古代ローマの浴場設計をテーマとした大ヒット漫画『テルマエロマエ』で知られる、人気漫画家のヤマザキマリさん。
今回はヤマザキさんの夫について、イタリア人という情報、仕事はシカゴ大学で何をしているのか見ていきます。
さらにヤマザキさんの結婚馴れ初めと離婚の噂もまとめました。
ヤマザキマリのプロフィール
本名:ヤマザキマリ
生年月日:1967年4月20日
身長:不明
出身地:東京都、北海道千歳市
最終学歴:フィレンツェアカデミア美術学院
所属事務所:クリエイティブガーディアン
ヤマザキマリの夫はイタリア人
まずはヤマザキさんの夫を見ていきます。
夫はイタリア人の文学研究者で、名前はベッピーノさんです。
彼の留学先だったエジプトにあるイタリア大使館で挙式しています。
ダマスカス、北イタリア、リスボンなど、夫の仕事場所が変わると、その都度転居していました。
2013年からはイタリアのパドヴァに住んでいるということです。
同じ場所に1か月以上とどまることのない生活を続けてきたヤマザキさん。
イタリアと東京にそれぞれ拠点を持ち、時期に応じて場所を変えて仕事をしてきたそうです。
また古代ローマに造詣の深い夫から、歴史の話を聞いたことが、『テルマエロマエ』を描くきっかけになったといいます。
夫からの影響を作品に生かせる漫画家という仕事は、さぞやりがいがあることでしょう。
夫と離れていても大丈夫
前述のとおり、ベッピーノさんはイタリア在住。
ヤマザキマリさん。
波乱万丈。話が面白い。
コロナや政治のことにも言及。
NHKでそれ言っていいのかと思うほど。
考え方の違い。国の対策の違い。
離れて暮らす旦那さんと話すのも辛い時期があったと。
夫婦でそれぞれの国で色々調べて、
今は落ち着いたって。
深い。#あさイチ— みー (@i_my_me22) October 8, 2020
コロナ禍になり、海外の行き来が困難になっていた頃は、東京で仕事をするヤマザキさんと長く離れることになりました。
夫婦がほとんど会わない時期は、2年半にもなったそうです。
そんなに離れて暮らしていると、精神的につらいこともありそうですよね。
しかしヤマザキさんは、特になんともなかったのだとか。
理由は、それまでも家族と離れることはよくあったから。
仕事で日本へ行き別々に暮らし、また戻って一緒に暮らすということは何度も経験していたそうです。
そのため、別々に暮らすことには慣れていたのでしょう。
2年半におよぶ別居も、「いつもより少し延びた」くらいに考えれば、それほど気にならないのかもしれません。
もともと「夫婦はこうあるべき」といった妙な縛りには違和感を抱いていたというヤマザキさん。
それぞれが好きなように暮らせばいいと考えているようです。
夫と長く離れていてもあまり気にしないのは、そうした柔軟な考え方も影響しているものと思われます。
確かに、「夫婦なら常に一緒にいるべき」と思うのは自由ですが、他人に強制していいことではありません。
別居婚を選択する夫婦もいますよね。
別居婚って、ありかも
— 高橋順子 (@junko_ynzw) March 12, 2024
別居婚しました💐💍
いい距離感保てるし、週末だけ会って遊べるし、お互いの趣味尊重できるしとても快適です!— M (@pienmakichan) March 13, 2024
いろいろな夫婦の形があるわけですから、同居も別居もそれぞれの自由。
お互いに納得しているなら、ヤマザキさんたちのように離れてもうまくやっていけるのでしょう。
妻の気持ちを考えてくれる夫
夫婦の物理的な距離を気にしないヤマザキさんですが、昔のベッピーノさんは違うタイプだったそうです。
イタリアでは一緒に暮らす夫婦が多いこともあり、同居を望んでいたのだとか。
しかし、日本で働くヤマザキさんを見て考え方が変わります。
イタリアでの仕事より楽しそうに見えたため、妻が日本で暮らすことを受け入れてくれたのだとか。
その後は、お互いの生き方をリスペクトすることの大切さを夫婦で語り合ったこともあるそうです。
違う考え方をひたすら拒絶するのではなく、「これもありかも」と思えるのは、素晴らしいことですね。
ヤマザキマリの夫、仕事はシカゴ大学の教員だった
次にヤマザキさんの夫の仕事について、シカゴ大学で働いているという情報を見てみます。
『テルマエロマエ』で一躍人気漫画家となったヤマザキさん。
この時期、ベッピーノさんがシカゴ大学の比較文学の教員になることが決まります。
こうして夫婦は2009年にシカゴへ移住。
しかし夫の任期終了のためか、13年からイタリアに戻り、パドヴァに暮らしています。
したがってシカゴ大学は既に退職していることがわかりました。
ヤマザキマリの結婚馴れ初め&離婚はしていない
ではヤマザキさん夫婦の結婚、馴れ初め、離婚の噂を見ていきます。
馴れ初めは、ヤマザキさんの面倒を見てくれたイタリア人陶芸家が、ベッピーノさんの祖父だったこと。
ミッションスクール在学中だった14歳のヤマザキさんは、1ヵ月ドイツとフランスをたった1人で旅行。
ヴィオラ奏者の母親が演奏会でヨーロッパ旅行に行かれなくなり、「代わりに行く?」と聞かれたので行くことにしたそうです。
10代の娘を1人旅に行かせる母も、本当に実行する娘も、かなり行動派で常識にとらわれない人柄がうかがえますね。
旅の途中、イタリア人陶芸家の老人に付きまとわれたヤマザキさん。
「芸術家を志すならイタリアへ行け」と言われ、17歳で老人の招きにより、イタリアの美術学院に留学しました。
ヤマザキさんの面倒を見てくれた陶芸家の老人こそ、ベッピーノさんの祖父だったのです。
風変わりな芸術家の老人を介して出会った2人は、先述の通りエジプトで挙式しました。
離婚の情報ですが、2024年現在も2人は夫婦で、別れていません。
しかし離婚の危機はありました。
『テルマエロマエ』が大ヒットした頃、大スターになったヤマザキさんと、低収入の文学者の夫の間に亀裂が生じます。
慣れないシカゴでの生活でストレスが溜まっていたベッピーノさん。
さらに作品の映画化で避けて通れない著作権問題に苦戦していた妻との間で、大げんかしたそうです。
著作権のルールが日本とイタリアで異なるため、2人の意見は毎日対立していました。
シカゴ滞在時は夫婦にとって、つらい思い出が多かったのでしょう。
しかし今では関係は修復し、仲睦まじく暮らしています。
2人は互いの苦労を気遣い合い、支え合うことに成功したのでしょう。
文学研究者という不安定な仕事に情熱を捧げながら、漫画家の妻を陰で支える旦那さんなのかもしれません。
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