前原誠司の現在(2023)。後援会長だった稲盛和夫との関係。経歴や政治思想は保守?

前原 誠司(まえはら せいじ)さんは民主党(民進党)を解散させた人物として有名です。

政治家としての経歴は党代表など素晴らしく、講演会の依頼も多いと言われています。

今回は前原誠司さんの現在や経歴、稲森和夫さんとの関係について見て行きましょう。

前原誠司の経歴について

まず最初に前原誠司さんの経歴を振り返っておきましょう。

主な学歴として1年の浪人生活を経て京都大学(法学部)に進学していますが、国際政治学を専攻していたので法学部出身でも弁護士資格は所有していません。

学者の道を希望するも講師から「学者は天才でなければ・・」と暗に諭され、もうひとつの夢であった外交官を目指しますが「東大閥じゃないと厳しい」と教えられて断念。


それでも外交の道を諦めきれなかった前原誠司さんは目的を変えることなく、手段の方を外交官から政治家(外務大臣)に変えて夢の実現に動き出しました。

1987年に松下政経塾(第8期)に入塾して政治学の習得や人脈作りに励み、卒塾後の1991年4月に行われた京都府議会議員選挙に立候補して28歳で初当選(府議会史上最年少)を飾ります。

1992年には野田佳彦さんや小池百合子さんらと細川護熙氏が結成した「日本新党」参加し、翌年に行われた「第40回衆議院議員選挙 (1993年7月18日)」で初当選をしました。

ちなみに、この選挙では安倍晋三さんや岸田文雄さん、枝野幸男さんや小池百合子さんなど現在の日本政治をリードする政治家たちが初当選したことでも知られています。

日本新党を離党後は様々な政党を経て民主党の結成に尽力し、2005年9月17日に岡田克也さんの後を継ぐ形で民主党代表(第5代目)に就任して世間から注目を集める存在になりました。

代表退任後の2009年8月30日に行われた「第45回衆議院議員選挙」で政権交代を果たして国土交通大臣に就任、2010年9月17日には菅内閣で夢だった外務大臣に就任しています。

しかしながら、2010年9月に発生した”尖閣諸島中国漁船衝突事件”では犯人を釈放したことで批判を浴び、2011年3月7日に在日外国人から献金を受けた問題で外務大臣を辞任。

2017年9月1日に行われた民進党代表で枝野幸男さんを破って第3代目の代表に就任し、次期衆議院選挙での勝利を狙って小池百合子さんが結成した「希望の党」への合流を決めました。

しかし、小池百合子さんが民進党リベラル派を排除する発言をして合流どころか分裂を招き、かつては政権与党まで務めた民進党(民主党)を無残な形に追い込んだと批判を浴びています。

その後は希望の党を経て国民民主党(希望の党と民進党が合流)に参加し、現在(2023)は同党の党代表代行に就任して教育問題などを中心に活動を続けています。

今は野党勢力の再結集が永田町で話題になっていますが、野党の分裂や混乱をもたらした張本人である前原誠司さんの心中は決して穏やかなものでは無いでしょうね。

前原誠司の後援会長だった稲盛和夫との関係

次は民主党のスポンサー的存在だった稲盛和夫さんとの関係を見て行きます。

元々は小沢一郎氏と親しかったことから若手政治家のサポートをするようになり、中でも自身が育てた「京セラ」がある同じ京都府出身の前原誠司さんを可愛がっていました。

稲盛和夫さんは非常に多忙でありながらも、前原誠司さんの後援会会長も引き受けています。

多くの財界人や経済団体は自民党を支持していますが、稲盛和夫さんは自身も叩き上げの挑戦者だったことから”自民党に対する挑戦者”としての民主党に期待をしていたそうです。

民主党政権時に鳩山由紀夫総理や国土交通大臣だった前原誠司さんから日航再建を要請され、就任から2年で赤字から営業利益2,000億円というV字回復をして期待に応えました。

しかし、民主党の政権運営は稲盛和夫さんの期待を大きく裏切る結果となり、自身も高齢になったことから政治への積極的な協力を辞めて距離を取るようになりました。

民主党への期待が大きかった分、無残な結果に終わったのはショックだったに違いありません。

現在は自身が設立した「盛和塾」を2019年末で閉めるなど身辺の整理を進めている様子でした。

前原誠司の思想はリベラル保守

ここでは前原誠司さんの政治スタイルについて見て行きましょう。

以前から数少ない民主党内保守派として知られており、国民民主党と立憲民主党の合併問題においても「共産党との協力はあり得ない」として参加を拒否しています。

自身のポリシーとして”非自民・非共産”を掲げるなど保守陣営の一員に位置付けられています。

一方で自らの主義を「リベラル保守」と明言しており、外交・安全保障ではかなりの保守強硬派に属するものの、選択的夫婦別姓制度に理解を示すなどリベラル色もありました。

また、1999年7月に採決された”国旗国歌法案”では反対票を投じるなどイマイチはっきりしない姿勢も見られ、保守陣営からはあまり評価をしていないとの声も上がっています。

しかしながら、第三極の中道保守という選択肢を国民に示すのはとても意義のある事でしょう。

所属する国民民主党は若い政党なので、前原誠司さんも含めて今後の成長に期待したいですね。

現在の前原誠司は講演会や街頭演説に大忙し

最後に前原誠司さんの現在や講演会活動について見ておきましょう。

国会議員としては前項で触れた通り国民民主党の代表代行に就任し、政策作りだけでなく抜群の知名度を活かして党のアピールをするなど幅広く活動をしています。

個人では豊富な政治経験を政策通の強みを活かして講演会活動にも熱心に取り組んでおり、関西や首都圏で開かれている集会に数多く呼ばれるなど人気の高さを見せていました。

右でも左でもない真ん中に立つ数少ない政治家としての意見を求められているそうです。

一方で地元選挙区である京都市左京区では今でも街頭に立って演説し、有権者からの厳しい意見や温かい支援の声を受け取って活動のエネルギーにしている様子も伺えました。

前原誠司さんほどの経歴を持つ政治家が街頭演説をするのは非常にめずらしいのですが、国民の声を直接聞くのは代議士としてあるべき当然の姿と言っても過言ではありません。


指導者としての力量に関しては今でも疑問符が付く言動がたまに見受けられますが、ひとりの政治家として国民と向き合う姿勢は高く評価をされても良いのではないでしょうか。

いずれにしても、日本の政治にまだまだ”前原誠司”が必要とされているのは間違いないですね。

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