ヤマザキマリ、破天荒な母と父の死。祖父と家族について。学校は聖心?

古代ローマと現代日本が交錯する奇想天外な物語『テルマエ・ロマエ』で一躍脚光を浴びた漫画家のヤマザキマリさん。

知名度が高まるにつれて、ご本人の規格外な半生にも注目が集まりました。

母の量子さんもまた、常識や世間体にとらわれない破天荒な女性だったようです。

今回はヤマザキマリさんの家族にスポットをあて、父や祖父、夫について詳しくみていきます。

通っていたのがミッションスクールということで、母校は聖心という噂もあるようですね。

ヤマザキマリのプロフィール

本名:ヤマザキマリ

生年月日:1967年4月20日

身長:不明

出身地:東京都、北海道千歳市

最終学歴:フィレンツェアカデミア美術学院

所属事務所:クリエイティブガーディアン

ヤマザキマリの破天荒な母と早逝した父

『テルマエ・ロマエ』の大ヒット以降、メディアへの露出が一気に増えたヤマザキマリさん。

その作品はもとより、自由でボーダーレスな生き方も注目の的になりました。


17歳で高校を中退し、単身イタリアに渡ったことや、現地の男性と恋に落ちて未婚の母になったこと、そして別のイタリア人男性と国際結婚したことなど、その半生はまさに波瀾万丈です。

これまで中東、ポルトガル、アメリカなど世界中を移り住んできたヤマザキさんですが、近年はイタリアと日本を行き来する生活を送っていました。

2020年のコロナ騒動以降は日本にとどまり、夫や義理の両親と会えない日々が続いています。

1967年4月20日、指揮者の父とヴィオラ奏者の母の間に生まれたヤマザキマリさん。

その自由で型破りな生き方は、まさに母親譲りでした。

著書『ヴィオラ母さん』は、夫と死別したのちに女手一つで2人の娘を育てた母・量子さんのことをつづったコミックエッセイです。

湘南の良家の令嬢だった量子さんは、花嫁修業として習っていたヴァイオリンに夢中になり、演奏家になることを決意。

勤めていた会計事務所を退職し、勘当同然で実家を飛び出して、新設されたばかりの札幌交響楽団に入団します。

新天地の北海道では楽団の男性と結ばれ、ヤマザキさんが誕生。

ところが、まもなく夫が病気で早逝。

その後再婚して次女をもうけますが、ほどなくして離婚。

以降はシングルマザーとして2人の娘を育てあげました。

母親には、いかに人生を面白く生きるかを教えられたような気がすると語るヤマザキさん。

子供の教育の場は学校だけにあらずという持論をもち、娘たちに学校を休ませて演奏旅行に連れて行ったりする型破りな母親でしたが、おかげで楽しい体験がいっぱいできたとのこと。

ヤマザキさんがイタリアで未婚の母となり、幼い息子を連れて帰国した時も、母は「しかたがない、孫の代までは私の責任だ」とおおらかに笑っていたそうです。

そんな母親の背中を見て育った娘が14歳でヨーロッパを一人旅し、17歳でイタリアに留学するのは自然な成り行きだったのかもしれません。

ヤマザキマリの家族(夫と息子)について

人生の転機は、ミッションスクールに通っていた14歳の時のヨーロッパ一人旅でした。

この旅で知り合ったイタリア人陶芸家とは以降も親交を重ね、17歳になると、彼の招きで国立フィレンツェ・アカデミア美術学院に留学。

ほどなくイタリア人の詩人と恋に落ち、10年の同棲生活を経て息子を出産、シングルマザーを選択します。

先述のイタリア人陶芸家の孫で、14歳年下のぺッピーノさんと結婚したのは2002年でした。

この時ヤマザキさんは35歳、一人息子のデルスくんは7歳。

母子は新しい家族と暮らすために再びイタリアへ渡ります。

文学研究者のペッピーノさんは、当時は21歳の大学生でした。

夫は歴代ローマ皇帝の名前をすべて暗記しているほどの古代ローマ通であり、『テルマエ・ロマエ』に与えた影響も大きいようです。

2021年現在、すでに20代半ばになっている一人息子のデルスさんは、ツイッターの自己紹介によるとハワイ大学マノア校機械工学部卒業の機械工学士。

交換留学生として京都大学に通っていたこともあるそうですから、優秀な息子なのでしょう。

デルスさんが今はどこに住んでいて、何の仕事をしているのかは不明でした。

ツイッターに日本の風景と思われる画像が頻繁に投稿されていることから、日本在住の可能性があります。

通っていたミッションスクールは聖心?

ヤマザキマリさんは東京で生まれたのち、母が在籍する交響楽団がある北海道で育ちました。

住んでいたのは千歳市だそうです。


母は神奈川県鵠沼の出身で、学生時代はフランス系のミッションスクールに通っていたとのこと。

鵠沼の実家は代々カトリックであり、ヤマザキさんも幼児洗礼を受けて、ミッションスクールに通っていたことが明らかになっています。

一部では聖心ではないかといわれていますが、具体的な学校名については情報がありません。

聖心女子学院には姉妹校があり、北海道にも札幌聖心女子学院中学校・高等学校がありますから、同校に在学していた可能性も考えられますね。

学校をいったんやめてイタリア留学してはどうかという母のアドバイスもあって、17歳で高校を中退し、イタリアに渡って美術史と油絵を学ぶことになります。

アメリカに駐在していた祖父

「祖父」で検索されている人物は、おそらくヤマザキさんの母方の祖父、つまり母・量子さんの父である戸田得志郎さんのことでしょう。

東京銀行の社員だった得志郎さんは、1918年から10年間、年齢でいうと20代半ばから30代半ばまでの間、サンフランシスコとロサンゼルスに支店を設立するために駐在していました。

その間は一度も日本に戻らなかったそうです。

10年間のアメリカ生活を終えて帰国した祖父はすっかりアメリカナイズされており、結婚後の新居となった鵠沼の家が純和風家屋であったにもかかわらず、食卓はテーブルに椅子、朝食はトーストとオートミールという西洋風の生活を送っていたのだそう。

戦争がはじまると、アメリカ時代に収集したレコードのコレクションを泣く泣く焼却したこともあったそうですから、祖父にとって太平洋戦争はことのほかつらい体験だったにちがいありません。

ヤマザキさんの友だちからかかってきた電話に出た祖父は、孫の新しい電話番号を「ジロ(ゼロ)、スリー、ファイヴ…」と英語で伝えてしまい、後日その友だちに「マリの家に電話したら変な人が出た!」と言われたこともあったようです。


ローマを訪れて2000年前のコロシアムの遺跡を見た瞬間、それまでの時空の価値観が覆されたと語るヤマザキマリさん。

「大人になったら世界中のいろいろな所へ行きなさい」という母の教育方針は、ここでも活きていたようです。

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