三屋裕子はなぜバスケ協会代表?ジェンダー問題にコメント。経歴や学歴まとめ&バレーの活躍

三屋裕子(みつやゆうこ)さんは全日本代表の女子バレー選手として活躍し、現在は日本バスケットボール協会代表理事を務めておられます。

日本オリンピック委員会副会長や株式会社サイファの代表取締役を務めたり、様々な会社の社外取締役を務めるなど、社会的な活動も多々されています。

女子バレー選手時代は健康的な美しさからアイドル的にも人気もありましたが、なぜバスケットボール協会の理事になったのでしょうか。

そんな三屋裕子さんがバスケットボール協会に携わることになった理由や、様々な社会的局面で感じているジェンダーに関する問題、過去の経歴や学歴、バレー選手時代のことについてなど、お伝えします。

三屋裕子のプロフィール

本名:三屋裕子

生年月日:1958年(昭和33年)7月29日

身長:177cm

出身地:福井県勝山市

最終学歴:筑波大学卒業

三屋裕子はなぜバスケの協会代表に?

三屋裕子さんは2016年に日本バスケットボール協会の代表理事に就任されました。

女子バレーのアイドルだった三屋さんがなぜバスケ?と話題になりましたが、三屋さんは以前にも日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の理事を務められていました。


日本オリンピック委員会副会長も務めておられ、競技に関係なくスポーツのため、スポーツ選手のために様々な協会に関わっておられるようです。

もちろん日本バレーボールの協会理事も務めておられました。

バスケットボールは競技人口の半分は女性が占めているほど女性にも人気のあるスポーツで、女性であり様々なスポーツ協会に携わった経験のある三屋さんにお声がかかったようです。

日本バスケットボール協会に関わることになった経緯

そもそも三屋さんが日本バスケットボール協会と関わることになったきっかけは、日本バスケットボール協会の運営が国際バスケットボール連盟から見て好ましい状態にないとされ、国際試合への出場停止処分を受けていた事にありました。

元々日本のバスケットボール界には、NBLとbjリーグという2つのリーグが存在していました。

1990年代にサッカーがJリーグを設立し大人気になっていた中、バスケットボールもプロリーグ化が検討されていました。

ですが、プロ化に賛成する派閥と、プロ化に対し反発する派閥で対立が起き、日本のバスケ界の中で2つのリーグが出来上がってしまうという状況になっていました。

2000年代に入り、国際バスケットボール連盟から「1国1リーグが望ましい」とされ、日本も1つのリーグに統合するように促されました。

話し合いなどが何度も行われ、リーグ統合へ向けて活動が行われましたが、チーム名に企業名を入れているNBLと、地域密着型の運営のためチーム名に企業名を入れないbjリーグの間で協議が行き詰まっていました。

最終的には国際バスケットボール連盟からの回答期限直前に当時の日本協会の深津泰彦会長が電撃辞任。

日本バスケットボール協会は機能不全に陥っていると判断され、制裁措置として日本バスケットボールチームの国際試合への出場停止が決定されてしまいました。

国際バスケットボール連盟は日本バスケットボール協会を立て直すべく、「JAPAN2024 TASKFORCE」を設立し、様々な業界から顧問が集められ、問題解決へと向かいました。

日本バスケリーグの統合問題は、タスクフォースの尽力により解消され、日本バスケットボール協会組織内改革も進められました。

それまでの日本バスケットボール協会の25人の理事全員が辞任し、2015年5月13日に新体制が発足されました。

新体制にはスポーツの知識を持ちつつも、日本のバスケットボール界にしがらみのない人材が集められ、その中の1人に三屋裕子さんも含まれていました。


それが日本バスケットボール協会に三屋さんが関わることになった経緯でした。

現在(2023)は5期目の就任も決定

2023年6月25日、日本バスケットボール協会は9月からも三屋裕子さんが引き続き会長として5期目を任される見通しであることを発表しました。

会長就任2年目の2018年にはインドネシアでのアジア大会に参加していたバスケットボール男子日本代表チームの一部選手が買春行為をするなど、問題も多々ありました。

ですが、その問題に対して真摯に向き合う姿勢が買われ、続投の声がかかったのだと思われます。

感じるジェンダー問題

2022年に行われた三屋裕子さんへの「各界のジェンダー問題」についてのインタビューで、三屋さんはスポーツ界におけるジェンダーの壁を感じられる事はたくさんあると答えています。

三屋さんの元には社外役員のオファーも数多く来るようで、その際にもオファー元に「三屋さんは経営をやっておられたでしょ?やっぱり女性を入れておかないと文句を言われるんだよね。」とよく言われるそうです。

女性を1人でも入れておかないと、といういわゆる「数合わせ」で声をかけられていると感じる事が多々あるそうですが、引き受けた以上は一生懸命に取り組んでおられるそうです。

経歴や学歴まとめ。バレー選手時代の活躍

三屋裕子さんは、福井県勝山市立勝山中学校に通っている頃にバレーボールを始めました。

元から身長が高かったため、バレーボールには向いていたそうです。

その後八王子実践高校、筑波大学へと進学し、1981年に日立女子バレーボール部に入部しました。

そこからは全日本代表の主軸選手として活躍すると、1083年にはアジア選手権で優勝を収め、1984年のロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得しました。

現役引退後は日立製作所を退職し、國學院高等学校の教員を務められました。


1990年には筑波大学非常勤講師、東京学芸大学非常勤講師、などを務めると、1993年に慶応義塾大学非常勤講師に就任し、若い世代にスポーツの素晴らしさを伝えました。

2003年には女性用下着のシャルレの顧問に就任すると、2004年から2007年まではシャルレの代表取締役件CEOを務められました。

持ち前のバイタリティーと正義感でまったく衰えを見せることなく突き進む三屋裕子さんの熱量は、尊敬に値しますね。

これからも日本のスポーツ界のために、情熱を燃やしてくれるのではないでしょうか。

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