金原ひとみの壮絶な生い立ちと父。ルーツは韓国?岡山へ避難、フランス語は堪能?

2004年に綿矢りささんとの同時芥川賞受賞で脚光を浴び、一躍人気作家の仲間入りを果たした金原ひとみさん(かねはらひとみ)さん。

その後はマイペースに作品を発表しながら、結婚、出産、東日本大震災後の岡山避難、そしてフランス生活を経験しました。

あわせて金原ひとみさんの生い立ちを振り返り、翻訳家の父についてや韓国にルーツを持つという噂、フランス語の実力についてみていきます。

金原ひとみのプロフィール

生年月日: 1983年8月8日

出身地: 東京都

最終学歴: 文化学院高等課程(中退)

金原ひとみの壮絶な生い立ちと父について

1983年8月8日、東京都に生まれた金原ひとみさん。

過激な性や暴力の描写が話題になった芥川賞受賞作『蛇にピアス』は、著者が若い女性ということもあって鮮烈なデビュー作となりました。


この作品を書いたきっかけは、ご本人が雑誌で知ったスプリット・タン。

スプリット・タンとは、舌ピアスの穴を広げて蛇のような二股の舌にすることをいいます。

興味はそそられたものの、実際にそこまでする勇気はなく、代わりに主人公にやらせてしまったとインタビューで述べています。

金原さんは20歳を過ぎた頃からピアスホールを軟骨にも開けるようになったそうで、今でもたまに衝動的に開けたくなる時があるのだとか。

ともあれ、スプリット・タンに興味をひかれたという点では主人公の女性と同じ入り口に立っていたことになりますね。

若者の暗く歪んだ内面を浮き上がらせる作風のせいか、その生い立ちにも関心が寄せられているようです。

金原ひとみさんは小学校4年生の時に不登校になり、中学・高校にはほとんど通っておらず、最終学歴は文化学院高等課程中退。

学校にはあまりなじめなかったのでしょう。

10歳で非常階段から飛び降りたい衝動にかられ、15歳の頃はリストカットを繰り返す日々。

身体に苦痛を与えることで、ごまかしごまかし生きてきたと告白しています。

よく検索されている父親は、翻訳家で法政大学社会学部教授の金原瑞人(かねはらみずひと)さん。

主な訳書に『地球を救おう』、著書に『翻訳のさじかげん』などがあります。

多くの小説家を輩出してきた法政大学の父の小説創作ゼミには、金原ひとみさんも参加したことがあるそうです。

父の留学にともない、小学6年からの1年間はサンフランシスコで生活していました。

小説を書きはじめたのは12歳の時だそうですから、おそらくこの頃でしょう。

金原ひとみのルーツは韓国?

金原ひとみさんは韓国人ではないかという噂がありますが、これは根も葉もない噂としか言いようがないでしょう。

Wikipediaには、ご本人と父親の金原瑞人さんともに日本国籍とありました。

プライベートがベールに包まれていると噂が独り歩きする傾向がありますが、韓国ルーツ疑惑がでたのは「金原」という名字が原因かもしれません。

「名字に金の字がある=韓国人」説はいまだ根強いようですね。

勝手な思い込みがあたかも真実のように拡散してしまうところはインターネットの怖さでもあります。

放射線被害から子供を守るため岡山に避難

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

この時、金原ひとみさんは第二子を妊娠中で、臨月でした。

翌日、福島第一原発事故を報じるテレビのニュースを見ていると、夫と父が避難を勧めたそうです。

ひとみさんも子供の被ばくを心配し、その日のうちに4歳の長女を連れて父の実家がある岡山県へ自主避難。


臨月だったためまもなく東京に戻る予定でしたが、一向に収束しない状況に不安を覚え、岡山市にとどまることに。

翌月に市内の病院で女児を出産しました。

岡山では娘たちと兄たちとの5人で生活していたそうです。

原発事故のあと、放射線とその被害に関する本を大量に読みあさったという金原ひとみさん。

多くの人が原発の問題点や脅威を知らないままに暮らしており、そうしている間にも原発の危険性が増していたこと、同じことが再び起こりうること、関連する問題にも目を向けるべき時期であることなどを訴えました。

フランス語がまったく話せないままパリに移住

2011年の原発事故を機に、翌年には2児を連れてフランスのパリに移住した金原ひとみさん。

編集者の夫も基本的にパリで同居する形をとり、仕事の時は日本へ戻っていたようです。

フランス語がまったく話せないまま勢いでスタートした新生活。

当初は言葉も通じず、手続きも進まず、さんざんな毎日でした。

ところがある時、「いちいち腹を立てていたら死んでしまう!」と思い、スイッチが切れたのだそう。

それからはイライラすることがなくなり、心に余裕を持つことができたそうです。

主体的に生きるパリの人々に圧倒され、それまでの価値観が変わる経験もしたようです。

パリでの生活を満喫していたはずの金原さんが帰国したのは2018年でした。

その理由について、「ある時から苦痛になってしまった」と説明しています。

以前はパリの空港からタクシーで自宅に着くと、「やっと帰ってきた」という安堵感があったのに、いつしか「あーあ、また帰ってきちゃった」という気持ちに変わっていたのだそう。

どこかに帰属している感覚が自分には欠如していて、ひとつの場所に根ざして生きるタイプではないのだろうと自己分析しています。

パリには6年間滞在していたわけですが、当初よりはフランス語が上達したのではないでしょうか。

子供時代から人とうまく関われないもどかしさ、生きづらさを抱えていたという金原ひとみさん。


行き場のない思いを小説で表現したかったと語っています。

「金原ひとみ」というフィルターを通して描かれる物語に、今後も注目したいと思います。

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