村山富市が眉毛の長さが判明。阪神大震災対応に賛否、中国寄りと元首相としての評価

村山 富市(むらやま とみいち)さんは震災やテロに直面した首相として知られています。

政治家としての活動だけでなく、トレードマークである眉毛の長さも話題になりました。

今回は村山富市さんの震災対応や元首相としての評価などについて迫って行きましょう。

村山富市が眉毛の長さでチコちゃんや電波少年に出演

まずは村山富市さんのトレードマークである眉毛について見て行きましょう。


総理大臣に就任した時から眉毛の長さが大変話題になり、とても優しそうな”おじいちゃん”的な見た目や口調もあって従来の支持層以外からも人気を集める形になりました。

それからしばらく時が経った2018年9月7日、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」の中で”おじいちゃんの眉毛が長いのはなぜ?”という疑問のゲストとして村山富市さんが登場。

確かに街中でも眉毛の長いおじいさんを見掛けることがありますが、その理由についてチコちゃんは「抜けるのを忘れちゃうから」という驚きの回答を披露していました。

実は眉毛など体毛はある程度成長すると自然に抜け落ちる仕組みがある一方、専門家の医師によると”加齢によって抜ける機能が衰えて伸び続ける”というメカニズムを紹介しています。

通常であれば床屋さんなどでカットされることが多いのですが、村山富市さんのように一種のトレードマークとして意図的に伸ばしている方も少なからずいるのかも知れません。

ちなみに、村山富市さんの眉毛の長さはスタッフが測ったところ「4.32cm」あったそうです。

過去には日本テレビで放送されていた番組「進め!電波少年」で松村邦洋さんから眉毛を切らせて欲しいとお願いされ、村山富市さんも”少しだけなら”と応じたこともありました。

無茶なお願いを受け入れた村山富市さんの優しさを垣間見ることができるエピソードですね。

いずれにしても、眉毛が長かったことで政治家的に損をしたことは無かったと言えるでしょう。

村山富市がとった阪神大震災への対応は賛否両論

次は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災における村山富市さんの対応を見て行きます。

採った対応の中で多く批判されるのは自衛隊の派遣が遅れたという点ですが、大規模な災害が発生したとしても政府主導で自衛隊を現地に送り込むことは法律上不可能でした。

他にも関係各所に当直が居なかったり、災害に対する様々な不備はあったものの、当時の村山富市さんを始めとした内閣の対応は非常に遅く”平和ボケ”の印象すら国民に与えました。

村山富市さんに多くの批判が寄せられていますが、政権に関わったことのない身としては危機管理の経験が乏しく、むしろ支えるべき自民党や官僚にこそ非があると言えるでしょう。

当時、内閣官房副長官として官邸の中心にいた石原信雄さんも前例がなく法律も未整備だったと認めており、加えて「誰が首相であっても素早い対応は不可能だった」としています。

事態の深刻さが伝わると経験がない村山富市さんは一歩下がり、その道の専門家などを自由に働かせて責任は自分が取るというスタイルにして未曽有の危機に臨みました。

この判断は後の「東日本大震災」における菅首相らの対応と比較して評価される流れもあり、ある意味で責任者のあるべき姿が見直された出来事と言えるかも知れません。

結局、現在のコロナ禍における政府の迷走ぶりから見ても首相個人の才覚だけで何とかなる物ではなく、過去の経験や法制度の整備が無ければ万全な働きをするのは難しいのです。

村山富市は中国寄りのスタンスをとり続けている

ここでは村山富市さんが新中派という一面をあらためて見ておきましょう。


村山富市さんは総理大臣経験者だけでなく戦争反対を熱心に唱え、いわゆる「憲法9条」を守る護憲派の重鎮として政界を引退後の今でも存在感を放っています。

こう聞くと”軍隊が嫌いで平和主義”という印象を持ってしまいますが、厳密に言えば自衛隊が嫌いで日本が防衛力を強化することに反対をしていると表現した方が正しいでしょう。

実際に中国の軍事パレードには何度も参加しており、2015年には中国で行われた抗日戦争勝利70周年の記念イベントに出席するために訪中するなど情熱は衰えることを知りません。

尖閣諸島については「日中で共同開発」を提案するなど親中派ぶりは健在で、その働きは北京でも認められてノーベル平和賞の中国版「孔子平和賞」では最終選考まで残るほどです。

個人の主張は自由であるべきですが、元首相という肩書は本人が思っているよりも重い物です。

村山富市の元首相としての評価

最後に村山富市さんの元首相としての評価を見ておきましょう。

前項で触れた「阪神・淡路大震災」については初期は混乱していたものの、事態を把握後は担当閣僚を新設したり震災復興委員会を組織するなど適切な対応をしています。

震災と同じ年の3月20日に発生した「地下鉄サリン事件」にはかなり厳しい対応を採っており、同教団に対して”破壊活動防止法”の適用を後押しする一面も見せていました。

しかし、危機対応以上に後世に影響を与えた首相としての行動は1995年8月15日に公表した「村山内閣総理大臣談話(村山談話)」というのは異論が無いところでしょう。

この談話は戦後から繰り返してきた「おわび」の集大成とも言える内容で、村山内閣以後の内閣も村山談話を踏襲(とうしゅう)することがひとつの儀式のようになっています。

保守寄りの政権とされる安倍内閣(第二次)でも踏襲されたのは大きな出来事と言えるでしょう。

この談話はある意味で現在に至るまでの後継内閣を縛る形になっていますが、これから先も平和主義を続けて行くのであれば”縛り”よりも”指針”と言った方が良いかも知れません。


首相としての在任期間は約1年半と長くはありませんでしたが、震災やテロ事件などを乗り越え、現在も使われているリサイクル法や村山談話を残した功績は大きいと言えるでしょう。

思想や政治姿勢に賛否は分かれますが、数多くの仕事を成し遂げたのは紛れもない事実でした。

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