是枝裕和の生い立ちと家族。妻との結婚と子供。父親は台湾生まれで苦労

『そして父になる』や『万引き家族』などの監督として、世界の映画祭で高く評価されてきた是枝裕和(これえだ ひろかず)さん。

ドキュメンタリーから出発して以降、現実味ある劇映画を数多く作ってきました。

特徴は家族や子供を題材とする点ですが、是枝さん自身はどんな家族のもとで育ったのでしょう。

今回は監督の生い立ちに迫ります。

また家族について、妻と結婚の詳細、子供、父親をご紹介しましょう。

是枝裕和のプロフィール

本名:是枝裕和

生年月日:1962年6月6日

身長:不明

出身地:東京都練馬区

最終学歴:早稲田大学第一文学部文芸学科

所属事務所:分福

是枝裕和の生い立ち

まず是枝さんの生い立ちに迫ります。

過酷な生活を送る人々を描いてきた是枝さんですが、自身も幼い頃から苦労していたようです。


祖父、両親、姉2人の6人家族で、古びた長屋に暮らしていました。

1960年代にもかかわらず水道が引かれておらず、井戸水を汲んでいたそうです。

さらにガスではなく、薪を割ってお風呂を焚いていました。

父に生活力がなかったので、貧しい生活を余儀なくされていたようです。

9歳から28歳までは、東京都清瀬市の旭が丘団地で生活。

代表作『海よりもまだ深く』はここで撮影しており、自身の体験を基にした作品であることがわかります。

狭い団地でのリアルな生活や、団地住民同士の派閥など、監督自身の体験あってこそ描けた本作。

決して恵まれた生い立ちではないにせよ、体験を作品に活かせる点では、不自由を知らない人よりも有利だったのでしょう。

是枝裕和の家族。妻と結婚について

ここから是枝さんの家族情報をまとめます。

是枝さんに妻がいることは事実ですが、一般人で情報がなく、結婚時期も不明。

映画撮影に没頭する夫を、陰で支えてくれるタイプの女性なのかもしれませんね。

是枝裕和の子供

次に是枝さんの子供を見ていきます。

2007年頃に生まれた娘が1人いるとわかりました。

一般人なので詳しい情報はありませんが、2021年現在は中学生でしょう。

是枝さんは娘がのびのび育つことを望んでいるそうです。

映画界へ進むかわかりませんが、いつかメディアに登場するかもしれませんね。

是枝裕和の父親

最後に是枝さんの父親をご紹介します。

父親は1920年、台湾生まれでした。


太平洋戦争で中国へ出征。

軍隊では、上官から毎日殴られるつらい生活を送っていたそうです。

終戦を現地で迎えた後は、ソ連の捕虜となり、シベリア抑留という過酷な体験をしました。

部下を毎日殴っていた上官は、敗戦を知るや、自分だけ逃走。

是枝さんの父たちは途方に暮れていたところ、ソ連軍の捕虜にされたのです。

戦争に振り回された前半生だったといえますね。

多くの犠牲者が出たシベリア抑留から、何とか生還した父。

足を負傷し、帰国後はリハビリに通い続ける人生だったそうです。

しかもソ連帰りのため、組合員と疑われ、就職活動がうまくいきませんでした。

是枝さんが小学生の頃、父は町工場で働いていたそうです。

しかし、ばくち好きでお金が貯まらないので、母がパートで家計を支えました。

父の生活力がなかった是枝家。

母は、息子が公務員となり安定した生活を送ることを希望していたそうです。

しかし是枝さんは早稲田大学を卒業後、映画監督を志し、テレビ会社に就職。

思うように監督業へ進出できず、つらい20代を過ごしています。

息子が公務員になることを望んでいた母ですが、是枝さんの夢が叶うまで、ケーキ工場のパートで支え続けました。

父は2000年に80歳で他界。

是枝さんにとって父は、母に比べればまったく頼りにならなかったのでしょう。

しかし映画界へ進む際、父は「好きな道へ行きなさい」と応援してくれたそうです。


過酷な運命を背負って生きた父の影響もあり、つらい境遇の人々を描き続けているのかもしれませんね。

社会の隅に生き続ける人々を、優しく見守るように描いてきた是枝さん。

コロナ流行後の閉塞した社会に、彼の作品はますます必要とされるでしょう。

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