静岡放送の元アナウンサーで、出版・芸術・文化業界で幅広くプロデューサー活動を行う残間里江子(ざんま りえこ)さん。
山口百恵さんの自叙伝『蒼い時』をプロデュースしたことで注目を浴びた、有名プロデューサーです。
2005年に「愛・地球博」の誘致総合プロデューサー、2年後に「ユニバーサル技能五輪国際大会」総合プロデューサーも務めました。
今回は名プロデューサーである残間さんについて、息子と夫の情報を見ていきます。
また結婚と離婚の詳細、病気と縁があるという情報を確認しましょう。
残間里江子のプロフィール
本名:残間里江子
生年月日:1950年3月21日
身長:不明
出身地:宮城県仙台市
最終学歴:明治大学短期大学
所属事務所:キャンディッド・コミュニケーションズ
残間里江子の息子は?
まずは残間さんの息子について見ていきます。
残間さんには一人息子がいて、名前は直巳(なおみ)さんです。
既に30歳を超えているようで、母と同じくメディア業界で活動しています。
39歳で息子を産んだ際は、周囲に隠していたということで、人間ドックを理由に休みを取って出産したそうです。
その後はわずか1週間で復帰しており、バイタリティーに満ちた女性だったことがわかります。
2019年5月2日の残間さんのブログによると、直巳さんは仕事が忙しく、連絡を取ってくることが滅多にないそうです。
しかし愛猫の、にびを預かってもらおうと、久しぶりに母のもとを訪れたということでした。
残間さんはかつてジェリクルという猫を飼っていたそうで、猫好きな親子であることがうかがえますね。
残間里江子の夫は?結婚と離婚について
次に残間さんの夫、結婚と離婚の詳細を見ていきます。
残間さんは実質、シングルマザーとして息子さんを育ててきました。
それまでに結婚と離婚歴があります。
静岡放送を3年弱で退職してから、雑誌「女性自身」の関係者に出会ったことで、1973年に光文社に入社した残間さん。
こうして20代後半は、「女性自身」の編集部で記者として活躍します。
この時期に、大学の部活仲間だった男性と結婚。
しかし夫は、仕事の忙しい残間さんとすれ違いが生じ始めたのか、別の女性と関係を持つようになります。
残間さんの方から離婚を切り出すも、夫は応じなかったそうです。
結果的に、正式に離婚していますが、長期にわたる調停期間がありました。
調停期間中、夫と別居していた残間さんは、やがて別の男性に出会い交際に至ります。
その男性と関係を持ったことで妊娠しますが、結婚を決断することはできませんでした。
離婚調停のストレスから逃れるため、男性との交際に及んでしまったという意識があったのかもしれません。
しかし子供を産む意志はあったので、周囲に隠して出産を果たしたのでしょう。
したがって残間さんは1度の結婚と離婚経験のある、シングルマザーだったことになります。
しかし社長業など様々な仕事をこなしながら、女手一つで息子を育て上げた点で、たくましく立派な母親だったといえるでしょう。
残間里江子は病気と縁あり
最後に残間さんが病気という情報を見ていきます。
残間さんは幼い頃から、病気と縁のある人だったそうです。
生後間もない頃は、百日咳や小児喘息、赤痢に苦しみます。
小学校3年生の時には、小児性関節リウマチ炎や心臓弁膜症などにかかりました。
中学生の時は100日間も入院し、同じく病弱な子供たちが苦しみ、亡くなる様子を目にしてきたそうです。
成人になってからも胆のう炎、十二指腸潰瘍、胃潰瘍など数多くの病気を患いました。
持病があるため、39歳での出産も命がけだったはず。
幼少期から命の大切さを、身をもって知っていたからこそ、息子を産み育てる決断ができたのでしょう。
しかし分娩時に視神経を痛めた影響で、左目はほぼ見えていないそうです。
更年期に入ると無痛性甲状腺炎や、ブシャール結節という手指の第二関節が痛む病気に苦しみます。
慢性気管支ぜんそくや狭心症も発症しており、「病気の問屋」というあだ名は言い過ぎではないようですね。
まさに病気に縁ある人生です。
多くの病気と付き合う術を身に着けたからこそ、健康な人のようにいつか病気になることを恐れることもないのかもしれません。
今ある命を生きられている有難みを知っているからこそ、不平をこぼさず、前向きに多くの活動に邁進できるのでしょう。
病気を患いながらも、懸命に命を輝かせる、たくましい女性であることがわかりましたね。
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