田嶋陽子の母と満州の記憶。フェミニズムの原点と英語。髪型について

女性学研究者でタレントとしても活動してきた田嶋陽子(たじま ようこ)さん。

今回は田嶋さんの母に迫ります。

また満州出身という情報、フェミニズムとの関わり、英語の先生という噂、髪型についてまとめます。

田嶋陽子のプロフィール

本名:田嶋陽子

生年月日:1941年4月6日

身長:165cm

出身地:静岡県沼津市

最終学歴:津田塾大学大学院文学研究科博士課程

田嶋陽子の母。満州の記憶と朝鮮での生活

まず田嶋さんについて、母親の情報と、満州出身という噂に迫ります。

「母からいじめを受けた」と語る田嶋さん。

母は戦後、難病である脊椎カリエスにかかり、長生きできないと思われていたそうです。


そこで自分が死んでも、娘がしっかり生きていけるよう、しつけには厳しかったといいます。

小学校時代は、母が寝ているベッドの横に座り、勉強したそうです。

教科書の内容が暗記できないと、ものさしで叩かれました。

ある時は窓から教科書を投げられたそうです。

娘のためとはいえ、かなり厳しいお母さまだったことがわかります。

それでも田嶋さんは、自分が逃げたら母の病気が悪化すると考え、必死で晩学に励みました。

母は新薬が開発されたおかげで、奇跡的に回復したそうです。

しかし母のために勉強を投げ出さなかった田嶋さんは、当時の女性としてはかなりの高学歴を手に入れるのです。

津田塾大学大学院で博士課程まで進み、イギリスのベル語学学校に留学も果たしています。

学者の道を進む力が身に着いたのは、母の厳しい教育の影響だったのでしょう。

生後半年で満州へ行った田嶋さん。

しかし満州での記憶はないようです。

その後すぐ、百貨店で働いていた父の転勤で、朝鮮へ渡ります。

朝鮮で父が召集されると、1歳の時、母と共に日本へ帰国。

一時帰国のつもりでしたが、戦争が激しさを増す中、日本で親戚の家を転々として終戦を迎えました。

田嶋さんとその母は、戦中戦後をたくましく生き抜いた女性といえますね。

田嶋陽子とフェミニズム

田嶋さんはフェミニズム運動家として知られていますが、原点は戦争体験だったそうです。

戦中、母に連れられ親戚の家を転々とした際、人に食べさせてもらうみじめさを味わいました。

親戚の家族は魚の切り身を食べているのに、母と田嶋さんには魚が出されません。

2歳前後だったので、母に「お魚が食べたい」と泣きついたそうです。

母も苦しんでいたようで、泣きわめく娘を叩きました。

夜には、「お前がいなければ、私だって働けるのに」と言っていたそうです。

母によるいじめが始まったのは、戦後のカリエスがきっかけではなく、戦時中の苦しい生活からだったのかもしれません。

苦しさのあまり、娘に八つ当たりすることもあったのでしょう。

結果、母娘の間には長年、確執がありました。

田嶋さんはやがて、フェミニズム活動の道へ進みます。

「親戚の家で受けた差別が、フェミニズムの原点だったかもしれない」と回想。

同時に、「何としてでも、自分で稼いで食べていく」という意識を持つようになったそうです。

高校時代、英語の弁論大会では、フェミニズムの先駆けともいえる戯曲『人形の家』についてプレゼンしています。

10代にして、「結婚しか幸せになる道がない」という、これまでの女性の生き方に疑問を持っていたのです。

田嶋さんの母も、ひたすら家庭に尽くした人でした。

しかし「なんであたしだけ、食器を洗わなきゃいけないの」という不満を、いつも娘に聞かせていたそうです。

従順に女の役割を果たしながらも、苦しい胸の内を娘に吐き出していた母。

田嶋さんは母の言葉から、身をもって女性の苦痛を感じ取り、フェミニズム活動に情熱を注ぎ始めたのでしょう。


後年、活動家として活躍する娘に対して母は、「お前がつらかったのなら悪かった」と言ってくれたそうです。

50代にして母と和解した田嶋さん。

自身の原点を作ってくれた母とハワイ旅行に出かけ、ようやく長年の確執を解消できたのでしょう。

田嶋陽子は英語の先生?

タレント、政治家、活動家など幅広い顔を持つ田嶋さん。

しかし1985年から3年間、NHK教育テレビの番組「英語会話II」で英語講師を務めています。

ネット上には、田嶋さんは政治が専門だと思っていたが、どうして英語を教えていたのかという疑問の声もありました。

実は大学院での専門は、政治学ではなく英文学です。

東京女子大学や法政大学でも英語を教えていましたので、元々は英文学者でした。

英語が専門だったものの、社会問題にも関心が強かった結果、徐々に政治活動へ移ったのでしょう。

田嶋陽子の髪型

最後に田嶋さんの髪型についてです。

昔から田嶋さんといえば、おかっぱ風のショートカットがトレードマークですね。

SNS上には、田嶋さんのような髪型にしてよかったという声もあれば、否定的な意見も見られます。

田嶋さんは大学講師時代、おかっぱではなくボーイッシュなショートカットでした。

しかし短く切りそろえる点は、若い頃から一貫しています。

女性といえば、ロングヘアという固定観念を脱却したかったのでしょう。

フェミニズム活動家として、女性はどんな髪型でも輝けるということを伝えようとしてきたのかもしれませんね。


母との確執に苦しんだ経験をバネに、力強く生きてきた田嶋さん。

目立ったメディア出演はしなくなりましたが、どんな逆境にもめげず、今後も前向きに生きていくことでしょう。

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