国木田独歩の妻は2人。結婚と離婚。孫、子孫の現在(2023)と家系図

現在では貴重な、東京の自然を描写した『武蔵野』で知られる作家・国木田独歩(くにきだ どっぽ)。

当時は評価されなかったものの、今日では失われてしまった東京西部の自然を書き残したとして高い評価を受けています。

今回は独歩について、妻の詳細を見ていきましょう。

結婚、離婚の情報をまとめ、さらに孫、子孫はいるのか家系図をご紹介します。

国木田独歩のプロフィール

本名:国木田哲夫

生年月日:1871年8月30日

死没:1908年6月23日

身長:不明

出身地:広島県および山口県

最終学歴:東京専門学校英語政治科(現在の早稲田大学)中退

国木田独歩の妻。結婚と離婚

まずは独歩の妻、そして結婚と離婚について見ていきます。

独歩には生涯で2人の妻がいました。


最初の妻が佐々城信子、再婚相手が榎本治(国木田治子)です。

最初の妻である信子は、1878年に医者の私生児として生まれています。

青山女学院や神戸女学院で学んだエリートで、母が主催した日清戦争の従軍記者を招いた晩餐会で記者だった独歩と出会います。

信子の両親からの猛反対にあったものの、駆け落ち同然で出奔し、1895年に結婚。

逗子で生活を送りますが、裕福な家庭で育った信子には独歩との貧乏生活が耐えられませんでした。

結果的に信子は実家へ帰り、わずか5か月で協議離婚しています。

このエピソードは有島武郎が『或る女』に描いており、信子をモデルにした主人公・葉子は非常にわがままで浮ついた女性として描かれました。

しかし信子側から見れば、独歩に男尊女卑的一面があったということなので、一概に信子だけがわがままだったとは言えないようです。

ただ恋多き女だったことは確かなようで、独歩との離婚後に娘・浦子を出産し里子へ出したのち、農務省の男性と婚約。

しかし結婚のため乗船した船の事務長・武井勘三郎と恋に落ちて、そのまま武井と結ばれています。

その後は一女をもうけ、ようやく落ち着いて暮らしたようです。

多くの男性を虜にする、美しい才女だったのかもしれません。

次に独歩の2番目の妻、国木田治子について見ていきます。

1879年、旗本の子弟だった榎本正忠の長女として神田に生まれ、16歳で父が死んでからは戸主となりました。

3年後、隣家で下宿していた独歩と結婚。

独歩にとっては再婚で、相変わらず貧しい生活を送っていました。

家を転々としながらも、夫が定職に就いて生活が落ち着くと、自身も小説を書き始めました。

『貞ちゃん』を婦人界に掲載しデビューすると、以後10年ほど執筆に取り組みます。

その傍ら、二男二女を育て上げました。

独歩の死後も平塚らいちょうの婦人雑誌「青鞜」に『猫の蚤』を掲載していますが、1912年以降は三越の食堂で勤務、さらに生け花講師を始め文筆からは離れています。

独歩が愛人を作り、一時同居するなどトラブルもありましたが、文句を一切言わない貞淑な妻だったそうです。

国木田独歩の孫、子孫の現在

次に独歩の孫と子孫を見ていきましょう。

孫は、独歩の長男で詩人の国木田虎雄の子である、1924年生まれの映画俳優・三田隆です。

本名は国木田篤夫でしたが、芸名を何度か変更したのち、三田隆名義で活動を始めています。

重光彬という芸名の時期に、マキノ雅弘監督映画『浮雲日記』で主演を務めるなど、戦中から戦後にかけて二枚目俳優として活躍。

しかし1961年、胃潰瘍により36歳の若さで亡くなっています。

その娘・国木田アコ(国木田吾子)も女優として羽仁進監督映画『午前中の時間割』に主演するものの、それ意外に活動せず、フランスへ移り住みました。

アコの娘で、モデルの国木田彩良(くにきだ さいら)さんは、独歩の玄孫。

父がイタリア人で、はっきりとした顔だちの美人ハーフ。

1994年ロンドン生まれですが、1歳でパリに移住し、スタジオ・ベルソーでファッションを学んでいます。


ちなみにNHK連続テレビ小説『花子とアン』で人気を博した俳優・中島歩さんも独歩の玄孫にあたり、彩良さんとは親戚関係にあるということでした。

現在アートビジネスにも進出している彼女ですが、将来は女優になり、演技にも挑戦したいとのことで俳優一族に生まれた血は争えないようですね。

国木田独歩の家系図まとめ

国木田家の家系には、作家だけでなく俳優もいることがわかりました。

さらに二男二女のうち長男・虎雄は詩人、次男・佐土哲二は彫刻家ですので、芸術家一族と言えるでしょう。

ちなみに最初の妻・信子が里子へ出した娘の浦子は、社会運動家の木下尚江の養女になっていますので、そちらにも独歩の血が流れていることになりますね。

モデルの彩良さんは独歩の家系の価値観を受け継いだことで、「周りに理解されなくても、自分が納得できることに取り組めれば良い」と考えられるようになり、気が楽になったそうです。


偉大な祖先は遠い存在に感じられるもののように思えますが、彩良さんにとって独歩は、アートに情熱をかけるうえで心強い存在なのかもしれませんね。

文豪の血は芸術家一族の中に、色濃く残っているのでしょう。

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