小島慶子の若い頃は美人女子アナ。生い立ちの苦労。父親の三井物産説はデマ?母親との確執

元TBSアナウンサーでタレントとして活動している小島慶子(こじま けいこ)さん。

若い頃は、その美貌で高い人気を獲得していました。

また、生い立ちエピソードや父親の職業の噂、過去に起きた母親との確執についてもまとめてみました。

小島慶子のプロフィール

生年月日: 1972年7月27日

身長: 172cm

血液型: B型(Rh+)

出身地: オーストラリア

最終学歴: 学習院大学 法学部 政治学科

所属事務所: 株式会社ビッグベン

小島慶子の若い頃は美人女子アナとして人気

現在はタレントやエッセイストとして活躍する小島慶子さんですが、最初の活動はアナウンサー。

デビュー当時から知っているファンの中には、美人でかわいい女子アナのイメージが強く残っている人も多いかもしれません。

アナウンサーとしての経歴

TBSのアナウンサーとして活動を開始したのは、1995年4月のこと。


当時は新人女子アナとして注目を集めていました。

とても美人なので、テレビを見て癒されていた人も多いのではないでしょうか。

そうした人気も影響したのか、1997年からは『日立 世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターに抜擢。

翌1998年にはラジオ『BATTLE TALK RADIO アクセス』の初代パーソナリティーを担当するなど、活動の幅を広げていきました。

こうした活躍は、見た目だけでなく、人柄やスキルなども高く評価された結果なのかもしれませんね。

有名になった愛称

小島さんの若い頃の話題になると、「TBSのツインタワー」というワードが出てくることがあります。

これは、同じTBSのアナウンサーである小倉弘子さんと一緒に呼ばれていたもの。

2人とも背が高いため、そびえ立つツインタワーを連想した人が多かったのでしょう。

小島さんが172cm、小倉さんが173.3cmなので、確かに女性としては高身長ですね。

ちなみに、小倉さんがTBSに入社したのは1997年であり、小島さんの後輩にあたります。

小島慶子の生い立ちまとめ

小島慶子さんのプロフィールを拝見すると、出身地がオーストラリアと書かれています。

目鼻立ちがハッキリとしたハーフ顔ですが父か母がオーストラリア人なのかなと思ってしまいますよね。


しかし小島慶子さんのご両親はどちらも日本人なのでハーフではありません。

身長172cm、とてもキレイな顔立ちをしている小島慶子さんは恐らくご両親がとても端正な顔立ちとスタイルをしているからのようです。

小島慶子さんは父親の仕事の関係でオーストラリアで生まれ、7歳の時にはシンガポール、香港などで生活をされていました。

小学校高学年になるころに日本へ帰国し、その後は日本で生活を送っています。

3歳の頃も日本にいた

小島さんは、7歳までずっと海外暮らしだったわけではありません。

実は3歳の頃にも、一時的に帰国していました。

3歳で日本に来て、住んだのは東京・清瀬市の団地でした。

それまでずっと海外にいた小島さんは、清瀬市で初めて自分と似た容姿の子供たちを見ました。

話す言葉も同じだったことから、すぐ友達と認識したそうです。

ですが、すでに公表しているとおり、小島さんは軽度のADHD。

発達障害について関心が高まる中、タレントでエッセイストの小島慶子さんが46歳にして軽度ADHDであることを昨年カミングアウト。

普段の言動を見て心配した母親から交流を禁じられたため、当時はなかなか日本人の友達ができなかったようです。

病気で苦しんだ学生時代

日野市立三沢台小学校(現・日野市立七生緑小学校)を卒業した小島さんは、学習院女子中・高等科へ進学しています。


しかし、15歳のときから摂食障害を発症し、とてもつらい経験をしました。

10歳代後半から20歳代にかけて、人知れず摂食障害に苦しんだ。

この病気にもADHDが影響していましたが、当時は誰も気がつかず、正しい治療はできなかったようです。

過食と嘔吐を繰り返す苦しい生活は長く続き、結婚して子供を産む頃、ようやく症状が改善していきます。

ずっとつらい日々を送ってきたわけですから、これからは楽しい人生を過ごしてほしいものですね。

商社マンの父親が三井物産の噂に証拠なし

父親の仕事関係で幼少期を海外で過ごしていた小島慶子さん、父親の職業は商社マンだったそうです。

高度経済成長期の商社マンといえば超一流のサラリーマンですよね。

小島慶子さんはとても裕福な家庭で育ったのだと思います。

ちなみに、一部では三井物産に勤めているという噂もありますが、そちらはデマと思われます。

父親が商社マンであることは間違いありませんが、小島さんが具体的な会社名を挙げたことはないようです。

1972年7月、商社マンだった父親の仕事の関係で、赴任先のオーストラリアのパースで生まれ、3歳まで育った。

証拠となる情報はないため、あまり信用しない方がよさそうですね。

そして小島慶子さんには9歳上の姉がいます。

姉はバブル絶頂期にご結婚されたそうで、姉から結婚について「結婚は勢い!」などの助言を受けていたそうです。


そんな助言を受けていた小島さんは28歳の時にテレビ局のディレクターと結婚されています。

夫は現在、会社を退職していて専業主夫として家庭を支えているそうですよ。

そして小島慶子さんは母親と過去にいろいろと確執があったそうなんです。

不安障害経験も!?小島慶子と母親の確執について

小島慶子さんは自身のエッセイにて母親との関係を赤裸々に書いています。

母親はいわゆる”団塊世代”といわれる少し前の世代の方だそうで、昔から価値観に大きなズレがあったそうです。

運動会の絵が先生に褒められても、「ママ、こんな髪形じゃないわ」と言われる。

中学のとき、友達を父親の職業で判断されて腹が立ち、何時間もかけてやめるよう説得した翌日、また「あの子のお父さん、二流企業だからダメね」。

私がいら立ちを爆発させると「何が不満なの?」。

“好景気だった時代”を歩んだ母親と”就職氷河期といわれていた時代”を歩んでいる小島慶子さんは価値観が全て真逆だったようですね。

それでも小島慶子さんにとっては、たった1人の大切な母親なので気持ちに応えようと勉強や就職を頑張ったとエッセイで綴っています。

しかし、15歳の時に姉が結婚して家を出ることになった時から変化が起きはじめました。

前述した拒食症です。

母の関心が私に集中するのが恐くて拒食になり、その後、過食と嘔吐を繰り返すように。

母は知っていましたが、「吐きたくなるほど悩んでいるのか?」と聞いてきたことはありません。

小島慶子さんの母にとって娘は一心同体そのものだったようですね。

母親の過干渉は、社会人になってもなお続いていました。

出演する番組を見てはファッションや肌のコンディションをダメだしし、小島慶子さんは追い詰められていたそうです。

子供ならまだしも、大人になってもずっと自分の感性を否定され続けるのはツライですよね…。

そして次男を出産する頃、ついに不安障害という病気にかかってしまいました。

治療の一環としてカウンセリングを受けていた小島慶子さんは不安障害の一因に母があるということに気づきます。


そして”母親と会わない”という選択をし、約7年間一切会わなかったそうです。

そのような大きな決断をしたおかげで小島慶子さんは不安障害を乗り切り、今も輝いているのでしょう。

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