近年、海外でブームを呼んでいるジャパニーズ・シティポップの象徴的存在である竹内まりや(たけうちまりや)さん。
実家が出雲大社前の老舗旅館ということは多くのファンが知るところでしょう。
その旅館が経営難に陥り、まりやさんが立て直しに乗り出したと報じられたのは記憶に新しいですが、その後どうなったのでしょうか。
経営が傾いた一因とされる兄弟のほか、4代目当主だった父についてもまとめました。
竹内まりやのプロフィール
本名:山下まりや
生年月日:1955年3月20日
出身地:島根県簸川郡大社町杵築南(現在の島根県出雲市大社町杵築南)
最終学歴:慶應義塾大学文学部英米文学専攻中退
所属事務所:スマイルカンパニー(個人事務所:テンダベリー&ハーヴェスト)
竹内まりやの実家は出雲の老舗旅館
竹内まりやさんの実家は出雲大社門前の神門通りにある由緒正しい旅館です。
看板には「竹野屋」とありますが、これは屋号で、旅館の名称は竹野屋旅館。
その歴史は、1877年、初代竹内繁藏が参拝客のために開業した宿屋にはじまります。
所在地は島根県出雲市大社町杵築南(たいしゃちょうきづきみなみ)857。
創業以来145年、ずっとこの場所にあるそうです。
畳敷きの広々とした玄関ロビーは昭和初頭の風情あふれる歴史ある空間。
特別室の素鵞(そが)の間は、皇族や多くのVIPに愛されてきた格式の高い客室です。
沢田研二さんと田中裕子さんが1989年に結婚披露宴を行なった旅館としても知られていますね。
出雲大社 神門通り
「竹野屋旅館」
竹内まりやファンならやはり泊まってみたいのかな。#出雲大社前 #竹野屋旅館 #竹内まりや #竹野屋 #老舗旅館 pic.twitter.com/TIj5ZNEXAF— しもちゃん (@mshimochan) January 3, 2017
宿泊は『竹野屋旅館』出雲大社のすぐ前、竹内まりやの実家としても有名な旅館。傾きかけて竹内まりやがオーナーになってテコ入れしたらしく、食事含めてたいへん満足だった。 pic.twitter.com/2XQCgd5ScF
— 在華坊 (@zaikabou) September 10, 2020
少女時代から美人姉妹の三女として地元では有名人だった竹内まりやさん。
慶應義塾大学進学のため上京したあとも、故郷の出雲へは時おり帰っていたようです。
出雲大社の「平成の大遷宮」が行われた2013年には出雲市からの依頼に応え、故郷への思いにあふれた『愛しきわが出雲』を作詞、作曲、プロデュース。
近年も墓参りをする姿が目撃されており、まりやさんの強い出雲愛がうかがえます。
竹野屋旅館は創業140周年を迎えた2017年、まりやさんの長姉の娘婿にあたる丸尾聖治さんが2月1日付で6代目の社長に就任。
しかし、その年の秋には辞任し、退社しています。
7代目社長については確認できる情報がありません。
経営難は兄が原因?竹内まりやの兄弟姉妹
竹内まりやさんは2男4女の6人きょうだいの第4子です。
5歳年上の兄・信夫さんが竹野屋旅館の5代目社長に就任したのは24歳頃。
同時に竹野屋当主の名跡「5代目竹内繁蔵」を襲名しました。
代々の当主は「竹内繁蔵」を名乗りますが、6代目社長については「竹内繁蔵」を襲名したという情報はないようです。
信夫さんが5代目を継いだ竹野屋旅館は、出雲大社で結婚式を挙げる新郎新婦が増えたことに伴い、独自の結婚披露宴で人気を呼びますが、やがて客足は遠のいてしまいます。
その原因は5代目の経営手法や従業員教育にもあったようです。
甘やかされて育った信夫さんは人に頭を下げることができない性格で、神経質なところもあり、接客業には向かない人物だったといいます。
従業員とのコミュニケーションがうまくとれず、優秀なスタッフが次々と辞めていくなか、満足な従業員教育ができないため仲居のレベルも低下するという悪循環。
さらには、まりやさんの義姉にあたる5代目女将が親族を連れてきたことで女の戦いが激化。
そんな実家の窮状に心を痛めていたのがまりやさんでした。
#nowplaying: "プラスティック・ラブ" from "Expressions (MOON Version)" by #竹内まりや pic.twitter.com/GJNEymGqis
— A.イチロー (@es355black) January 8, 2022
まりやさんは経営の立て直しに乗り出し、巨額の資金を投じて竹野屋旅館をリニューアルするとともに、実質的なオーナーに。
何代も続く実家の老舗を何としても守りたいという強い思いがあったのでしょう。
リニューアル工事がはじまってまもなく、信夫さんは退任。
6代目社長が軌道に乗るまで、まりやさんは旅館の再建に忙殺されて、音楽活動は休業状態に追い込まれます。
竹野屋旅館はリニューアルオープン後、予想を上回る好調な業績をあげたとのことです。
竹内まりやの父は4代目竹内繁蔵
竹内まりやさんの父であり、竹野屋4代目当主である竹内繁蔵さんは、3代目の子供です。
本名についての情報はありません。
医師志望の女子大学生と恋に落ちて結婚し、2男4女をもうけました。
まりやさんが高校2年生になった1971年から15年間、大社町町長を務めた政治家でもあります。
映画、読書、囲碁、ゴルフなどを好む趣味人で、まりやさんによると、父は歌が、母はピアノが得意とのこと。
96歳で死去したのは2021年7月11日でした。
竹野屋旅館再建に直接関わらざるを得なくなり、引退説もささやかれた竹内まりやさん。
ですが、音楽活動引退についてはご本人が否定しています。
これまでのキャリアを振り返っても、子育てや家庭を優先しながら作品を発表し、多くの歌手に楽曲を提供してきました。
竹内まりやさんが第一線から完全に退いてしまうことはおそらくないでしょう。
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