世の中の誰もがスターと認める数少ない一人が田原俊彦(たはらとしひこ)さん。
息の長い活動から今では二世代に渡るファンも少なくないそうです。
田原俊彦のプロフィール
芸名:田原俊彦
本名:田原俊彦
生年月日:1961年2月28日
身長:175cm
出身地:山梨県甲府市
最終学歴:山梨県立甲府工業高等学校
所属事務所:ジェイブレイブ
田原俊彦、母親への深い愛情と感謝の思い
シングルマザーとして4人の子供を育てた母親
田原俊彦さんは、6歳の時に父親を亡くし、母子家庭で育ちました。母親は女手一つで、田原さんを含む4人の子供たちを育て上げました。
幼少期から母親が苦労している姿を見てきた田原さんは、いつか母親を幸せにしたいという強い思いを抱いていたと言われています。
芸能界での活躍を支えた母親への思い
田原さんが芸能界入りを目指したのは、母親の苦労を間近で見てきたからだと言われています。
母親を幸せにしたいという思いが、芸能界で頑張るエネルギーになっていたのではないでしょうか。
デビュー当時から、周りの人よりも必死に努力していた田原さんの姿が思い浮かびます。
今でもコンサートに足を運ぶ母親
現在89歳になる田原さんの母親は、東京での公演があれば必ず足を運んでくれるそうです。
コンサートでは最前列で応援してくれているとのこと。デビューから40年以上経った今でも、変わらぬ母親の愛情に支えられている田原さんの姿が印象的です。
- 母親への感謝の気持ちを忘れない田原さんの姿勢は、多くの人の心を打つものがあります。
- シングルマザーとして子供たちを育て上げた母親の努力と愛情は、田原さんの人生に大きな影響を与えたのでしょう。
芸能界で長年活躍し続ける田原俊彦さんの原動力には、母親への深い愛情と感謝の思いがあるのかもしれません。
親子の絆の強さを感じさせるエピソードだと言えるでしょう。
田原俊彦は父もモテモテだった
歌手だけでなく俳優としても活躍した田原俊彦さん。
数多くの作品に出演していますが、何と言っても代表作は「教師びんびん物語」シリーズ。
1988年に放送された「教師びんびん物語」は平均視聴率が22%で最高視聴率は24.9%。
第一作目が好評だった事により制作された「教師びんびん物語Ⅱ」は平均視聴率が26%で最高視聴率が30%超え。
これまでに社会現象となるほどの数々の人気作を生み出してきたフジテレビの「月9ドラマ」。
その月9で初めて30%を超えたのが「教師びんびん物語Ⅱ」でした。
また、このシリーズがきっかけとなり田原俊彦さんの俳優としての評価も鰻上り。
それ以降、出演する作品の多くで主演を務めるようになりました。
俳優としての出世作となった「教師びんびん物語」シリーズ。
間違いなく忘れられない作品の1つとなった事でしょう。
実は教師とは何かと縁がある田原俊彦さん。
出世作となった作品で演じた事だけでなく、父の冨士雄さんも小学校の教師だったそうです。
冨士雄さんもイケメンで運動神経も抜群だった事から生徒から大人気。
女性にもモテモテだったため、他の女性に奪われる事を危惧して母が逆プロポーズしたという逸話もあるほど。
田原俊彦さんが女性にモテモテなのは冨士雄さん譲りだったようですね。
きっと自慢の父親だった事でしょう。
ですが、そんな冨士雄さんは田原俊彦さんが小学1年生の時に死去。
糖尿病を患っていたようで、その合併症により亡くなってしまったそうです。
もし父が生きていて教師役を演じる姿を見たら何を思った事でしょう。
自分の経験をもとにして教師役を演じるうえでのアドバイスを送っていたかもしれませんね。
田原俊彦の家族は有名人ばかり
田原俊彦さんが結婚したのは1993年のこと。
お相手は人気女性ファッション誌「CanCam」でモデルを務めていた向井田彩子さん。
そしてその後、誕生した2人の娘も芸能活動を行っていました。
つまり田原俊彦さんの家族は芸能一家だったんです。
長女の名前は田原可南子さん。
両親ともに芸能人という事もあって幼少期から芸能界への憧れが強かったんだとか。
そして原宿でスカウトされた事を機に芸能界へ。
当初は「綾乃美花」という芸名でグラビアタレント、女優として活動。
その後、進学した大学が厳しかった事から学業に専念。
卒業の見込みがついたタイミングで本名の「田原可南子」として活動を再開。
2018年にはそれまで所属していたスターダストプロモーションを退所。
一時はフリーで活動するも現在はTRUSTARの所属となり、女優やタレントとして活動しています。
次女の名前は田原奈美子さん。
こちらも本名ではなく「青山奈桜」という芸名で活動。
所属事務所は姉の田原可南子さんと同じくスターダストプロモーション。
モデルや女優として活動していましたが現在は芸能界を引退してしまっているようです。
引退した正確な時期は不明。
ただ、2017年には田原可南子さんのInstagramに登場していますので、この頃はまだ芸能活動を行っていたのかも知れません。
それにしても二人とも息を飲むような美人。
さすがは田原俊彦さんの血を受け継ぐだけの事はあります。
こんな美人に囲まれた生活はさぞ華やかな事でしょう。
まるでテレビ局のスタジオにでもいるような錯覚をしてしまいそうですよね。
芸能界を目指したのは生い立ちが関係していた
自分で履歴書を送ったり、親戚が勝手に送ったりとジャニーズ事務所に入所するきっかけは様々。
そんな中で自ら履歴書をジャニーズ事務所に送った田原俊彦さん。
ですが当初は「なしのつぶて」で全く返答がなかったそうです。
それに痺れを切らし、アポなしでジャニーズ事務所を訪問。
そしてジャニー喜多川さんの居場所を教えてもらい、直談判した事でジャニーズ事務所入りを認められたんだとか。
これまでに数多くのタレントが所属してきたジャニーズ事務所。
ですが直談判までしたのは恐らく後にも先にも田原俊彦さんだけでしょう。
これほどまでにジャニーズ事務所入りを望んだのは芸能界への憧れだけが理由ではありません。
最大の要因となっていたのが生い立ちでした。
前述の通り、幼いころに父親を亡くしている田原俊彦さん。
4人の子供を育てるため母親は必死で働くも決して生活は楽ではありませんでした。
そのため学校の給食費を支払うのも精一杯。
クラスで物が無くなると田原俊彦さんが疑われる事もあったそうです。
この暮らしから抜け出すために思いついたのが「芸能界入り」。
そう考えた田原俊彦さんは中学生の頃から芸能界に入る事を決意していたそうです。
そう思いながらも行動に移せるのは本当に凄いこと。
決して裕福とは言えない生活のなかで、負けん気と向上心は人一倍に育ったのでしょう。
そして見事に芸能界で大成功を収めて一発逆転。
田原俊彦さんはジャパニーズドリームを叶えたと言っても過言ではありません。
田原俊彦の出身地は山梨?
番組等で出身地を紹介される時に「神奈川」、「山梨」と異なる事がある田原俊彦さん。
そこで調べてみると生まれたのは神奈川県横須賀市。
ただ、父を亡くしてからは母の故郷、山梨県甲府市へ。
そして高校卒業まで山梨県甲府市で生活していたそうです。
なお、田原俊彦さんが出身地と公言するのは山梨県。
長い時期を過ごし、父の墓もある事から山梨県の方が思い出深い地となっているのでしょう。
ちなみに高校1年生でジャニーズ事務所に入ってからはレッスンのたびに東京と山梨を往復する日々。
交通費はジャニー喜多川さんが支払ってくれていたそうです。
さらに山梨に帰る時には毎回、駅のホームまで見送りに来てくれたんだとか。
デビュー前のタレントにここまでしてくれる社長がどれだけいる事か。
かつてジャニー喜多川さんの事を「第二の父」と語った事も納得です。
このように多くの人達に支えられてトップスターの地位を築いた田原俊彦さん。
どんな状況に陥っても活動を続けるのはそうした人々への恩返しの意味もあるのかもしれませんね。
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