石井 一久(いしい かずひさ)さんは名投手としてプロ野球界に名前を刻みました。
その中で数々のレジェンドと接しており、彼らからの評判も気になるところです。
今回は石井一久さんと野村克也さん、イチローさんたちとの関係を見て行きます。
石井一久のプロフィール
生年月日: 1973年9月9日
身長: 185cm
出身地: 千葉県千葉市若葉区
最終学歴: 東京学館浦安高等学校
所属球団: 東北楽天ゴールデンイーグルス
石井一久と野村克也は意外に仲良し?
まずはヤクルト時代の恩師である野村克也さんとの関係を見て行きましょう。
頭脳野球を進める野村克也さんとマイペースな石井一久さんはまさに”水と油”と言ったところですが、意外にも両者の縁はプロ入りをする少し前からありました。
実はヤクルトのドラフト1位候補は社会人投手の予定でしたが、スカウトから石井一久さんを勧める報告を受けた野村克也さんが”社会人ではなく高校生にしよう”と決めたそうです。
入団後は見事な投球ぶりでファンや関係者から高く評価されたものの、野村克也さんからは「頭を使ってない」など自己流を貫く石井一久さんを何度も”口撃”していました。
その点について石井一久さんは後に「あまり覚えていることはない」と相変わらずのコメントをしていましたが、これはお得意の照れ隠しなのかも知れませんね。
石井一久GMの語りがすごく丁寧で…
温かい語り口#野村克也監督 #石井一久#楽天 #野村克也 pic.twitter.com/54bTD3USAj— とも tomo (@tvorange_com) February 11, 2020
不甲斐ない投球をしてしまった時に「俺をなめてんのか!」とイスを蹴飛ばした野村克也さんを見て、驚くことに「ああ、こういう動きもできるんだ」との感想を持ったそうです。
それでも野村克也さんはチャンスを与え続けて一流の投手にまで育てあげており、石井一久さんもその点に関しては素直に感謝をするといった間柄でした。
引退後に行われた始球式で対決をした際には軽快なやりとりをして場を和ませています。
ちなみに、石井一久さんは2007年オフにヤクルトから西武ライオンズに移籍していますので、かなり間は空いていますが同球団で野村克也さんの後輩という関係にもなりました。
ふたりの野球観は大きく違うものでしたが、互いを認めていたと言ってもいい関係でしょうね。
石井一久の嫌いなところをイチローが暴露
次はイチローさんが語った石井一久さんの嫌いなところを見て行きましょう。
2014年5月10日に放送されたフジテレビ「ジャンクSPORTS」の企画で石井一久さんは浜田雅功さんのお供で渡米し、ヤンキース所属だったイチローさんを取材しています。
そこでイチローさんは石井一久さんと焼肉を食べに行ったエピソードを紹介しますが、そこでお互いに噛み合わない部分があると熱く語ったことが話題になっていました。
録画してたジャンクSPORTS観た。イチローVS石井一久が面白い。本当に仲悪そう。 pic.twitter.com/wZcyF5fJkH
— SHINTA (@shintahara) May 13, 2014
名選手同士という組み合わせ的に野球談議かと思いきや、なんと揉めていたのは焼肉の焼き方。
イチローさんは感謝と供養の意味を兼ねて1枚ずつ丁寧に焼いて食べる一方、石井一久さんは網いっぱいに9枚もの肉を一気に並べたと複雑な表情を見せました。
それに加えて、石井一久さんから「またご飯行こうね」と誘われたことについても”この人、行く気ないんですよ”と軽い感じで言う態度を大嫌いとバッサリ切り捨てる始末。
ふたりの激しいやりとりを見ていた浜田雅功さんは爆笑をしていましたが、人前で堂々と相手の良くない点を指摘できるのは反対に親しい関係と言えるかも知れません。
もっとも、本当に嫌っていれば取材NGを出すのは簡単なので不仲では無いでしょうね。
石井一久の勝負度胸を古田敦也が絶賛
ここでは古田敦也さんが絶賛する石井一久さんの勝負度胸を見て行きます。
長年バッテリーを組んでヤクルトの黄金時代を築き上げたふたりですが、古田敦也さんは石井一久さんの”ここぞという時”の底力や勝負強さを高く評価していました。
最多勝や最高防御率などタイトルとは無縁だったものの、ノーヒットノーランの達成や日本シリーズでの好投など要所で抜群の力を発揮した点を古田敦也さんが熱く語っています。
石井一久さんの凄さについて「大舞台に限っては・・」と前置きをしていますが、好不調の波がある”ムラッ気”は野球に限らず天才タイプにはありがちな例として有名ですよね。
また、石井一久さんの荒れ球や伝家の宝刀「スライダー」の捕球には苦労したらしく、他の投手以上に左膝をしっかりつくなどキャッチングに工夫や苦労をしたそうです。
しかしながら、優等生タイプばかりではなく石井一久さんのようなタイプをリードすることは捕手としての幅を広げ、後の選手育成に役立ったのは言うまでもないでしょう。
石井一久さんにとっても素晴らしい女房(キャッチャー)だったのは間違いなく、暴投を恐れずに思い切っきり投げることが出来たのは古田敦也さんの高い守備力がありました。
その点から言えば、難はあっても相思相愛と言えるバッテリーだったと言えるでしょうね。
石井一久が吉本入りをしたエピソードとは
最後に現役を引退した石井一久さんが吉本興業に入ったエピソードを見ておきましょう。
普通の野球選手は個人事務所やフリーで活動することが多いですが、石井一久さんは2014年4月にお笑い芸人が多数所属する吉本興業に入社したことが話題になっていました。
配属されたのは「スポーツマネジメント部」で、肩書は驚くことに高卒扱いの契約社員。
給料に関して特別扱いは無かったそうですが、メディアへの出演などで発生するギャラは別途計算されるので基本給プラス歩合といった特殊な形態と言えるでしょう。
なぜ吉本興業に入ったのかが気になるところですが、背景のエピソードとして石井一久さんはアスリートの「セカンドキャリア」を築ける場を作りたかったと明らかにしています。
つまり、アスリートとして仕事をもらうだけでなく、自らが社員として事業の立ち上げや交渉などに携わることで社会人としてもレベルアップできることを目標としていました。
その一方で”プロ野球選手は甘やかされている”とも語っており、言葉遣いや会社の仕組みなど社会人としてのマナーを直したいという真面目なエピソードも照れながら披露。
その後、石井一久さんは楽天イーグルスのGMや監督に就任していますが、この裏には持ち前の才能だけでなく契約社員として経験を積んだことが大きいかも知れません。
吉本興業に入社と聞けばお笑いのネタのように扱われてしまいがちですが、入った経緯やエピソードを聞けば真面目に目標を持っていたことが分かりました。
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