女性視点の性事情をポップな絵柄でストレートに描き、女性漫画の新時代を切り拓いた内田春菊(うちだしゅんぎく)さん。
壮絶な過去を告白した小説『ファザーファッカー』は世間に衝撃を与えましたね。
このような若い頃から苦労された背景に迫るとともに、元カレがヒモ傾向になるという悲しみから恋愛を卒業してしまったという事実も調べてみました。
しかし、そうした苦しみの果てに住まいとした世田谷のご自宅には巨大な本棚があるそうです。
すっかり、ご当地芸能人としてもご活躍の模様を加えてお届けします。
母親・養父ら家族との歪んだ関係性、絶縁した理由も気になりますね。
内田春菊のプロフィール
本名:内田春菊
生年月日:1959年8月7日
出身地:長崎県長崎市
最終学歴:慶應義塾大学通信教育課程退学
所属事務所:ノックアウト
内田春菊は若い頃から様々な経験!慶応ガールにも
漫画家に至るまで、様々な経験を経ている内田さん。
心理学を学ぶ目的で慶應義塾大学にも入学はされていました。
とはいえ、では三田キャンパスへ毎日通っていたのかというとそうではありません。
通信制で学び、中退されています。
内田春菊慶応なのか!!と驚いたら、通信で中退なのか… それで慶応チームというのは微妙…
— 𝙿𝚘𝚙𝚙𝚒𝚗’👑💉💉💉 (@hphgj) October 1, 2012
母校の上野高校でも通信制ということで、そうなると人との関わりが希薄になるのではないかとも思われますが、その心配はありません。
内田さんはこの間に、漫画を描いては持ち込むというまさに下積み時代となります。
16歳で長崎の実家を出ているわけですからまさにサバイバルライフといった感じですね。
また、中退後も、バーのホステス、喫茶店のウェイトレスなどを経験されていまして、作品に活かすためには、人間観察の場にはとても良い環境となりそうですね。
とくに、前者はセクシャルな事象もストレートに描く彼女にとってはとくにそうだったのではないでしょうか。
あるいは、クラブ歌手としても活躍し、こちらは漫画家デビューより一足早く1983年にラテンバンド「アベックス」を結成していました。
1988年には、PERRY COMO『PAPA LOVES MAMBO』をカバーしたCDもリリースされています。
この曲自体は、車のCMなどで2020年代でも聴くことが多い名曲ですね。
水木しげるからも『スケベ』でインプットされていた
漫画家としてのデビュー当時にも触れておくと、彼女の作風はやはり、個性的でかつ、性的描写が特徴ですね。
その才能を見出したのは、プロデューサーの秋山道男さんでした。
『内田春菊』というペンネームも彼によって名付けられます。
また、その才能を認めて師匠となったのがいしかわじゅんさんでした。
彼の尽力もあって双葉社『小説推理』にて、『シーラカンスぶれいん』で1984年にデビューとなります。
当時は、岡崎京子さん、桜沢エリカさんらとともに、『女の子エッチ漫画家』の1人として名を馳せましたね。
それは、あの水木しげるさんの耳元にも届いていたようです。
そりゃあ春菊も嬉しかったんじゃない。RT @suikyokitan: 水木先生の思い出。あるパーティで、初対面の内田春菊さんに向かって水木先生の第一声、「あんたがあのスケベな漫画を描いている内田春菊か!」内田さんはニコニコ笑っていらっしゃいました。
— いしかわじゅん (@ishikawajun) May 19, 2010
彼も内田さんの作品を初見した際には『ゲゲゲ』と思ったかもしれませんね。
内田春菊の最後の元カレ助監督!過去はヒモが多い?
内田さんは、2018年の取材にて、元カレは助監督ということを明かしています。
これまでも様々な方とお付き合いしてきた彼女ですが、この方を最後に、恋愛をもうしないことを宣言されていますから、特に注目ですね。
お仕事が助監督であることが明言されているものの、なんと別れてからもそれを認識しているのかと思うくらい普通に連絡してくるそうです。
その用件も、大物俳優に内田さんと付き合っていたことを知られていたなど、割と重要ではないものとのことですね。
別れ方のパターンによっては、友達に戻ってこのようなやり取りも通常という方もいるかもしれませんね。
けれども、内田さんのその口調やトーンを見ていると、意図が不明瞭なことをする人だったとのことですので、未練がどうのというよりは、いわゆる宇宙人的な要素を持ち合わせた人だったようです。
もちろん、一緒にいて良かった時期もあるそうですが、その期間は、長くは続かないものなのでしょうか。
さらには、その元カレだけではなく、歴代の彼氏は皆、内田さんへの恋心よりもお金に目がいく傾向にあったといいます。
とくに、2番目、3番目の旦那さんはヒモだったとのことで、今後の恋愛相手もまたヒモになっていく可能性を考えると、もういいかなというのが正直なところだそうですね。
ちなみに、3番目の旦那さんとは、俳優の貴山侑哉さんですので、完全なヒモではなく、ちゃんとお仕事もされています。
熊澤尚人監督2017年公開 #映画 「ユリゴコロ」を観た。原作小説がとても面白かったので。映画も感動とまではいかなかったが良かった。リストカットシーンは痛そうで苦しかった。松坂桃李の父親役が素敵だと思って見てたら内田春菊でおなじみの貴山侑哉だった。歳とって渋くなってる。#ユリゴコロ
— おふとんをあるだけ、すべて (@koeri1978) August 10, 2020
離婚後も6年に及ぶ同居生活を送ったほど切れない元夫婦間で培った関係性があればこその『ヒモ』という表現なのでしょうね。
内田春菊の自宅は世田谷
ご自宅もメディアで紹介するなどオープンな内田さん。
81坪6LDKという豪邸ですが、特筆すべきは2階の廊下でしょう。
というのも、巨大な本棚が設置してあり、なかはコミックや単行本が所狭しと並んでいるのです。
さすが、漫画家さんですね。
そして、やはりご当地ゲストとしても活躍しており、2012年3月24日放送の日本テレビ系『メレンゲの気持ち』では、世田谷にある『ナチュラルクレープ経堂店』にて、桜の花の塩漬けを食されていました。
食される食べ物も風流ですが、内田さんの私服もまた着物というのですから、ぴったりです。
経堂に有るナチュラルクレープさん♡メディアにも多数ご紹介されてる大人気店。天然素材に拘った身体にも優しい贅沢なクレープは美味しくて病み付きになります!オーナーの愛がたっぷり詰まったこのお店がTRUSTの施工で新しく生まれ変わります☆ pic.twitter.com/hmLvz1QJ
— Hajime Yamaguchi (@TRUSTcoltd) May 12, 2012
しかも、そのこだわりは、『ないものは作る』という信念で、デニム生地のものまでお手製で作ってしまったといいます。
もし、世田谷で艶やかかつ一風変わった着物をお召しになった美人を見かけたら、それは内田さんかもしれませんね。
内田春菊が母親・養父との過去をもとに書いた小説とは
高校を退学し、さまざまな職業を経て1984年に四コマ漫画でデビューした内田さん。
1959年8月7日生まれの長崎県長崎市出身、本名は内田滋子さんです。
代表作は1986年に連載がスタートした『南くんの恋人』。
その後も途切れることなく作品を発表し続け、人気漫画家の地位を確立しました。
しかし内田さんはそこに甘んじることなく、1993年に自伝的小説『ファザーファッカー』を発表。
その内容は、中学の同級生との交際・妊娠をきっかけに始まった養父の性的虐待や、娘を守るどころか差し出す母親、そして家出といった衝撃的な過去でした。
ノンフィクションではなく、あくまでフィクションなのですが、少女時代から思春期を家族との歪んだ関係性のなかで過ごしてきたことの告白には違いありません。
『ファザーファッカー』は大いに世間を騒がせ、ベストセラーになるとともに映画化もされました。
さらに25年後の2018年には、同じテーマで『ダンシング・マザー』を刊行。
『ファザーファッカー』が養父に虐待される少女の視点で描かれていたのに対し、『ダンシング・マザー』は男をつなぎとめるために実の娘を差し出す母親の視点で描いたもの。
「創作の部分もある」と認めながらも、母親への最後の苦情として、自分の中の怒りと闘いながら執筆に取り組んだ作品とのことです。
【女子SPA!】内田春菊、恋愛をやめた理由を語る。“体の変化”で男性への意識が変わり… https://t.co/gZPMHCbx8m @joshispaさんから
— 内田春菊 (@uchidashungicu) May 6, 2019
内田春菊は27歳で母親と絶縁
一般人の母親と養父については情報はもちろん、ご本人たちのコメントもありません。
ですから、彼らの人となりや言動は著名人である内田さんの作品や発言を通してしか、うかがい知ることができません。
母親と絶縁したことも諸作品やブログで明かしていますが、絶縁に至った経緯も内田さんから発信されたもの。
母親については、世間体や自己利益のために内田さんを利用することばかり考えていた人だったと評しています。
内田さんが求められていたのは成績優秀であることや高収入を得ること。
漫画家として成功したあとは、娘の収入に依存するようになったという母親。
母親と絶縁して32年、内田春菊が書いた「母への最後の苦情」 | 文春オンライン https://t.co/f3yob5wCze
"母になりきることで、見えてきた自分
――「毒母」になって、発見されたことはありますか。"
— dayseyelily (@_daisylily) November 30, 2018
内田さんは、もし自分が子供を持たずに死んだら、これまで稼いだお金が母の手に渡ってしまうと思っていたたまれず、母の仕打ちを世に知らしめなければ死んでも死にきれなかったと明かしています。
血を分けた肉親ならではの憎悪の深さでしょうか。
経済的に安定した27歳の時、母親を呼び寄せて同居することを考えた内田さん。
それぞれが働き、協力しながら生活するヴィジョンを描いていましたが、母親の「あんたが稼いでるのに、なぜ私が働くの?」という態度に憤慨したといいます。
じつは子供時代、内田さんは漫画家になる夢を母親に妨害されたことがありました。
その件の謝罪を求めても母親は話をすり替えるばかりだったとのこと。
結果、母親が愛しているのは自分ではなく、自分が稼ぐお金なのだと気づき、絶縁に至ったということです。
ですが、普通なら秘めておきたい部分を赤裸々に描ききるところがこの方の真骨頂であり、支持される理由でもあるのでしょう。
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