坂口安吾の死因。汚部屋で有名。江戸川乱歩、中原中也と関係は?矢田津世子との交際

無頼派の作家として、『白痴』や『桜の森の満開の下』などの作品で知られる坂口安吾(さかぐち あんご)。

今回は安吾について、その死因は何だったのか、写真でよく見る彼の部屋の情報をまとめました。

さらに江戸川乱歩と中原中也との関係、矢田津世子という女性作家との交際関係にも迫りたいと思います。

坂口安吾のプロフィール

本名:坂口炳五(さかぐち へいご)

生年月日:1906年10月20日

死没:1955年2月17日

身長:約170cm

出身地:新潟県新潟市

最終学歴:東洋大学印度哲学倫理学科

坂口安吾の死因

まずは安吾の死因について見ていきます。


安吾は1955年、48歳の若さで亡くなりましたが、何が原因だったのでしょうか。

『堕落論』の作家として、好き放題に生きていた印象が強く、酒やたばこが原因でも不思議ではなさそうですよね。

実際の死因は脳出血でした。

1955年は「安吾日本風土記」の取材で各地を行脚し、様々な地方の伝承を執筆していた安吾。

2月15日に栃木県桐生市の自宅へ戻りますが、2日後の早朝に「舌がもつれる」と言ってけいれんを発症、そのまま亡くなったそうです。

脳出血を起こす最大の原因は高血圧とされ、安吾は体質的に高血圧だった可能性が高いでしょう。

言語障害などの後遺症に苦しむ高齢者も多いのが脳出血の特徴。

安吾の場合はまだ中年期だったにもかかわらず死亡したので、それまでにも何らかの徴候があったのに放置していたのかもしれませんね。

坂口安吾の部屋

次に安吾の部屋について見ていきましょう。

安吾と言えば有名なのが、床一面がモノであふれかえった、ごみ溜めのような仕事部屋ですよね。

戦後、アメリカ軍が普及させた防疫用のDDTという殺虫剤があります。

進駐軍はあまりに汚い安吾の部屋にDDTを散布。

安吾は「DDTによって死んだ虫は風化するので、自然の理にかなっている」と語り、おそらく虫の死骸を片付けることもせず、その後も2年間は万年床にしていたそうです。

太宰治など作家の写真で有名なカメラマン林忠彦は、ある日写真嫌いな安吾にしつこくお願いして、その汚い部屋を撮影。

妻の三千代にさえ見せたことのなかったというごみ溜めのような部屋が、世間にさらされることになりました。

現代人が彼の部屋の様子を知ることができるのは、林が食い下がったおかげと言えますね。

坂口安吾と江戸川乱歩、中原中也との関係

続いて安吾と江戸川乱歩、中原中也との関係について見ていきましょう。

まず乱歩についてですが、安吾は自身が書いた推理小説の犯人を当てるよう、乱歩を指名したことがあります。

『不連続殺人事件』という安吾初の推理小説で、彼は原稿料を賞金に、読者へ犯人当ての挑戦状をたたきつけました。

読者のみならず、安吾は4人の専門家に名指しで挑戦するよう依頼し、その中の1人に乱歩がいたのです。

ミステリー文学の大家に対して、初めての推理小説の犯人当てをさせるというのも、かなり大胆な試みですね。

しかし安吾のトリックは見事なもので、乱歩は不正解。

1等を当てたのは、物理学校の生徒でした。

前例のないトリックが高く評価され、『不連続殺人事件』は探偵作家クラブ賞を受賞。

乱歩のみならず、松本清張からも高く評価されました。

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次に安吾と中原中也の関係をご紹介します。

2人が出会ったのは酒場でした。

中也は自分の女が安吾に惚れたと主張し、いきなり彼に向って飛びかかったそうです。

しかし酔っていた中也は、1人で空気を相手に暴れており、数メートル離れた場所にいた安吾は爆笑。

気づいた中也はキョトンとしていたそうですが、安吾が「一緒に飲もう」と誘った結果、大の仲良しになりました。


2人が意気投合するうえで重要だったのは、アテネフランセでフランス語を学び、フランス文学が好きだったという共通点があったことでしょう。

安吾は『神童でなかつたラムボオの詩 中原中也訳「学校時代の詩」に就て』という文章で、中也の翻訳でランボーがよく理解できたと述べています。

出会いこそ衝撃的でしたが、フランス文学の影響を受けた文学者同士、楽しく交流していたことがわかりますね。

坂口安吾と矢田津世子の交際

最後に安吾と、女性作家・矢田津世子との交際について見ていきましょう。

安吾より1歳下の矢田は、純文学の作家で、小説『神楽坂』で芥川賞候補にもなりました。

文才だけでなく、川端康成から女優になるよう勧められるほどの美貌を兼ね備えていたので、かなりモテたであろうことがわかりますね。

1931年前後に安吾と出会い、交際と文通が始まります。

しかし津世子は非合法活動で警察に拘留され、それ以降、体調が思わしくなくなりました。

交際についても、当時思うように筆が進んでいなかった安吾より、津世子の方が作家として評価されていたので関係が悪化していたのでしょう。

1936年、津世子の方から絶縁の手紙を送っています。

彼女はその後、『扇秋』や『家庭教師』といった作品が次々と映画化され、時代を代表する女性作家となりました。

しかし1944年、36歳で肺結核によって亡くなります。

終戦後は、無頼派として安吾の方が売れっ子作家になっていき、今日では彼の名前の方が文学史に残る結果となりました。

失恋の痛手も乗り越え、時代の寵児となった安吾。


津世子との関係ははかないものでしたが、彼はその喪失感もバネにして作品を書き続けたのかもしれませんね。

個性的なエピソードで現代人のことも魅了する作家ですから、長生きしていれば新たな境地に達して、より多くの名作を残したことでしょう。

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