小池 百合子(こいけ ゆりこ)さんはメディアの使い方が上手い政治家として有名ですよね。
過去の学歴疑惑も注目されましたが、カイロで習った言語が人生の転機になったそうです。
今回は小池百合子さんのテレビ東京時代や学歴、カイロ大学留学などを見て行きましょう。
小池百合子の小学校や甲南女子(中学・高校)について
まずは小池百合子さんの小学校から高校にかけての学歴を見て行きましょう。
1952年7月15日に兵庫県芦屋市で生まれた小池百合子さんは地元の「岩園小学校」へ入学し、1年生の頃からガールスカウト活動やバイオリンに打ち込んだそうです。
小学校については神奈川県の黒岩祐治知事がツイッターで”隣の学校だった”と触れていました。
中華街で芦屋市立精道小学校の同窓会。小池知事の岩園小学校のお隣り。参加者の中には小池知事と同じ甲南女子中高に進んだ人が二人も。「黒岩君と小池さんのどっちを応援したらええんやろう」などと言うから、「別にケンカしてるわけじゃないからネ」って言ったら、驚いてました(笑) pic.twitter.com/CVZMyCszvU
— 黒岩祐治 (@kuroiwayuji) June 5, 2017
小学校だけでなく知事としても隣同士というのは何か不思議な縁を感じさせるものがあります。
中学と高校は神戸市東灘区にある私立の中高一貫女子校「甲南女子学園」へ進み、ソフトボール部やESS部(英会話クラブ)に所属するなど活発な青春時代を送りました。
神戸の甲南女子中高時代の同級生と。皆、それぞれに断片的だが詳細を記憶しているものです。あっという間に時が過ぎます。 pic.twitter.com/weWizolYzN
— 小池百合子 (@ecoyuri) September 6, 2014
英会話に触れたことで自己主張やアピール力を鍛えられたとも言えるので、学生時代の部活やガールスカウト活動などが小池百合子さんのベースになっているのかも知れません。
ちなみに、小学校5年生の時に校内の弁論大会で優勝をしたそうですが、その時のテーマが「ウソも方便」だったのは今からすると笑えるようで笑えない危うい内容でした。
小池百合子のカイロ大学留学、卒業について
次は最近、様々なメディアで大きく取り上げられたカイロ大学にまつわる情報を見て行きます。
小池百合子さんは1971年4月に関西学院大学(社会学部)に入学していますが、貿易会社を営んでいた父親の都合で東京へ引っ越すことになって大学を中退することを決断。
その後はアラビア語の将来性を見込んで通訳になることを志し、父親の取引先でもあったエジプトの首都カイロへ留学することを決めて日本の地を後にしています。
留学先の大学名はカイロ大学と「カイロ・アメリカ大学」のふたつが挙がっていますが、昔の雑誌には”1976年にカイロ・アメリカ大学東洋学科卒”という記述がありました。
昔の雑誌に掲載された記事で昭和51(1976)年小池百合子氏はカイロ・アメリカン大学を卒業とある。彼女がこの雑誌にクレームを付けたという話は聞かない。
昨日、1976年10月にカイロ大学卒業という報道があった。
謎だ。 pic.twitter.com/Euby3fmK3K— kohta (@nextan) June 10, 2020
一方で小池百合子さんの公式サイトには「1976年10月カイロ大学文学部社会学科卒業」とあり、この違いがメディアによって取り上げられて”学歴詐称疑惑”にまで発展。
2020年7月5日の東京都知事選挙を控えて報道は過熱の一途をたどり、小池百合子さんは卒業書類の公開や同大学の学長が卒業を証明する声明を出すなど説明に追われていました。
また、週刊誌も小池派、反小池派に分かれて論陣を張るなど異例の事態になったそうです。
小池百合子氏の「カイロ大学卒業証書」を現物公開するhttps://t.co/iLaHC0fANl
カイロ大学卒業証書の画像を本誌は持っている。小池氏は若手議員時代に本誌に「ミニスカートの国会報告」を連載しており、その誌面で公開したものだ。#小池百合子 #小池都知事 #カイロ大学 #卒業証書 #週刊ポスト pic.twitter.com/VvyJqBRSF1— NEWSポストセブン (@news_postseven) June 15, 2020
ただ、著書「振り袖、ピラミッドを登る」の中で”1年目に落第して進級できなかった”と書いているので、1972年6月に入学した点を考えると1976年10月の卒業は極めて困難でした。
他にも「首席で卒業」と紹介していたものの、これを証明する材料は持っていないそうです。
カイロ大学を巡る騒動の真相は明らかになっていませんが、ここまでこじれてしまうと双方とも今さら認めるワケにも行かないので決着を見るのは難しいかも知れません。
テレビ東京時代の小池百合子と政治家転身
最後に小池百合子さんがブレイクした”テレビ東京時代”や政治家転身を見て行きましょう。
アラビア語の通訳をしていた1978年にカダフィ書記長とアラファトPLO議長の会見をコーディネートし、自らがインタビュアーを務めたことでメディアに呼ばれるようになったそうです。
1988年4月始まったテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」の初代メインキャスターに就任したことで人気に火が付き、中東の知識やアラビア語でも注目を集める存在になりました。
小池百合子さんがバブル期にWBSのキャスターをやってたことを知ってる人がどの位いるだろうか? pic.twitter.com/iXfHjftUmc
— ろんぐて〜る (@rongtail) July 31, 2016
アナウンサーとキャスターの違いが気になるところですが、簡単に言えばアナウンサーは原稿を読み上げるだけで、キャスターは自らの意見も発信する役割と言えます。
ただ、アナウンサーであってもキャスターを務めることがあるので線引きが難しいですね。
ちなみに、小池百合子さんはテレビ局に勤務したことが無いので局アナにはなっておらず、同じ様に安藤優子さんもフジテレビの女子アナと思いがちですが入社はしていません。
同番組のキャスターを務めていた1990年に「日本アラブ協会事務局長」に就任しており、同年8月に勃発した湾岸戦争ではアラビア語やアラブ人脈を活かして人質解放交渉に協力。
これらの経緯もあって1992年7月の「第16回参議院議員選挙」では与野党から出馬の誘いを受け、細川護熙(もりひろ)氏が結成した日本新党から出馬をして見事に当選をしました。
政治家総とっかえ
本当の仕事はこれからです。ずっとこんな事言ってるのね
小池百合子日本新党時代 pic.twitter.com/AbIUMjRnf6— らうおう (@Krjg14W) December 25, 2017
その後は様々な政党を渡り歩いて環境大臣や女性初の防衛大臣を歴任し、2016年8月からは東京都知事に就任して国会議員時代よりも存在感を発揮しているのはご存知の通りです。
翻訳家からキャスター、キャスターから政治家にステップアップした裏にアラビア語があったのは間違いなく、学生時代に中東を選んだ先見の明はさすがと言わざるを得ません。
あの時に違う語学を選んでいたとしたら、日本の政治は今と大きく変わっていたのでしょうね。
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