUlmd1g— 放送作家ジュン おすすめ映画 (@2eJbSBx8Y6aAfab) August 27, 2020
父・友義さんが他界したのは1975年、阿久悠さんが38歳の時でした。
後述しますが、『時の過ぎゆくままに』が大ヒットした年です。
母・ヨシノさんは 1991年に死去しています。
妻・雄子さんは宣弘社の同僚で、1964年に結婚。
翌年に太郎さんが誕生しています。
1976年に伊東市宇佐美に転居するまで一家は横浜に住んでおり、当時の阿久悠さんは3、4か月に一度しか帰宅できないほど多忙な身。
太郎さんによると、日曜日の『スター誕生!』しか父親を見る機会がなく、ほとんど母子家庭状態だったそうです。
ようやく家族の時間がもてるようになったのは伊東に引っ越したあとのことでした。
阿久悠が天才と呼ばれるわけ
「歌詞は数分間の映画」と語っていた阿久悠さん。
ことに70年代の仕事ぶりはすさまじいものがありました。
『津軽海峡・冬景色』『勝手にしやがれ』『ピンポンパン体操』など、まったく異質な楽曲で大ヒットを連発した力量は特筆すべき点でしょう。
小説執筆や『スター誕生!』などの番組企画にもみられるように芸風が多彩なのは、コピーライターや放送作家の経験がベースにあるのかもしれません。
曲や番組の特性を見極めてプロデュースする能力に長けていたように思えます。
数多いヒット曲でご本人のお気に入りは『時の過ぎゆくままに』。
大野克夫さんの作曲による沢田研二さんの14枚目のシングルで、自身が主演した『悪魔のようなあいつ』の挿入歌でした。
三億円事件をモチーフにしたドラマです。
[音] #時の過ぎ行くままに #沢田研二
大好きな曲です。
心の闇の部分を歌ったネガティブ目の曲ですが、だからこそ寄り添ってくれる感じも受けるのではないか、と思います。ぜひ聴いてみてください。😉 pic.twitter.com/rgEta5lMjM
— Hiroyoshi-Ienaga@BIZ&TECHS (@HiroyoshiIenaga) September 6, 2018
ヒット曲は時代を映す鏡といわれることがあります。
その時代の空気やドラマを数分間のシングルの中に描き続けた阿久悠さん。
まさに昭和歌謡を象徴する作詞家だったといえるでしょう。
阿久悠の資産
生涯で手がけた楽曲は5000曲以上、シングル売り上げ枚数は7000万枚近いといわれる阿久悠さん。
高額納税者番付が公示されていた頃は常連の一人でした。
遺族が相続した資産に関心が寄せられるのも無理はありませんね。
阿久悠さんの資産についてはさまざまな情報が錯綜している状態です。
一部では歌詞印税だけで年間数億円の収入があったといわれており、自宅や都内の仕事用マンションなどの不動産を合わせると、総資産額は100億円とも。
とりわけヒット曲が多い阿久悠さんの場合、注目したいのがカラオケの二次収入。
年輩のカラオケ客は自分が若い頃の歌謡曲を歌う人が多いです。
とはいえ資産が多ければ、それだけ莫大な相続税もかかることに。
一概に遺産が多いからといって喜べるとはいえませんね。
阿久悠の経歴まとめ
『北の宿から』『勝手にしやがれ』『UFO』『宇宙戦艦ヤマト』『ピンポンパン体操』など、ジャンルを超えた楽曲を5000作品以上も手がけた阿久悠さん。
言わずと知れた日本を代表するヒットメーカーの一人ですね。
明治大学卒業後は広告代理店・宣弘社でCM制作や番組企画を行うサラリーマンでした。
本格的に作詞活動をはじめたのは同社を退社した29歳の時。
作詞家として、日本レコード大賞の大賞受賞曲は史上最多の5曲。
シングル売り上げ枚数は秋元康さんにつぐ歴代2位。
オーディション番組 『スター誕生!』の審査員としてもおなじみですね。
スカウトしたい出場者に札をあげるというあのスタイルの考案者は阿久悠さんであり、もともと「密室でスターを選考する一部始終を見せたい」というアイデアから生まれたもの。
また、直木賞候補になった小説『瀬戸内少年野球団』が映像化されるなど作家としての才能も遺憾なく発揮しました。
1984年公開の劇場版は夏目雅子さんの遺作であり、渡辺謙さんの記念すべき映画デビュー作です。
命日8月1日【NHK人x物x録 #阿久悠 1937~2007 作詞家】時代を思い出す最初の扉が 歌であればいいな―人の心に時代をよみがえらせる作詞家、阿久悠。「また逢う日まで」「津軽海峡冬景色」「北の宿から」などヒットを次々に生み出し…続きは https://t.co/oTZEa4wWie #NHK人物録 #今日は何の日
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) July 31, 2019
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