中田久美の結婚。元夫との離婚理由&子供は?長野県に新居購入、尾崎豊と同級生だった

中田 久美(なかだ くみ)さんはバレーボール界を代表する美人選手として有名でした。

バルセロナオリンピック後に一度は現役を引退して”結婚や離婚”をしていたそうです。

今回は中田久美さんの婚姻歴や元夫、子供や尾崎豊さんとの関係に迫ります。

中田久美の結婚。夫の林隆夫について

まずは中田久美さんの結婚や旦那さんについて見て行きましょう。


中田久美さんに結婚歴があったのは以外と知られていませんが、30歳(1995年)という大きな区切りを迎える年に林隆夫さんという一般の男性と結婚をしていました。

一般の方にも関わらず名前が判明しているのが不思議に思われるでしょうが、父親の林亮勝(はやし りょうしょう)さんが大正大学の学長や歴史学者として知られる存在だったからです。

ウエディングドレス姿はありませんでしたが、結婚とほぼ同じ時期に収録されたと思われる「引退ドキュメント」に若かれし頃の中田久美さんが映っていたので紹介します。

今手は全日本の監督として貫禄が付いていますが、当時は可憐な女性だったことが分かります。

お相手の林隆夫さんは高校野球をしていたらしく、国学院久我山高校の一員として甲子園にも出場した経験があるスポーツマンだったので気が合ったのも不思議では無いですね。

ふたりが知り合った経緯や馴れ初めは明らかになっていないものの、お互いの共通点と言える”スポーツ”によって繋がりが出来た可能性が高いのは間違いないでしょう。

また、林隆夫さんの年齢や職業も判明してませんが、1979年の「第51回選抜高等学校野球大会」に出場したという情報から1961~63年頃の生まれと推測することが出来ます。

中田久美の離婚理由や子供は?

次は中田久美さんの離婚や元夫との間の子供について見て行きましょう。

ふたりは約3年という短さで結婚生活に終止符を打ちましたが、離婚に至った理由について中田久美さんは「夫に完璧を求めすぎた」と非常に意味深な発言を残していました。

これについては元夫の生活や行動に対する完璧なのか、それとも現役復帰やコーチ就任など中田久美さんの活動に対する寛容さなどを含めた完璧なのかで話は大きく変わってきます。

態度が悪かったり共同生活を営むのに支障があったとすれば仕方ありませんが、家庭を離れて忙しい生活を送ることを認めてくれなかったからダメ・・では印象が変わりますよね。

どちらが理由か不明ですが、想定していたのとは違う展開になったのは間違いないでしょう。

また、1998年10月に出版した写真集「N.93」では大胆なセミヌードを披露していますが、この作品が夫婦の間に一層の亀裂を生じさせたという噂も流れていたようです。

約3年の結婚生活で子供は授かっていませんでしたが、結婚した年の現役復帰や翌年のアシスタントコーチ就任などを考えると”授かる暇すらなかった”と言えるでしょう。

中田久美が長野県に家を建てた

次は中田久美さんが長野県に新築の家を建てたという話を見て行きましょう。

現役引退後の1997年に長野県内の某所に新築の家を建てたと言われています。

この家は中田久美さんの自宅ではなく両親のために建てたらしく、約400坪という広大な敷地の中にある畑で収穫した野菜を母が送ってくれるとコメントしていたそうです。

長野の実家には現役時代のサインボールやトロフィー、オリンピックなどのビデオが数多く飾ってあるらしく、さながら「中田久美記念館」のような雰囲気と言われていました。

とは言え記念館として開放されているワケではないので気を付けましょう。

中田久美と尾崎豊は同級生?


ここでは中田久美さんと尾崎豊さんの意外な関係を見て行きましょう。

ふたりは1965年生まれ同士であり、練馬区立練馬東中学校では同学年(クラスは別)でした。

尾崎豊さんは世田谷区から埼玉県朝霞市に引っ越していましたが、本人の希望によって練馬東中学校に越境入学をしたという当時ではめずらしい経歴を持っています。

中学校時代の尾崎豊さんは生徒会副会長や文化祭実行委員長を務める一方、喫煙がバレて停学処分になるなど真面目さや好奇心が混ざっている不思議な魅力を放っていました。

一方の中田久美さんは母の勧めで中学からバレーボールを始めていますが、学校の部活は2年生の頃に辞めて山田重雄さんのバレーチーム「LAエンジェルス」に入団しています。


ちなみに、中学校時代のふたりは顔見知り程度だったので特にエピソードはありませんでした。

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