山村美紗の家、遺産と印税がすごい。帝国ホテルで急逝で死因とは

遅咲きのデビューながら200冊以上の小説を書き、ミステリー界をリードする人気作家となった山村美紗(やまむらみさ)さん。

西村京太郎さんと並び住んでいたことで知られる京都の家とはどんな邸宅なのでしょう。

娘の山村紅葉さんが暴露する母のセレブなエピソードもすっかりおなじみになりましたが、遺産や印税にも踏み込んでみたいと思います。

あわせて死因や実家についてもまとめました。

西村京太郎と並び住んだ京都の家

機知に富んだトリックを用いたミステリー小説を次々と送り出した山村美紗さん。

1974年に『マラッカの海に消えた』で本格的デビューを果たした時はすでに40代でした。


念願の江戸川乱歩賞は何度か候補に上がりながらも受賞を逃しており、無冠デビューのコンプレックスを生涯抱えていたといいます。

自身の存在を誇示するかように盛大なパーティーを開き、広告の「山村美紗」の文字が小さいとクレームをつけ、他の作家が京都を舞台にミステリー小説を書くことを許さなかったという証言も聞こえてきます。

しかし、これらはミステリーの女王としての山村美紗像をつくりあげるための自己演出だったような気がします。

夫の存在を隠し続けたのも、西村京太郎さんと同居に近い生活を送ったのも、すべては作家として成功するための戦略だったように思えてなりません。

京都市東山区にある山村美紗さんの家は西村京太郎さんの家と隣り合った邸宅でした。

住所は京都市東山区清閑霊山町。

位置としては清水寺の裏にあたるそうです。

西村京太郎さんに送ったファンレターがきっかけで出会ったという二人。

ある日、食事に訪れた料亭旅館がいたく気に入った山村さんは、建物を買い取りたいと申し出ます。

ところが購入するなら本館と別館の両方をという条件を提示されて予算不足に。

そこで京都に家を購入しようとしていた西村京太郎さんに「半分買ってほしい」ともちかけ、共同購入させてしまいました。

二人は改築した本館と別館に分かれて住み、両宅は鍵つきの扉と渡り廊下でつながっていました。

夫の巍(たかし)さんは別のマンションで暮らしていたそうですから、常識では考えられない居住形態をとっていたことになりますね。

山村美紗の遺産・印税について

累計発行部数が3000千万部を超え、映像化された作品は100本以上。

1991年から1995年までは高額納税者作家部門のベスト10に4度ランクインしていました。

1994年は11位。

このうち、もっとも納税額が高額だったのは1993年の8624万円です。

1996年の急逝は、まさに絶頂期での絶筆だったことになりますね。

人前に現れる際は赤やピンクのドレスをまとい、長者番付の上位にランク入りするためにあえて節税対策をせずに高い税金を払い続けた山村美紗さん。

承認欲求の強い、勝ち気で派手な一面は、ベストセラー作家でありながら無冠デビューというコンプレックスの裏返しだったのかもしれません。

具体的な遺産総額や印税収入は不明ですが、長女である山村紅葉さんに多くの人が抱くイメージは、「山村美紗の遺産や印税で何不自由なく暮らすお嬢様」というところでしょう。

印税は全額銀行振り込みにしていたという山村美紗さん。

ですが、ドラマやゲームの原作料は現金でもらうようにしていたそうです。

ある時、ゲームの原作料450万円を受け取りに行ったところ、その会社でおしゃれなビリヤード台を見つけ、値段を聞くと450万円と言われたので、現金ではなく物々交換としてビリヤード台を持ち帰ったという逸話もありました。

仰天の金銭感覚については紅葉さんの鉄板ネタにもなりつつあるようです。

帝国ホテルでの死因は執筆中の心不全

山村美紗さんは連載小説を2本執筆するため、1996年8月26日から1カ月の予定で紅葉さんと帝国ホテルに滞在していました。

9月5日、スイートルームで執筆中に具合が悪くなり、主治医を呼んでいます。

医師が駆けつけるも間に合わず、そのまま息をひきとりました。

死因は心不全です。

媒体によって享年が異なっているのは実年齢と公表年齢に食い違いがあるため。

正しくは65歳没です。

ホテル内の急死ということで警察に通報されましたが、死亡時に医師や家族が立ち会っていることから変死事案には該当しないと判断されました。

持病のぜん息に加え、2年前に手術した虫垂炎の回復の遅れもあって体調はよくなかったようです。

晩年は命を削るようにして原稿を書いていたのですね。

これは作家にとっては殉職、あるいは戦死といってもいい凄絶な最期です。

山村美紗の実家は学者一家だった

山村美紗さんの実家はインテリな学者一家でした。

父の木村常信さんは民法学者で京都大学名誉教授。

弟の木村汎(きむらひろし)さんは政治学者で北海道大名誉教授。

山村美紗さんは4人姉弟の長女です。

京都府京都市生まれですが、父の赴任に伴い、少女時代を日本統治下の朝鮮・京城(現ソウル)で過ごしました。

引き揚げ後は一時極貧を味わいますが、紅葉さんによると、山村美紗さんの実家はとても裕福だったとのこと。

子供たちに洋服を着せてくれたり、宿題をみてくれるお手伝いさんがいて、幼少時は誰がお母さんなのか混乱してしまうような環境だったそうです。


庭では孔雀が遊び、クリスマスには七面鳥を焼く料理人が家に来たといいますから、ハイカラで西洋風な暮らしぶりだったのでしょう。

病弱な身体に鞭打って膨大な仕事量をこなし、執筆中に旅立ってしまった山村美紗さん。

まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい作家でした。

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