与謝野晶子の弟、詩の意味とは。戦死の噂と日露戦争。スペイン風邪対策を批判

『君死にたまふことなかれ』で、日露戦争に従軍する弟への思いを詠ったとされる与謝野晶子(よさの あきこ)。

反戦歌として名高い詩ですが、本当に反戦を詠った作品なのか疑問を投げかける人も増え、様々な解釈がされているようです。

今回は晶子の弟と、彼を詠った有名な詩の意味を見ていきます。

また弟は戦死しているのか日露戦争時の詳細を見ていきましょう。

併せて晶子の、スペイン風邪対策への批判もご紹介します。

与謝野晶子のプロフィール

本名:与謝野志やう(しょう)

生年月日:1878年12月7日

死没:1942年5月29日

身長:不明

出身地:大阪府堺市

最終学歴:堺市立堺女学校(現在の大阪府立泉陽高等学校)

与謝野晶子の弟について

まず晶子の弟を見ていきます。

詩に描かれた弟は、鳳籌三郎(ほう ちゅうざぶろう)という人物です。

1903年に父が亡くなり、学者となった兄に代わって実家の和菓子屋を継いでいました。

『君死にたまふことなかれ』が発表されたのは04年9月。

籌三郎は実家を継いだばかりの、およそ半年前に召集され、日露戦争に従軍。

詩の副題に「旅順口包囲軍の中にある弟」とあり、敵国ロシアの要塞だった旅順を攻囲する戦いに参加したとされてきました。

しかし実際には、彼が属していた歩兵第8連隊は、旅順攻囲戦ではなく遼陽会戦に参加しています。

そのため籌三郎は旅順では戦っていない可能性が高く、この点を晶子も誤解していたのかもしれません。

有名な詩の意味は?

次に詩の意味を見ていきます。

従来『君死にたまふことなかれ』は、戦地にいる弟が死に赴く姿を嘆き、戦争を批判する詩とされてきました。

しかし本当に反戦を訴えた作品なのかどうかは、議論されてきたようです。

なぜなら晶子は、のちに起こる第一次世界大戦で戦意高揚の歌を作っているからです。

この点で彼女は、真の反戦主義者とはいえないでしょう。

晶子は日露戦争当時、男児を出産したばかりでした。

このまま戦争が続けば、自分の子供も召集されてしまうという不安があったに違いありません。

だからこそ、反戦というよりは、自身の不安を吐露するつもりで有名な詩を発表したのでしょう。

そして第一次世界大戦では、四男が海軍大尉として参戦。

息子が勇んで戦いに赴く姿を見て、不安を抱きながらも徐々に彼を応援したい気持ちが強くなったのでしょう。

日露戦争時とは一転し、第一次世界大戦では息子を応援するつもりで、戦意高揚的な歌を詠んだのかもしれません。

そのため晶子は作品を通して、状況次第で変化する母親としての感情を、吐露したに過ぎないのではないでしょうか。

彼女の揺れ動く表現から、庶民のリアルな感情の流れが伝わってくるようですね。

与謝野晶子の弟は戦死?日露戦争について

次に晶子の弟は日露戦争で戦死しているのか見ていきます。

先述の通り、晶子の弟である籌三郎は、日露戦争で遼陽会戦に参加した歩兵第8連隊に所属。


また彼は姉同様に文才があったため、書記に任命されており、実戦にはほとんど参加していないことが明らかになりました。

兵隊の多くは字が書けなかったそうで、戦地で書記として重宝されたようです。

終戦後は無事に帰還し、晶子とも生涯交流を重ね、1944年に亡くなりました。

つまり籌三郎は日露戦争で戦死していないのです。

無事帰還したのは何よりですが、弟が戦死したというイメージが定着しているため、多くの人は拍子抜けするでしょう。

それどころか書記としてほとんど戦っていないのですから、その点も踏まえて歴史の授業は行われるべきかもしれませんね。

与謝野晶子のスペイン風邪対策批判

最後に晶子の、スペイン風邪対策への批判をご紹介します。

1918年から19年にかけて大流行したスペイン風邪。

晶子はスペイン風邪で息子を失っているという情報が流れましたが、実際には亡くしていません。

六男の寸(そん)が生後2日で亡くなりますが、時期的にスペイン風邪ではないはずです。

ただ彼女が積極的にスペイン風邪について情報を発信していたのは事実です。

スペイン風邪への見解を述べた文章は、評論『感冒の床から』と『死の恐怖』。

文中で呉服店や学校、工場や展覧会など、「多くの人が密集する場所の一時休業」を政府が命じなかったことを批判しました。

コロナウイルスが流行する現代に通じる文章ですね。

当時も人々はマスクを着用して、スペイン風邪という未知の脅威に直面していました。

晶子は積極的にスペイン風邪への見解を発信しつつ、腰の重い政府を批判していたのです。

2023年現在、コロナウイルスが終焉をむかえそうではあるものの、感染者が以前広がっている状況が続いています。


晶子は現代の政府に対して、どのような見解を述べるのか気になりますね。

感情を赴くままに吐露する一面もありながら、文化人として社会批判にも努める、人間臭い人物像がうかがえましたね。

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